第19話 予兆
次の日、
珂雪が向かったのは春の郷だった。
またそこへむかう気になったのは、「氷花」が解かれたことを感じたからだった。
——やはり、白虎は夏昊殿にいたのか。
なぜ彼がそんな場所にいたのかは分からないが、そんなことをいえば、珂雪も夏昊殿に一時的にいたのだ。
彼も《楓の宮》からの命があったのかもしれない。
——が、今となってはそれもどうでもいいことだった。
飛英が留守の時を見計らって、珂雪は春陽殿へヒュウマで乗り込んだ。
桜の宮は、珂雪が再び訪れたことを知るとそれを歓迎したが、
珂雪が話した内容——夏の郷の【忍び烏】のヒュウマが射かけられたこと、ヒュウマは夏昊殿に戻ってきたが深手を負い、動けないでいること、さらにその忍び烏は四獣である可能性があり、飛英の禁じ手、「胡蝶」によって捕らわれた恐れがあること——を知ると、その表情を、みるみる曇らせた。
飛英がこの場にいても気取られないように、珂雪は気配を消し、その時を待った。
一時的ではあるにしろ、感情を波立たせないよう静かにしていれば、四獣同士でも分からないことはある。
まして、今は葵の宮の「氷花」は解かれているのだから、気配をたつのは難しいことではなかった。
やがて、
桜の宮が話した内容を聞くと、飛英は動転し、
——あろうことか、
目の前で《転変》した。
——青龍。
彼は、
天窓を突き破ってそのまま逃走し、
姮娥と佳宵に続いて、
珂雪もヒュウマでその後を追うことになった。
とはいえ、
転変した四獣に、速さでヒュウマが敵うはずもない。
あっという間に飛英を見失い、珂雪は舌打ちした。
すでにこの辺りに気配がない。
彼の結界——「胡蝶」のなかにまぎれたのだとしたら、ここから追うのは、もう難しかった。
——と、
その時、
誰かに呼ばれた気がして、
珂雪は風の音を聞き分けようとした。
『——珂雪』
それは、聞き覚えのある声だった。
間違えようもない。
背に鳥肌がたつ。
なぜならそれは、すでにこの世の者ではない声だったからだ。
生きている者ならば、こんなに声が遠いはずがない。
——魂が、すでに身体から離れている。
珂雪は、額に汗がにじむのを感じた。
できるかは分からない。
失敗すれば、もう二度と取り戻せないだろう。
珂雪は目を閉じる。
方向は分からなかった。
でも、このままにしておくこともできない。
口のなかで短く呪を唱えると、
珂雪は何もない
指先から、白い光がはしる。
——と、
その先に、葵の宮が、宙に
その目が見開かれる。
重力に従って体が落ちる前に、珂雪はその腕をとっさにつかんだが、急に変わった重心に腕を支えきれず、気づけばヒュウマから放りだされていた。
——落ちる。
下には森があった。
伸びた枝葉にあちこちを擦りむきながらも、珂雪は葵の宮を手に、太い枝のひとつに引っかかった。
珂雪はその枝の上で葵の宮の体を支えると、指笛でヒュウマを呼ぶ。
葵の宮は、体力を消耗したのか、気を失っていた。
手が冷たい。
今のは——「蜻蛉」だった。
それで、見えないようにされていたのだ。
一歩間違えば、一体どうなっていたか。
それでも葵の宮の心臓は、止まっていなかった。
呼気を感じて、珂雪はホッとする。
ここで葵の宮を失えば、例え目覚めても、もう《焔》を鎮めることはできない。
そうなれば、最後の希望が断たれることになる。
葵の宮をヒュウマに乗せることに成功すると、珂雪は——もうひとり、この場に近づいてくる者の存在を知った。
驚いたことに、彼も転変している。
珂雪は、転変した《白虎》を間近で見たことはなかった。
白虎は、
珂雪と共にいる葵の宮を見ると、心からすまなそうな口調で礼を言った。
「気づいたらもう、いなくなっていたんだ。飛英とかいうやつと話をした後、いないことに気づいて、本当にあわてた。あれ、お前——」
「もう少し遅かったら、彼女は死んでいた」
珂雪は冷たく言った。
白虎は、相手の正体を察したようだった。
「本当に無茶なことをしたと思ってるよ。でも、お前にここで会えて良かった」
「初対面でお前呼ばわりはないでしょう。私の名は、珂雪」
そう名乗ると、なぜか白虎は笑った。
「そうか。俺は琥珀」
「飛英は、どこにいたの」
琥珀がそれに答えようとすると——
カッ! と、辺りが、まばゆいまでの光に包まれた。
——これは。
珂雪はその気配を感じて、全身が総毛立った。
——《焔》が今、目覚めようとしている。
まだ意識の戻らない葵の宮を乗せ、珂雪は光の発した方へ、ヒュウマを急がせた。
「おい、待てよ」
琥珀が慌てるように、その後を追ってくる。
光はどんどんふくらんで大きくなると、
ある境界をさかいに、パッとはじけとんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます