第5話 再び喫茶店にて
2冊目を取り出したまではよかったのだが、どうにも眠気が襲ってきた。明日に響かないうちに寝よう。いや何も予定はないのだが。眠いから寝るのだ。
翌日朝、何故か前訪れたコーヒー店のブレンドが飲みたくなった。コーヒーは頭がシャキッとした気分になるから好きだが、正直喫茶を選んでいる訳でもない。でもこの日はあそこのブレンドが良い。私の無意識の内にブレンドは溶け込んでいたようだ。
何時からやっているかを気にすることを忘れていたが、空いていなければ他の場所を散策しても良い。暇だから。自虐を交えながら歩を進めると、OPENの文字。早速入ると、見覚えのある男がコーヒーを飲んでいる。
「よう、また会ったな。」
「おはようございます。」
神里である。他愛無い会話から始まるのはごく自然なことだ。しかし元来私は人に話しかけるというのが苦手だ。こう、話しかけてくれると助かるものだ。
「どこまで読んでみた?」
「一冊目だけですね、何せ量がありますから、力をためて、出来るだけ早く自分の文字に起こしたいですかね。」
「そうか、一冊目ね。驚いたでしょ、突然終わって白紙だらけなの。俺も拍子抜けしちゃってさ。やっぱ飽きっぽいんだなって。」
「遊びも一定ではなかったとか?」
「そうだな、コロコロ変わる割に下手糞なんだ。いつも俺に挑んでは負けて。俺からしたら、うまくなる前にやめちゃうんだよな。まだまだって時にさ、『俺には向いてない』っていつも言っては辞めて。色々挑戦してたよ。その割には似てるやつばっかりなんだよな。」
時折懐かしむような笑みを浮かべる神里。私は苦笑しながら聞いていた。出来ないとすぐ諦めるのはよくわかる。世の成功者は、失敗から学び、また失敗して学び、最後に成功して財を成すものだ。わかってはいるが、努力することもまた才の一つと言えよう。世間は、投げ出しては中途半端に齧り、半端な知識だけ得て得意な気になっている人ばかりだ。私もその一人だから、苦笑でもしていないと折り合いがつかなかった。
「お、君もそういうとこあるか?」
鋭い。
「まぁ、そうですねぇ。私も飽きっぽくて、習い事とか趣味とか夢とかあったけど、全部ほっぽって、モノを書くか旅するかしか思いつかなかった。でも旅は金がないといけないし、バイトは対人仕事ばかりで気が進まないものだから、物書きになろうって訳です。まだ書けてよかった…のかなぁ」
答えておきながら、答えになっていないような、でも言うことで少しスッキリした。それを察したのか、神里も応じる。
「それでよかったんだよきっと。それがあんたの生き方なんだ、誰も否定しないさ。あいつも見つけられれば良かったんだが、耳を貸そうとしなかったな。自分を曲げるのが嫌で嫌でしょうがなかった様だった。淋しいよな。自分で苦しいところに身を投げてるんだ。それをわかっているもんだから自分が嫌いになっていくんだよな…。親でもなんでもないんだけどさ、なったこともないけどさ、何かしてやれなかったかと今も思うよ。」
これまで見せてこなかった、神妙な表情を浮かべていた。
「二冊目、今日から読み進めます。彼の考えとか、そういうのが分れば、その答えも見えてくる…かもしれませんし。」
「でも、もう戻っては来ないんだよな…。俺の靄は取れても、彼はもう救われないんだ…。」
「それは…。」
「うーん、辛気臭いのはやめ!さて、俺もそろそろお暇するかな。」
空気を察したのか、神里は腰を上げ、お代を払いに行った。
「じゃ、また会ったら話聞かせてくれや。楽しみにしてるからな。」
去り行く神里の後ろ姿は、最初の時より小さく、哀愁を漂わせていた。彼も彼なりに、彼のいない現実を受け入れようとしている。ブレンドの残りを啜りながら、そう感じた。
箱庭世界 北野坂上 @tamuramaro
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