第9話 飛英

一番最初に見た印象は、


——案外、小さいんだな。


というものだった。


見た目が、あまりにもかよわく、頼りなく思えたのだ。

まさかこれが、と胸の内で何度も思ったが、どうやら本当に、間違いなさそうだった。


だから、少々手荒な真似を使っても、手元に置きたかった。

正確には、手に入れたかったのだ。


そうするのに充分な理由が、彼自身にはあると思っていた。




飛英ひえい、入りますよ」



外側から涼やかな声がして姿を見て見せたのは、彼の主だった。

薄紅色の瞳に、同じ色の髪が長く背に垂れて、花を散らした打掛けをまとった姿は特別な優美さがある。

この中つ国でも、絶世の美女と言われるゆえんだった。


「今朝は、早くから外に出ていたのですね」


飛英は、

読んでいた書物を卓の上に置いた。


「ヒュウマと出ていました。いけませんでしたか」


「いけなくはないけれど、何事かと思いましたよ」



その言い方に、飛英は苦笑した。


「そんな、大袈裟な」



桜の宮は、その場で何も言わずに飛英を見つめていたが、



——と。


そこで、高らかに、

鈴の音が鳴り響いた。


春陽殿の、門番からだった。


誰か——使者が、来ているのだろう。

桜の宮に取り次ぎたいと、部屋へ報せが来る。




——思いのほか、早くやってきたな。


と、飛英は思った。


そして、


ひとり、部屋を後にした。



***



「四季の中つ国」にいる4人の四獣には、それぞれ特殊な力があると言われている。



その郷のひとつ、春の郷の四獣——飛英には、見えない結界を張る力があった。


そのなかにさえ、かくまってしまえば、誰も見つけることはできないのだ。


飛英自身、その能力を試したことはなかった。

何しろその力を行使できるのは、他の郷の巫女姫と、四獣だけなのだ。


それゆえ、その力は『禁じ手』と呼ばれ、滅多なことでは使うことができない。


しかし、

いざ彼が使おうと思ったら、どうすればいいのか、いとも簡単に分かった。


春の郷の名にちなんでか、

その技は『胡蝶こちょう』と呼ばれ、長らく彼自身の内にあった。




薄暗い洞窟に足を踏み入れると、

奥の方に、

ぼんやりと横たわった人の輪郭が見える。


大分、弱っているが、やはり間違いない。


飛英は、動けない相手のそば近くまで寄ると、負傷している左腕を調べた。


矢には、しびれ薬が塗ってあったため、もうしばらく動くことはできないだろう。


しかし、ここまであっけなく捕らえられるなら、薬を塗っておく必要もなかったな、と心の端で思う。



「——気分は、どうだ」



返答はないものと思って話しかけたが、相手はぼんやりと視線をむけてくる。

その目に、わずかなりとも敵意の炎が燃えているのを見て、飛英は面白く思った。



「……お前は、誰だ。どうしてこんなことをする」



体がしびれているわりにはよく話せるな、と飛英は思いがけず心愉しくなった。



「お前を手に入れられたのは、本当に幸運だった」



質問には答えず飛英は言うと、

まだずいぶん幼く見える四獣に目を細めた。



——宮代がどう思ってるか知らないが、あいつの思うようにさせるものか。



そう思い始めるとますます愉しくなり、飛英は最後、背をむけながら言った。


「安心しろ。お前の不在を心配しているやつが、じきにやってくる。ここを見つけることができればの話だが」



次第に遠くなっていく声と足音を聞きながら、

凪は、

なぜこんな場所に捕らえられているのか、相手の意図が分からずに困惑した。


そして不意に、

秋の郷で出会った明るい髪の少年の声が浮かんだ。



——何かあったらいつでも呼べよ。きっと助けてやるから。



——本当に、情けない。




凪は、思うように動かない体を抱えて、

遠ざかっていく後ろ姿を見る。


と、

月の光のせいか、

その背は僅かに光を帯びていた。


黒い服装に、酷薄そうな、うす緑の目。

短くて白い髪。


——あいつが、俺に、矢を射ったのか。



そう考えながら、

凪は、またいつ覚めるともしれない眠りに落ちていった。






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