第10話 回想


春の郷を治める《桜の宮》は、登極して二十年ほどになる。

飛英の四獣としての名は青龍だが、《転変》することも、『禁じ手』と言われる「胡蝶」を用いることも、今までの間なかった。


郷は一年中温暖で生気に満ち、桜の宮と護衛の者たち(——かつては天竜候てんりゅうこうと呼ばれていた)が住む春陽殿には、色とりどりの花が咲き誇っている。


飛英は、

他の郷の様子に興味はなかった。


だが、なべて同じようなものだと思っていた。


四獣が転変し、力を行使するのは遥か昔のこと。


このまま何もない、退屈と呼べる安寧のなかで、日々は変わりなく過ぎてゆくのだと。



***



夏の郷の宮代が訪ねてきたのは、ちょうど一年前のこの時期だった。


夏の郷が、永く巫女姫不在の時代が続いていることは、飛英も知っていた。


隣の秋の郷が十年、冬の郷は三十年になる。


夏の郷が登極を迎えれば、やっと四つの郷の巫女姫がそろうのだ。


そのことで桜の宮がまずお祝いを述べると、篠竹と名乗った宮代は、深刻そうな面持ちで切りだした。



「そのことなのですが……先の登極の際、桜の宮さまは、夏の郷で、一体何が起きたかご存知ですか」



相手の意図が分からず、桜の宮が困ったように首をかしげると、篠竹は苦笑した。



「困惑させるつもりはないのですが、ひとつ話しておきたいと思いまして」



そう前置きしてから、篠竹は口を開いた。


「私はその時、一介の【忍び烏】でした。その頃、私がお仕えしていたのが、その当時の巫女姫、《綾女あやめの宮》さまです」


桜の宮は、その名を聞いてハッとしたようだった。


「その方は確か……」


桜の宮が言い終える前に、篠竹は続けて言った。



「普通、巫女姫は五十年ほど郷を治めます。なぜ《綾女の宮》さまの治世が短かったのか、それを知る者は少なくなりました」


篠竹は、

どこか寂しげに呟くと、語り始めた。



「登極を迎えた日、私は夏の郷の伝説の四獣——《焔》が、真っ赤に輝きながら火を吹くのを見ました。綾女の宮さまが文言を唱えられるさなか、その光はまっすぐ宮にむかった。

あまりのまぶしさと、その炎の強さに、私は近づくことができなかった。そんなことは言い訳になりませんが、私たち【忍び烏】は、焔の力を前に無力でした。

結局、護身は間に合わなかった。

そのために、宮は病み、治世はその後一年ももたなかった。登極の際に受けた傷が、深すぎたのです」



桜の宮は、何も言わずに聞き入っていた。

篠竹は口調を強めた。



「私は……綾女の宮さまが亡くなられた時、ひそかに誓ったのです。いくらそれが巫女姫の務めでも、二度とこのような犠牲を出してはいけないと。間違っても葵の宮さまを、同じめにあわせてはいけない。

そのために私は——焔を葬っても、かまわないと思っているのです」



「——まさか」


桜の宮は、思わず篠竹を見た。

篠竹は、変わらず言った。



「もちろん相手は四獣ですから、しいすることは人には不可能です。しかし、登極の日を伸ばし、葵の宮から遠ざけることはできる。さすれば、焔の力は弱まり、過去に受けた『禁じ手』も無効になるはず」



桜の宮は、そっと嘆息した。



「そのようなことを私に話して、何とするのです。過去に何があったか知りませんが、己の無力を棚に上げて、郷の守り神である四獣を疎むのですか」



篠竹は、ひっそりと笑った。

どこか疲れたような微笑み方だった。


「はたから見れば、その通りなのでしょう。でも私は、あの日のことを、一日も忘れることができないのです。荒ぶる焔を前に、なす術なく宮を奪われていく惨状をもう見たくもない。私は、私ができる方法で、宮をお守りする」



「葵の宮が、それを望まなくてもですか」



退出しようと腰を上げた篠竹に、桜の宮は言った。



「私がこの話をしたのは、誰かに知っておいてもらいたかったからです。はるか昔、夏王氏と呼ばれた四獣が、いかに獰猛で、残酷に宮をほふったかを」



「宮を遠ざける——と言いましたが、光輪も見えないあなたに、四獣が分かるのですか」



篠竹は、その質問には答えなかった。

部屋は人払いがされていたが、飛英は物陰に隠れて話を聞いていた。



***



飛英にとって意外だったことは、夏の郷の宮代が、四獣を「葬る」と言ったことでも、「弑する」という言葉を発したことでもなかった。


だが桜の宮にとって、これは想定外のことであったらしい。


宮代との対面が終わった後、桜の宮は、飛英を呼び寄せた。



「そこにいるのでしょう」



冷静な問いかけに、飛英は物陰から姿を現した。


「ばれていましたか」


「盗み聞きした罰を与えたいところですが、どうやらそんな暇はなくなってしまいました。すぐに手を打たなければいけません」


「他の郷の物事に手を出すのですか」


桜の宮は、

普段は柔和に微笑んでいる口元をひきしめ、厳しい眼差しで言った。



「あの宮代の考えは危険です。それを、他の巫女方に知らせる必要があります」


「他の巫女方——《柊の宮》ですか」



《楓の宮》が治める秋の郷の治世はまだ十年ほどで、春の郷よりも短い。

他の巫女方といって桜の宮が知らせるのなら、冬の郷だろうと合点がいった。


飛英の考え通り、桜の宮はひとつ頷いた。



「たとえ、いかなる理由があっても、宮代が登極を阻むなどあってはならぬこと。柊の宮ならば、この件に関して、きっと良くはからってくれるでしょう」


「では、冬の郷には俺が行きますから、そのように書簡を用意して下さい」


桜の宮は、思いがけず言葉をつまらせた。


「——あなたが?」


飛英はあきれたように、肩をすくめてみせた。


「まさか、御身みずから出向くおつもりですか?

いくら他の郷の大事であろうと、それは目立ちすぎます。それに、登極されて以降、巫女姫がこの郷を離れたことは、一度もありません。それこそが、あの宮代の狙いであったら、どうするのです」


飛英は、続けて言った。


「それに、桜の宮が不在で、冬の郷に出向いたことが知れれば、告げ口したことがあからさまに分かってしまいます。あの男が、どういう意図であんな話をしたのか、どこまで本気なのかは不明ですが、むやみに敵をつくっては、あとがめんどうだ。俺が行くので、文を書いて下さい」


「でも、それこそあなたでなくてもいいのではないかしら」


飛英は首を振った。



「俺が行った方が、むこうも正式に取り合ってくれるでしょう。それにこの機会に、他の郷をこの目で見ておきたい」



桜の宮は、飛英が行くことに関して、まだ承服しかねる様子だったが、最後にはあきらめて言った。



「分かりました。が、文を送り届けたら、ちゃんとまっすぐ帰ってくるのですよ」










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