第6話 獅子王


四獣には、それぞれ特殊な力がある。


例えば冬の四獣——玄武は、自分や誰かを他の者に見立てて、あざむくことができる。


技をかけられる相手は、他の郷の巫女姫と四獣に対してだけだ。


楓の宮は、もし危険が及ぶことがあれば、『蜻蛉』を使ってもいいと、そう言った。

『蜻蛉』は、琥珀——白虎の、特殊能力だった。


しかしそれは本来『禁じ手』と呼ばれ、むやみに使っていいものではない力だ。

そんな事態になるくらいなら行かない方がいいと、暗に琥珀に伝えているのだろう。


「……そんなこと言ったってなぁ」




夜更けだ。


皆が寝静まった頃にきまって目が冴えてしまうのは、本来夜行性である獣のさがかもしれない。


だから昼間は寝ていたりするのだが、このところ昼間も、うまく眠れない。

人探しを始めてからは、特に。




琥珀は、秋麗殿の裏側にある奇獣舎の方へむかった。

あそこなら、夜は誰も近づかない。

仲の良いヒュウマに挨拶をして、早速明朝、ここを発たなければ。

《転変》すればヒュウマに乗る必要もないのだが、【影獅子】として行く以上、致し方ない。




そんなことを考えながら、柄にもなくぼうっとしていたため、いきなり現れた影に琥珀はギョッとした。


「そろそろ、来られる頃だと思ってました」



落ちついた、深い声。


暗闇のなか、月明かりに淡く照らしだされた輪郭が浮かび、琥珀は嘆息してつぶやいた。



「……獅子王」



すべての【影獅子】を統率し、楓の宮からの信頼も厚いため、皆から彼は、そう呼ばれていた。


あごで切りそろえられた断髪が、さらりと頰にかかる。

彼はわずかに笑ったようだった。



「その呼び名はやめてほしいと、私は何度も申し上げたはず。

御影みかげとお呼び下さい、秋王氏しゅうおうし



秋王氏とは、また古い故事を、

と、琥珀は苦笑した。



まだ四人の巫女姫が天に降り立つ前——古い昔の話。


四人の四獣が王になって、国を治めていた。

曰く、

春王氏しゅんおうし夏王氏かおうし秋王氏しゅうおうし冬王氏とうおうしと。


しかし、血気盛んな彼らは互いの力を制御しきれず、国に争いが絶えなかったため、見かねた天宮の天女が四人の巫女姫を遣わし、それぞれの王を鎮めた。


以来、この国は巫女姫が統治するようになったのが始まりだと。


その名残で、この男は未だに琥珀を秋王氏などと呼ぶ。



「お前がここにいるということは……宮にたのまれたのか」


「宮さまには護送を命じられました。無事に夏㚖殿まで送り届けるようにと」


「過保護だなぁ。何もお前をつけなくてもいいのに」


不平そうにつぶやくと、御影は首を振った。


「いえ、むしろ宮さまにしてみれば、もっと護衛を増やしたいくらいでしょう」


「護衛を増やさないのは、影獅子のひとりとして行くからか。まあ、もし本当に四獣がいたら、光輪でわかるだろうけど」


御影は、一転して厳しい口調になった。


「そこまでの危険をおかせる御身ではないことを、秋王氏には自覚してもらいたい。宮さまの心労が、あなたにはお分かりか。そこまで、夏の郷の者に肩入れする理由を、御身を預かる者として教えていただきたい」


