第21話 送り火


その瞬間、

辺り一面の森が、

その一言で、炎に包まれた。


あまりのまぶしさに、光が走っていったと思われた先には、黄色く勢いを増す火の手が森を呑みこまんとするかのように、ごうごうと燃えていた。



——だめだ。これでは近づくこともできない。



珂雪は、

森の木々が火柱を上げるのを、ただ見守ることしかできなかった。


「胡蝶」は解けている。


おそらくどこかに飛英がいるはずだが、この位置では判別がつかなかった。


——と、そこへ。


後ろから来た琥珀が、珂雪に追いつき、呆然とした様子でつぶやいた。



「これが、あの……焔だっていうのか」



火の勢いは、ますます増している。

ここ一帯の森を焼き、それでもこの炎が消えないのだとすれば、次は春の郷の要、春陽殿が呑まれることになる。


このまま放っておけば、いずれそうなることは、すでに明白だった。

火の神である焔が放つ火なのだ。



——しかも、これは「禁じ手」を使っている。



もともと同じ四獣である飛英に対してなされた術だろうが、この状況下で、その意味は消えうせていた。



もし、

この術を破れるとしたら、

登極する巫女姫か、他の四獣——



普通、巫女姫が四獣を前に折伏しゃくぶくするとあらば、身辺を郷の者たちが何重にも囲って護身をする。


しかし、ここにはほぼ丸腰に等しい巫女姫と、他の郷の四獣がいるだけだった。


この場で焔を封じるのは、葵の宮にはあまりにも荷が勝ちすぎているように見える。



珂雪は、炎のあがる森の只中で、光り輝くふたつの双眸そうぼうを見た。


それは今もあやしく光りながら、まっすぐ珂雪の方を見つめている。



——こちらに気づいている。



珂雪は一瞬、射すくめられたかのように動けなくなった。


その目のなかに、凪と呼ばれていた忍び烏の影は、もう消えている。

この状態を、珂雪は知っていた。


巫女姫に鎮められなければ、このまま自我を失うことになる。



ここで珂雪にできる選択肢はふたつ。

退くか、戦うかの二択だった。


煙に混じり、巻き上げられた熱風がここまで届いてくる。

珂雪は同様に、この荒れ狂う炎を見ている琥珀に言った。



「この辺りに春の郷の者がふたりいるはず。その人たちを探して現状を報告して。場合によっては避難するようにと」



いずれここも、劫火こうかに呑み込まれる。

もはや一刻の猶予も許されない。




「これを止めるのは無理だ。葵の宮を、ここで差しだすしかない」



琥珀は唇を噛み、断じるように言った。



「本当に登極する巫女姫なら、これを止めるはずだ。俺にも覚えがある。あんたにもあるだろう」



琥珀の言わんとすることが珂雪には分かったが、この炎を前に、簡単に引き下がることはできなかった。



「いくら巫女姫であろうと、今ここで焔に差しだすことはできない。私が時間を稼ぐ」



琥珀は反駁はんばくした。



「ここで四獣同士が争ってはいけない。そうならないための巫女姫だろう。葵の宮も、心得ているはずだ」


「遅きに失したらどうなる。私はその時、《転変》するだろう。その意味が分かっているの」



珂雪は歯を喰いしばり、焦慮にかられて言った。


この世に新たなる災いをもたらしめん、と予言にある通り、「四季の中つ国」の一端は崩れるだろう。

その先に何が待っているかは、珂雪も分からなかった。



琥珀は、珂雪が躊躇する意味を正確に測ることはできなかった。


ただひとつだけ分かることがあるとすれば、このまま退いても事態は悪くなるということだけだった。



どのみち、

このままではこの国全体に火の手は燃え広がり、やがて焦土と化してしまうだろう。


珂雪がなお逡巡していると——


背後で、


の起きあがる気配がした。



彼女は、

今気がついたと見えて、大きく伸びをすると、

目の前に繰り広げられる火の勢いと、

その中心に据えられた焔と思しき一対のまなこを見て、片方の唇を、わすがに持ちあげた。





「——やっと見つけた」




その声は小さく、聞き取りにくいものだったが、

《葵の宮》は、確かにそう言った。


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