第4話 日記Ⅰ-3

8月4日 塾の選抜試験に合格した。しかし上のクラスに行く気はしない。隣町まで通うのが面倒だからだ。あと、ひそかに思うことは、ここにいたまま上の連中を破ることの快感。クラスの平均点で自分のクラスが一番になり、相当絞られたらしい。自分のクラスではやらないレベルの学習をしているそうだから当然だろう。発展ばかりやって基礎を見失うことはよくあると思う。学校にも一人そういう奴がいる。成績を気にしている様子があって声を掛けたら無視されて以降口が訊けない。成績を一度自慢げに語ってみたら周りから疎まれた小学校での日々を思い出す。頭が良いだけでは何の得もない。疎まれ、遠ざけられるだけだ。人の言うことを素直に聞けないくせに自己承認欲求が強い、そういう自覚はあるが、それを止められるならこんな悩む自分などいない。人間が出来ていない。出来る前に歪んでしまった。何がいけないとかいう訳ではない。僕はもう歪んでしまった。勉強だけ出来て、実際に活かすことが出来ない木偶の坊だ。それなのに、知ったかぶりは良くしてしまう。増々自分が嫌いになる。


8月5日 昨日の延長線だけど、ポジティブってのがわからない。ただ現実から目を背けているだけにしか見えない。出来ない自分。それを肯定的に捉えるってもうその時点で吐き気を催す。ネガティブこそ人間の本質だと思う。出来ない自分を斬って、斬って、斬った先に、本当の自分が横たわっている。何も出来ない自分か。何か出来る自分か。出来るようになるためには強い継続力と精神力、そして少しの才が必要。自分で言うのも何だが、僕は才はあると思っている。しかし精神力が皆無だ。泥臭く続けることを拒否している。そんなところで見栄張って潔癖でいるのは格好悪いはずなのだが、その状態が一番心安らぐ。楽なのだ。でも、楽して何が悪いのだろう?社会は許してくれないんだろう。だから社会なんて出たくない。死んだ目で日々の任務を粛々とこなすだけではつまらない気がする。研究とか、そういうことをしたい。今は化学に興味を抱いているから、そこに進んでみたい。結局泥臭いのだろうが、継続力は今一番持てている分野だから、頑張ってみたい。少し将来が定まったような、そうでもないような不思議な感覚である。



 …ここまで読んでみると、彼なりの世界があって、それを軸に、考えたことを書き殴っているように感じた。周りに対する反感。それを持ちながらもなんとか受け入れようとすることの苦しみを言葉にして吐き出しているように思った。だが、一理あるとも思えた。社会に対する問いかけは心に響いた。当たり前のことに歯向かうってことは勇気がいる。何せ、周りが否定してくるからだ。私もサラリーマン時代、チームリーダーと喧嘩になった際、別の部署の上司からこう言われた。


「君、そういうところは直してから、気持ち新たに仕事に取り組んだ方がいいと思う。一度休職でもして考えてみないか。」


 当時私はもやもやした気持ちが何であるか分かっていなかったが、それは私が私であることが否定された気分だったのだ。彼の言葉でハッキリした。結局休職した後、会社は辞めてしまった。もう戻れないと思ったからだ。それから、少ない貯金を元手に出版社を渡り歩き、今に至る。今の生活の方が貧しくても楽しいと思えている。それは、自分が否定される環境から解放されたからともいえる。それは紛れもなく、この世を覆う「社会」だった。


 彼は当たり前の社会を見切り、研究職として活躍する道を模索している。この先、どうなるのか。不安しかないが、次の頁をめくる。すると、何も書かれていない。後ろも少々黄ばんだまっさらの頁のみ。


 ここで飽きたのか…。彼の自己分析は正しい、でもそれはいかがなものかと首を傾げながら、私は二冊目を取り出した。


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