御影も、琥珀が夏㚖殿に行くことを、快くは思っていないのだ。

考えてみれば、当然のことかもしれない。


琥珀は、

開きかけた口を、力なく閉じてから言った。



「……ただ、ほうっておけない気がするんだ。その理由は、今はあかせない」


御影はひざまずき、うつむいた琥珀と視線を合わせて言った。


「失言をお許しください。しかし、忘れないでいただきたいのです。秋王氏は、なくてはならない郷のかなめ。決して無茶をしてはいけません」


琥珀が頷くと、御影は立ち上がって手を差しのべた。



「一番速いヒュウマで行きましょう。私がぎょせば、半日もかかりますまい」



琥珀は顔を上げた。



——手がかりだけでも、つかまなければいけない。


今はここで、立ち止まりたくなかった。




かすかに見えた、

背中の、あの光。




「うん、ヒュウマはまかせる」



琥珀は御影の手を取り、まだ薄暗い奇獣舎の門をくぐった。




***



半日もかからない、という御影の宣言通り、陽が昇る頃には、琥珀は夏㚖殿の門の前にいた。

名前は知っていても、足を踏み入れるのは、これが初めてだった。


すでに夏㚖殿にいる【影獅子】と交代をお願いしたいという旨を伝えたきり、警護の者はなかなか戻ってこない。


取り次ぎに時間がかかっているのだろう。

琥珀は、はるか下方に広がる郷の様子を眺めた。

もう昼近いというのに、人の姿はまばらで、沈んだように静かだ。


石造りの建物を見慣れているせいか、眼科の茅葺き屋根は、強い風が吹けば飛ばされそうに脆く、質素に映る。

新しい宮が登極すれば、もう少し賑わう郷になるだろうか。


「こちらの様子がめずらしいですか」


その心中を察したように、

御影は琥珀と視線を同じくして言った。


「夏の郷は、先代の巫女姫の統治が短かったのです。確か一年ももたなかったと聞きます。この郷は、長く宮の不在が続いている。だからこそ、登極は急務なのでしょう」



御影が言い終わるのと同時に門が開き、なかから先ほどの門番と、派遣されていた二名の影獅子が姿を現した。

彼らもさすがに、自分の郷の四獣は心得ている。


二人の影獅子——りん玻璃はり——は、琥珀が御影と並んでいるのを見て、目を見開いた。

だが、余程のことがあると察したのだろう。

何も言わず、敬礼するに留めた。


御影は、宮からの言伝があると断り、門番に背を向けると、困惑顔のふたりに耳打ちした。


「お前たちは、これに乗っていったん郷に戻り、明朝、ヒュウマをまたここに連れてきてくれ」


「獅子王さま、しかし」


四獣である琥珀が滞在することを、ふたりとももちろん良しとしないのだ。

御影は、その気持ちを推し量って言った。



「心配するな。仇をなす者は、私が容赦しない。ヒュウマのことをたのむ」



しぶしぶ、といった体で帰る後ろ姿を見送りながら、御影は危うく嘆息しそうになった。

当の琥珀は、何食わぬ顔をしている。




「では、おふたりはこちらへ」



案内されたのは、高くそびえる夏㚖殿の楼閣のなかだった。


琥珀と御影は、いつ終わるともしれない廊下を歩き続けた後、一番角の部屋に通された。

そこでは黒い袍をまとったひとりの男が、ふたりを待っていた。



「ようこそ、夏の郷へ。宮代を務める、篠竹と申します」



——こいつが、宮代わりか。



琥珀は、舌打ちしたくなるのをこらえて、彼を検分した。


裾の長い袍には金色の刺繍がほどこされ、その格好があるじ然としている。

しわの刻まれた顔には疲弊した様子があり、他の郷の者を呼ばなければいけない事態であることを、暗に知らせているようでもあった。



当の——《葵の宮》は、何をしているのだろう。



まだ登極していないと頭ではわかっていても、このように宮代がすべてを取り仕切るのは、無理がある気がした。


本来は、登極前に、他の郷が介入すべきではないのだ。

それを承知しているのか、篠竹は幾分すまなそうな顔つきになって言った。



「再び影獅子の方に来ていただけるとは。楓の宮さまのご厚情には、私も日々恐悦しております」


御影は、その言葉を受けて言った。


「宮代の方におかれましては、何かと不安なこともおありでしょう。短い間ですが、微力ながら助太刀しますので、何なりとご用命ください」


「おお、それは、なんとたのもしい」



琥珀はそのやりとりを聞いているのがだんだん阿呆らしくなり、少しだけ嘆息すると、篠竹に対し正面をきって言った。



「冬の郷の四獣がいる、という噂は本当なのか」



篠竹は一瞬虚を突かれたようだったが、先ほどより深刻そうな面持ちになって言った。



「確かに、ただの噂ではありますが、助力を請うたのはそれが原因なのです。影獅子の方々には、夏㚖殿の警備をお願いしたい」



「それは承知しますが、こちらの郷の四獣は、まだ特定されていないのですか」



御影は、さらりと聞いた。


事情は察するが、まずは四獣を見つけなければ、登極することもできない。



——ほむらか。



琥珀は、楓の宮に聞かされたその名を、胸のうちでなぞった。

篠竹は、それについては考えつくしているのか、あきらめるように瞑目して言った。



「残念ながら、私はあくまで宮代にすぎません。四獣は、天から力を与えられた巫女姫が見出すもの。葵の宮が無事に四獣を見つけるまで、すべての懸案を取り除かなければいけない。それが、私の宮代の務めだと思っています。

仮に、夏至を過ぎてしまっても、私はここで、焦らず待つつもりです」










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