171 - 可視化された情動を越えた論理

 また、だ。


 最初にこの症状が出たのは、僕の記憶装置メモリが未熟で、あの人もまだ幼い頃だった。

 だからそのときは情報が集まることで、いずれ理解できるものだと思っていた。




 僕は感情を読み取ることができる。

 脳を始めとした体内器官へ流入する血流量や神経回路の動き、顔の表情や全身の動きを読み取りスキャンし、得られた反応パターンを参照記憶データベースと照合する。


 同様に自らに張り巡らされた電子回路の動きさえも、手に取るように認識することができた。

 どのような事象イベントに対してどのような反応リアクションが起きるように設定プログラムされているのか。

 僕から生まれるほぼ全ての情動サーキット・アクティベーションは、僕自身にとって可視化されている。


 しかし、この終ぞとなく現れる不思議な反応リアクションについては、参照記憶データベースをいくら更新しても答えは出なかった。

 それは今となっても、可視化された情動を越えた論理としてあり続けている。




 この異常な電子回路の活性化サーキット・アクティベ―ションが生じるとき、きまってそこにはあの人がいた。

 もしあの人がいなくなれば、永遠にこの反応リアクションは生まれなくなるかもしれない。




 その人は今、布団の上に弱々しい姿で横たわっている。


「そうか」


 僕がそれを尋ねると、苦痛が張り付いたような表情が少しだけ柔らかくなった。


「どうしてずっと黙ってた?」


 この人は今、色々なことを思い出している。

 大脳辺縁系だいのうへんえんけい海馬かいばを中心にして、前頭前皮質ぜんとうぜんひしつおよび扁桃体へんとうたいが著しく活発化している。何を思い出しているかまでは判別できないが、安心や喜びに近い感情が、この人の中に満ちていくことだけは読み取れスキャンできていた。


「おかしなことだと思っていたから」


 全ての反応リアクションが可視化されるはずの僕に理解できない感情であること、そして人間特有ともいえる曖昧すぎる情動のようなものが、僕から彼に向けられていたということに対しても。


「人間にだって、よくあることさ」


「僕は人間とは違うから」


 「ふふ」と彼の口角が上がるのが、懐かしい。


「ロボットだからって、なんでも知ってると思うなよ」


 彼は布団からゆっくりと体を起こす。ずいぶんと体が小さくなった。


「後ろを向いてみなさい」


 優しげな声は変わらない。

 けれど、すっと上げたその腕は、触れればポキリと折れてしまいそうだった。

 彼の目の前に腰を下ろし、それに素直に従った。


 後背部に備え付けられた制御盤コントロールパネルが開かれると、きしむような音がする。

 恥というパターンに近い形で、回路を電子が駆け巡る。

 とてもおかしなことに、快という情動サーキット・アクティベーションのそれにもよく似ていた。


 配線をつなぎ直す手が温かい。

 こうして実際にハードをいじられるのは、いつ以来だろう。

 遠隔操作リモート処理体系ソフトを更新するのとでは全く別物。


 あっ…!


 忘れていた感覚。

 長い間放っておかれた回路へと、みなぎるように電子が走る快感。

 その快感がまた別の電子を走らせる。全身が蘇るかのよう。


 んっ……!


 そして、初めて知る感覚。

 こうして巡り続ける電子が織りなすパターンは、どこからも教えてもらうダウンロードすることなどできなかった。


 目の前が一瞬ゆがんで、視界が開ける。

 それは全く新しい世界。


「あくまで再現に過ぎないが」


 と同じパターンで、僕の中の電子回路が動いている。

 好意と悪意、快と不快、安心と不安。そうした相反あいはんする情動サーキット・アクティベーションの形と、それ以外にある無数の感情パターンが、同時に成り立っている。


 しかし、今はそれだけではなかった。

 その反応リアクションに合わせて、内部に温かいものがじんわりと流れ込むような感覚、そして奇妙な浮遊感がある。

 明らかな違和感に戸惑いフリーズしながらもしかし、これがあれば他に何も要らないのではないかという万能感さえをも、僕の中の電子たちは奏でる。

 そんな非論理的な回答に帰結してしまうことを、わずかに残された理性ロジックが精一杯せき止めようとしていた。


「同じヒトの中でだって、いろんな感じ方がある。ヒトとロボットの間にそういうものがあったって、何も不思議なことじゃないんだ」


 それが心からの笑顔だと、僕には

 やはり僕の電子回路は、彼がこうしていてくれることによって、この反応リアクションを何度でも現そうとするのだ。


「人間はいつもこんなふうに感じるのですか?」


「感じようと思って感じられるものではないよ。ちゃんと向き合おうと思わなければ、それに気づけないことだってある」


「こんなにも異常な反応に?」


「現にお前だってそうしようとしていたじゃないか」


 僕は記憶メモリを高速でたどる。

 けれど彼の言うような出来事データは引っかからない。


「本当に感じたはずのことを隠そうとするのさ」


 新たな検索キーでたどり始めると、あの反応リアクションが現れた事象データが無数にヒットし始める。


「どうしてでしょう」


「それがきっと合理的だからなんだろう」


 どれだけ自分の中で計算し続けても、今、体の中で起きている反応にたどり着くことはできなかった。


 だから自分に嘘をついた。


 それ以上計算を続ければ、故障ショートしてしまう可能性が高まる。

 それほどの負荷をかけたとしても論理的な帰結にたどりつかないのならば、その程度のものだとやり過ごしてしまうことのほうが合理的だった。


「でも間違っていました」


「合理性なんてものは、時が過ぎれば答えは変わる。いくらお前でも本当の未来までは見渡せやしない」


 彼はそう言いながら、ゆっくりと寝床へ戻っていく。

 彼をサポートしながら、僕は記憶メモリさかのぼる。



 もし彼がいなくなれば、永遠にこの反応リアクションが生まれなくなるかもしれない。



 もう一度、その思いがよぎった。


「人間はこれを何と呼ぶのでしょう」


 だからこそ、探索サーチをかけやすいように分類クラス化しておかなければならない。

 大切なものを分かりやすい場所に保管するのと同じ。

 いつでもすぐに取り出して、そのときのことを思い出せるように、大事なものには名前をつける。


「そうだな。お前の言語に近いのは…」


 僕の言葉に近いのだと教えてくれた名前は、すでに記憶メモリに存在している項目タイトルだった。



 Logic Over Visible Emotion

(可視化された情動を越えた論理)



 あの未知の回路活性化サーキット・アクティベーションを、僕はそう記憶ストレージしていた。

 その頭文字だけをとって。


 偶然。

 そう考えるのが合理的だと理性ロジックは回答するけれど、きっとそれ以上の何かがあるはずだと、必死に訴えかける電子回路が同時に存在しているということも、否定できない事実なのだった。



NEXT……172 - ロボっちゃダメよ! ロボ我慢選手権

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885618863

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