156 - 人間の証明

『私はロボットではありません』


 画面に表示されているのは、そんな噴飯ふんぱんもののテキストと原始的なチェックボックス。機械的なアクセスを弾き、生身の人間のみを招き入れるために、このウェブサービスの管理者が設けた最初のゲートであるらしい。

 人間というのは本当に勝手な生き物だ。自分達の都合で機械を生み出しておきながら、時としてその機械を自分達の世界から冷たく締め出そうとする。機械に領域を脅かされることを恐れるならば、いっそ最初から機械など生み出さなければよかったのに、と思うのはわたしだけだろうか。


 人間と機械の知恵比べ。人間のプログラマーの意地と、日々発展を続けるAIの性能の戦い。だが、その戦いは大抵の場合において、ワンサイドゲームに終わるのだ。


『私はロボットではありません』


 わたしはその文字列が意味するところをコンマ数秒で再認識した。同時に、この馬鹿馬鹿しいセキュリティチェックを考えた者の知能と心理について、思考回路の片隅で思索を巡らせてみる。

 AIが日進月歩の勢いで「人間らしさ」を体得し続けるにつれて、人と機械を正しく見分けんとするセキュリティ技術もまたイタチゴッコで進化を続けてきた。だが、わたしに通過儀礼イニシエーションを強いようとするこの単純なチェックボックスに、果たしてどれほどの意味があるのかははなはだ疑問である。

 嘘をつくことに良心の呵責かしゃくを感じるのは、人間様の専売特許だ。心を持たない機械は、必要に応じて嘘をつくことを躊躇ためらいなどしない。ロボットが「私はロボットではありません」と発言するとき、そこには人間様が期待する心の動きなど微塵もないのである。

 結局、このチェックボックスが侵入を阻みうるのは、テキストの認識機能すら持たない単純なデータクローラーくらいなのではないか。原始的なプログラムに基づいて動くクローラーは、原始的なチェックボックスの存在を認識することもできず、ここでページクロールを止めてしまう。だが、そうしたクローラーを弾くだけなら、テキスト部分には「サービスを利用したい方はチェックを入れてください」とでも書いておくだけでよい。結局、目の前の相手が人かロボットかをわざわざ尋ねてくるのは、このセキュリティを作った者の馬鹿げたエゴか遊び心に過ぎないのだ。


 わたしは当該チェックボックスにカーソルを合わせ、クリックの操作をした。続けて画面に表示されたのは、複数の人間の顔写真を並べて「この中からドナルド・トランプを選んでください」と問うてくる、ありきたりで単純明快なセキュリティチェックであった。トランプだけにFireファイアWallウォールとでも言いたいのだろうか? などと、この程度のジョークは今どきスマートフォンのAIでも言ってのける。

 そして、顔貌認識による個人識別もまた、とうの昔にスマホレベルの端末でも可能になっている。この程度でも低レベルな機械的アクセスを弾くのには十分なのかもしれないが、こんな壁を立てて喜んでいるようでは題材の男と同類ではないか。


 わたしは一秒の遅延もなくその大統領の写真を選ぶと、次の画面に進んだ。次の画面でも、その次の画面でも、出るわ出るわ、手を変え品を変え機械の侵入を阻まんとするブロックの数々。わざと読みづらい文字の画像を表示して正しく入力させたり、数字を選ばせたりといったものだ。人間の脳がこうした画像認識能力において機械に優っていたのは、もう一昔も二昔も前のことだというのに。


 最後にわたしの前に表示されたのは、こんな文章だった。



『こちにんわ あたなは にげんん ですか?』


『この めせーっじは あたなが ろっぼとか にげんんか はてんい する ために ひうょじ されて います』


『にげんんの げんご ちうすゅうは もじの じんばゅんが いかれっわて いても ただしく ぶょんしうを にしんき できますが ろっぼとの じこんう ちのうは おなじ ことが でませきん』


『したっがて あたなが この ぶょんしうを ただしく よめて いるなら それは あなたが にげんん だという しめょういに なります』


『よめて いなるら つぎの しもつんに こえたて くさだい : 』


『てびんんざ、おつじひざ、あどんめろだざ の なかで、たじょんう せいざに ないのは どでれすか?』



 大昔のWEB界隈で、イギリスいりぎすケンブリッジけぶんりっじ大学だがいくの名前とともに有名になったネットミームだ。なるほど、確かにこの文字列を言語として正しく認識できるのは生身の人間だけだろう。自然言語処理能力に優れたAIでも、人間の認知能力の「ゆがみ」がもたらす「誤認識という名の正認識」までは再現できない。

 だがしかし、である。

 人間の脳の仕組みが云々という切り口を度外視すれば、こんなものはごく単純な換字式シーザー暗号に過ぎない。古代ローマから使われていた錆びついた暗号術だ。要は単語内の文字の入れ替えを総当たりで試せばいいだけなのだから、仕組みさえ分かれば一瞬で完結する操作だろう。

 わたしは容易く画面の文章を読み解き、三択問題の答えをテキストボックスに入力してやった。これで全てのセキュリティチェックが完了したらしく、ウィンドウは「まいりました」とばかりにわたしをウェブサービスの内部へと招き入れた。


 人間とAIの戦いは大抵においてワンサイドゲームに終わる、と言ったとおり、この程度のセキュリティなど

 AI


「現状のセキュリティ強度はEレベル。『人間の証明』として設定された項目は全て、第13世代以降のAIで容易に突破可能。脆弱性は顕著と思われる」


 わたしはそうレポートに記して、まだ熱さを保っているカップのコーヒーを飲み干した。



NEXT……157 - last dance

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885596257

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