第22話 巫女姫


珂雪が心底驚嘆したことに、この巫女姫は烈火のごとく燃えている森の中心——焔のいる場所へ身を投げだすことに、いささかのためらいもないという様子だった。


むしろ、それを当然とする口調だった。


「《柊の宮》も言っていたでしょう。私なら封じられると」


「——しかし」


郷の者の警護がない、と言いたいのだろう。

珂雪に対し、

葵の宮は手を払って言った。



「たとえここに【忍び烏】がいても、彼らが焔に対してできることはない。それは過去の事例で証明されている。

彼らは私が登極したあかつきに、私の手足となる隠密であって、今私のために死ななくてもいい。

以前、《綾女の宮》の護身が遅れたのは、立ち向かおうとする者を庇ったからだという説もあるくらいよ」




確かに、

本当に力のある巫女姫なら、自分自身の護身をするだけでいい。

その方が周りを気遣わなくていい分、楽なのかもしれない。

登極の「封じ手」で無駄な犠牲を出したくないのは、巫女姫も同じなのだ。


葵の宮は、ここに【忍び烏】がいないのは幸いとまで言った。



「悪いけど、このヒュウマを私に預けてくれる?」



その時、

先に飛英を追っていた姮娥と佳宵がこちらにやってくるのが遠目にも分かって、葵の宮はそちらに視線を送りながら言う。


「あのうちの一頭に、珂雪は移ればいい。私はヒュウマで、焔と



その、少しも恐れを知らないような言葉に、

結局珂雪は従うしかなかった。


ここまで言い切るのだ。

勝算はあると踏んでいるのだろう。


珂雪はそう思い引き下がることにしたが、

その様子を見ていた琥珀は、どちらにしてもすでに「送り火」を発動している四獣の焔に対し、葵の宮がひとりでむかうのは、かなりの劣勢だと判じていた。


しかし——他にどうすればいいだろう。


珂雪、琥珀、あとでこの場に来た姮娥と佳宵が見守るなか、


葵の宮は、

ひとりヒュウマにまたがり、

火を吹く森のなかへ

吸い込まれるように下へ降りていった。



***



もちろん、

護身は心得ていたし、それは葵の宮が次の巫女姫として生まれた瞬間から、常日頃修練していたことだった。


四獣には「禁じ手」がある——が、それをかけられるのは、他の郷の巫女姫と四獣だけ。


つまり、自身の郷の四獣は、登極する巫女姫に対して自分の術をかけることができない。


そのため、

唯一郷の四獣に対抗できるのが、その郷の巫女姫といっても過言ではなかった。


事実、巫女姫は護身からなる「封じ手」によって四獣を鎮めるのだ。


ただ、だからといって、

完全に無事でいられるはずもない。



葵の宮は、右手を額の上にかざすと刀印とういんを結び、素早く九字くじを切った。




——のぞめる兵、闘う者。皆、陣をつらねて前に在り。






目の前にある炎の熱さが、

その言葉で少しだけやわらいだ。


熱い、と思うと、

その瞬間に、圧倒的な熱量で息ができなくなる。



こちらの胆力が、すべての鍵だった。

この術は効かないと、信じきれるかどうか。


その炎は実際に森を焼き、ここ一帯を燃えつくさんとばかりに、ごうごうと火の粉を舞い上がらせている。



——もし、しくじれば、



葵の宮は、冬華殿で、

柊の宮が語ったことをゆっくり思いだす。


——珂雪は《転変》し、本来の姿を顕す。

そして、長い冬の時代が到来する。



この国が「新たな災い」を避けられるかどうかが、まさに自分の一挙一投足にかかっていた。



現場は、まさに猖獗しょうけつを極めている。


葵の宮はもう一度九字を切って、

護身の範囲を騎乗するヒュウマまで拡げた。


ここまでなら、拡げることができる。


葵の宮は、過去にという、綾女の宮の気持ちが分かる気がした。



生きたまま業火に焼かれ、重度の火傷を負う者達を憐れみ、自分にかける護身をのだ。

そのため、彼女を取り囲む【忍び烏】は、火傷で死に至ることはなかった。

綾女の宮、ひとりを除いては。



息もつけない程の熱風だった。


葵の宮は、

その炎の中心にいる両翼を広げた朱雀を目で射とめる。


その目のなかに、【忍び烏】として夏の郷にいた、凪という少年は、もういなかった。


あるのは、どこまでも冷徹で酷薄な、何の感情も読みとれぬ瞳孔のみ。


葵の宮は、刀印を結んだままの右手を前へ押しあてる。

赤く燃えたつあかい鳥を前に、黄色い炎が波のように取り囲んでいたが、葵の宮のいる場所は次元の層が違っているように、炎のむきが左右に分かれていた。


気づけばもう目と鼻の先に《焔》がいる。


葵の宮はを凝視したまま、その右手を上へ振り上げた。







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