173 - 思い出のスタードルフィン

 一体の宙泳機ドルフィンが高速でアステロイド帯に突入した。緩やかなノーズから流線状にボリュームを増すそのボディラインは地球の海中で暮らす本物のドルフィンのように力強く引き締まっている。左右と縦のひれは姿勢制御を担い、尾びれは推進のため大きく雄大に揺り動かされている。ピピピとアラームが騒ぎ、ドルフィンと同じサイズの――およそ20メートルほどの小惑星の接近を知らせる。


 ドルフィン中央部のコクピットに座るカイルは、アステロイド帯に飛び込んだ時点でよわい30にもなる自身の老体に鞭を打つ覚悟をしていた。可視光、非可視電波、レーダーマップ、重力値感知図――様々なモニタに囲まれ、その中心にある座席で二つの操縦桿を握りしめている。機体をその小惑星に接近させ、腹部で面をなぞるように敢えてギリギリで躱していく。死角から同じ規模の小惑星が無数に現れたが、それらも巧みなひれの制御で流れるようにやり過ごしていく。背後の様子を確認した。撒いたか――淡い期待が生じる。


 しかし、重力値を監視しているモニタ――自機を中心に黒字に緑の蛍光ラインが円状に何重にも描かれた図の秩序ある描写が、不自然に揺れて跳ね上がった。


「知っているか、カイル」聞き慣れた男の声だ。「夢に出てきて欲しい人の写真を枕の下に入れて寝ると、その想いは実現するらしい」


 宿命の男だった。なるほど、こいつはシリアスだ――

 相手が彼であれば、そう簡単には逃がしてくれないだろう。


 背後モニタに青白い光が映る。敵機が放つハチソン機関の駆動光スプライト。同じ宙泳ちゅうえい機ではあるがカイルのそれとは違い――そのフォルムは薄い羽をもつコウモリに近かった。胴体の中央では一基のハチソン機関が光を放ち、塵のような小惑星が蠢く汚れた宇宙空間の中、その閃光はさらに強く明るさを増した。重力感知図にある幾重もの円がグッと円錐を描き出し、局所的に巨大な〈反重力場〉が発生したことを示す。コウモリはその最頂部に機体を置いており――三次元上の視覚ではその“重力的な高さ”を確認することはできないが――そのまま〈場〉の急斜面を滑降し、ドルフィンとの距離を一気に接近させた。


 コウモリを操る男は通信機の向こうで続ける。

「お前が死ぬ瞬間を撮影キャプチャしてやる。それを現像して枕の下に入れて、お前が死ぬ夢を毎晩見てやるよ」


 カイルはドルフィンを急旋回させコウモリの射程から身を反らすと、その通信に応答した。


「夢で見たい人の写真を枕の下に、か。いい事を聞いた」


 自分でも思っていた以上の余裕めいた声だった。窮地ではあるものの悪い気分ではない事に気付く。


 ドルフィンの尾の付け根にも敵機と同じくハチソン機関が備わっている。カイルはスプライトを生じさせ、反重力斜面に機体を走らせる。途中、不意に正面に小惑星が顔を覗かせたが、ひれを操り緩やかにそれを泳ぎ躱した。我ながら惚れ惚れする操縦だ――思わず笑みが零れる。


「地球に帰ったら、おれの枕の下にはおれのイカした写真を入れてみよう。いい夢が見れそうだ」


 相手からの電波が荒れる。

「舐めやがって。このナルシストが」


 コウモリの頭部が淡く桜色に輝く。スプライトとはまた別の光――不確定性波動粒子砲フィラデルフィア・ビームの準備光だ。この後に生じるビームに触れたものは、その物質がありとあらゆる想定されうる可能性すべての状態を同時に引き起こす。そしてそのいずれかの世界線の誰かがいち早く同じ世界線上にある当該物質の状態を観測すると、粒子の状態は収縮して固定され事実が確定する――防御不能の不思議光線だ。


「こいつはシリアスだ。連邦はそれを完成させていたのか」


 小惑星帯の中をドルフィンが逃げ、コウモリがそれを追う。時折、桜色のビームが直線状に放たれる。それを浴びた小惑星たちがあるいは凍り、あるいは燃え盛り、あるいは分子崩壊し液体や霧になり、黄金になったり融合したりしている。


 カイルはその光線のことごとくを避けてドルフィンを走らせた。共に時折スプライトを光らせて、反重力の斜面を下りながら。


***

**


 カイルはヒーローだった。

 火星で開かれた宙泳機ドルフィンレース・オリンポス杯でカイルは優勝し、太陽系全土でその知名度を決定的なものにした。火星の双子衛星フォボスとデイモスのシケインでカイルと争い敗北した兄のカオルは、以降、レーサーとしてドルフィンに搭乗するのをやめていた。


 カイルの類まれなドルフィン操縦技術は、実はカオル模倣コピーだった。子供の頃はむしろカオルの方が天才と評され将来を期待されていたのだが、ある時からその横を――弟が兄の技術を巧みに扱って通り過ぎるようになった。オリンポス杯でその実力差はさらに広がり、そのレース以降兄弟は会う事もなく、やがて太陽系勢力が地球伝統派と系外移住派に分かれ木星の資源を巡る争いをはじめてからは、それぞれ敵対する組織に所属していた。


 そして今日、連邦の中枢に謎のドルフィンが単機で現れた。

 奇抜な飛行で艦隊を荒らしまわり、その隙に地球伝統派は木星の衛星拠点を制圧しようと動きだす。見え覚えのある飛行技術に、カオルは飛び出した。逃がすわけにはいかなかった。


**

***


「兄貴!」


 カイルからの通信にカオルはハッとする。

 度重なる〈場〉の生成で小惑星たちは荒れていた。四方八方へ飛び交う無数の岩石の中心にカオルの機体がある。逃げ場がない。スプライトを――しかし機体の限界を超えた操縦が祟ってか、逆に光は消失してしまった。ハッと息を飲み、瞬間的に死を覚悟する。その眼前にカイルの機体が現れた。ドルフィンのスプライトが発光し、〈場〉が小惑星をはじきとばす。


 二つの機体は、しばし宇宙の沈黙を共有した。

 やがてドルフィンは向きを変え、去っていく。


 通信ノイズが跳ねた。


「おれもなにかいい事を教えてやりたいが、いい豆知識が浮かばなくてな。なにか知りたいことはあるかい? 兄貴」


 遠ざかる敵機。薄れゆく通信。


「お前を消す方法だ……」震える声で、カオルは答えた。


「それはシリアスだ。……また走ろう、兄貴。できれば平和になった頃に、どこかのレースで」


 最後に、画像が送られてきた。

 それはレース後に兄弟で並ぶ、子供の頃の古い記念写真だった。


NEXT……174 - 劇場版 ギガゴリラVSカラテオーVS名も無き戦士VSアイナVSMedic07VSロビノくんVSR1-D1VSメカ掃除機VS真凛ちゃんVSホモ・サピエンス 集え!ぼくらのロボット達

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885626954

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