第17話 奔走
再びヒュウマを飛ばして郷の冬華殿にたどり着くと、珂雪の考えを聞いた柊の宮は、その判断を責めはしなかった。
「確かに、お前の言う通りかもしれない。今、飛英を追い詰めたら何をしでかすか、私には分からないね」
「——では」
「秋の郷の巫女姫はしとやかそうに見えて、実は好戦的だ。まあ気が強くなけりゃ、巫女姫はつとまらん。
でも白虎は、同族のよしみで、その【忍び烏】を気にかけているようだね。彼に「氷花」を解いてもらうといい」
珂雪がそれを聞いて飛びだそうとすると、柊の宮はキセルの煙を吐きながら、
「待ちな。お前は相当疲れているだろう。一日でこの国を何往復してくるつもりだい。ひとまず今日は休んで、明日行けばいい。飛英も、すぐには捕らえた獲物をどうこうしないだろう」
***
こうなってしまった以上、
葵の宮に、春の郷へ行けない理由を話さないでいることはできなかった。
しかし、表立って秋の郷へ向かうこともできまい。
いずれ四獣となるはずの【忍び烏】、凪が飛英によって捕らえられたことは言わなかった。
そうすれば、この巫女姫は激昂するだろうと思ったためだ。
珂雪はただ、件の彼は春の郷へ行く途中、行方不明になったことだけを伝えた。
行方不明。
それも見越していたのか、葵の宮は、さほど動揺した様子も見せはしない。
「他の郷の四獣に会えば、この術は解けるんでしょう。春の郷の四獣と、秋の郷の四獣の技は何なの」
「春の郷の技は「胡蝶」、結界を張る技です。そして白虎の禁じ手の術は「蜻蛉」、相手を一時的ですが、見えなくする」
何か思うところがあったのか、葵の宮はその言葉を口の中で繰り返した。
「見えなくする……」
そしてしばらく沈黙した後に言った。
「では明日、私を夏昊殿へ連れて行ってくれる?」
「しかし……」
珂雪は難色を示したが、葵の宮はそれにかまわないようだった。
「私はもともと《柊の宮》に聞きたいことがあって、ここへ来た。それはもう分かったのだから、自分の郷へ帰ることにするわ」
***
次の日、珂雪はヒュウマに葵の宮を乗せて、夏昊殿へ向かうことにした。
侍女に見せかけられているとはいえ、姿を見られるわけにもいかないため、来た時と同じく布で体を巻き、できるだけ悟られないよう騎乗する。
事の次第を伝えても、柊の宮はひきとめはしなかった。
「自分の意思でここを出ていきたいなら、そうすればいい。あとは天に運をまかせるしかないよ。自分の信じる道を進めばいい」
冬の郷から夏昊殿までは、ヒュウマで駆けてもまる一日かかる。
簡単な携帯食を一応包んではいたが、「氷花」をかけられてから、葵の宮は空腹を感じることはなかった。
珂雪に言わせると、それは危険な状態なのだという。
この状態で長くいると、戻れなくなる可能性もある、と。
それが「禁じ手」と言われる所以だと。
秋の郷を経由して夏昊殿のある南へと向かう途中、同じようにヒュウマで飛翔する影を見つけて、珂雪はそれを見極めようとした。
——と、むこうもこちらの存在に気づいたのか、警戒するように速度をゆるめるのが分かる。
そこで、
珂雪が握っていた手綱を、布で隠されていた葵の宮が、一瞬で奪い取った。
珂雪が驚いたことに、葵の宮は、自分に巻かれていた布を珂雪に被せると、跳ねるヒュウマをなだめて前方にある影に近づいた。
「——何をするのですか」
くぐもった声で珂雪がたずねると、葵の宮は言った。
「私は今、誰も知らない顔をしているでしょう。でも、あなたの顔は知られているかもしれない。私は冬の郷の者としてふるまいます」
葵の宮はそう言うと、急に速度を上げた。
相手は二人で、女のようだった。
葵の宮は、ヒュウマに騎乗する二人を認めると言った。
「私は、冬の郷から来た者です。そなたたちは、どこからやって来たのですか」
そう言う葵の宮に対して、まだ警戒している様子だが、女のひとりは言った。
「私たちは、秋の郷の者。今は郷へ戻る途中です」
葵の宮は、彼女たちの来た方角、またヒュウマに騎乗することから推測して言った。
「夏昊殿へ行っていたのですか」
「そうだとしたら、何だと言うのです」
葵の宮は、
そこで微笑んでみせた。
「いえ。秋の郷は、風光明媚な土地と聞き及びます。いつか訪れてみたいと思っておりました。特に御四獣は、大変優れているとか。
ここで出会ったのもご縁と思い、ぜひお目通り願いたいのですが、秋麗殿までご案内頂けないでしょうか」
この申し出には、後ろにいる珂雪も驚いていた。
二人はいささか警戒をゆるめたのか、その内のひとりが言った。
「ご案内したいところですが、あいにく所用で秋麗殿を離れています。すぐに戻られると思いますが、またその折にでもお訪ね下さい。では」
そう言って翔び去っていくヒュウマの後ろ姿を見送っていると、珂雪が口を開いた。
「もし彼女らが本当に秋の郷の者で、今言ったことが真実だとしたら、秋の郷の四獣は夏昊殿にいるかもしれません」
珂雪はきのうのことを思いだした。
春陽殿の門で待っているさなかに、飛び去っていった影。
桜の宮は、彼が「忍び烏がここに来なかったか尋ねた」と言っていた。
その様子で今も秋麗殿に戻っていないなら、夏昊殿へ様子を見にのもあり得ない話ではない。
葵の宮は、それを聞いて言った。
「そうだとしたら、秋の郷へ行く手間が省けるわね」
「とにかく行きましょう」
もちろん正面の門から入れるはずもない。
だが珂雪も一度夏昊殿に侵入したことがあるため、どこから入ればいいかはもう知っていた。
切り立った崖の上を駆け上がると、正面が奇獣舎だった。
ここはまず他の奇獣だと登れない場所であるため、昼間の警備は手薄になっている。
かといって、そうそう長居できるものでもない。
葵の宮を降ろすと、珂雪は言った。
「ここを出て、裏手の階段を登ると小さな扉があります。そこをくぐっていけば、侍女の部屋がある。
加南という者に、話をつけてあります。他の者に見咎められたら、新参のため粗相をして外に出されていたとでも言えばいいでしょう」
「そうね」
と、葵の宮は言ったが、どこか上の空の様子だった。
奥の一点を、無心に見つめている。
そこで珂雪も、吸い寄せられるように、葵の宮の見ている先を見た。
——と、
奇獣舎の奥に、
うずくまったままのヒュウマがいた。
珂雪が近づくと、
その黒くやわらかな肢体には、矢で射られたような、真新しい傷がひらいていた。
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