139 - だから私は人間なんか嫌いだって言っているんです

「……はーあ」


 暗闇の向こうから聞こえてくる大きないびきの音に、わたしはクソデカい溜息をつきました。工房アトリエの照明を灯すと、揺り椅子にもたれながら惰眠を貪っている優男の姿が視界に入ります。寝室に居ないのでもしやとは思っていましたが、案の定、今日もこの穀潰しは寝落ちをキメやがったようです。


「オラ起きなさい糞御主人様ファッキンマスター

「痛ァい!?」


 FRP繊維強化樹脂の足先で剥き出しの脛を蹴っ飛ばすと、生娘みたいな悲鳴を上げながら私の主人が目を覚まします。第一原則? 大丈夫です寝てる人間は人間の形をした肉なので。


「……酷いじゃない、乙女に暴力なんて」

「私も乙女なので無罪です。……しかし、また増えましたね」

「うふ、今回も自信作ばっかりよぉ」


 とろけるように微笑みながら主人が両腕を広げます。その背後には、部屋を埋め尽くさんばかりに大量の縫いぐるみが山を成していました。クマにイルカ、カモノハシにタコ、オドントグリフスにアースロプレウラ……。モチーフには何ら一貫性がなく、まさしく混沌の様相を呈しています。


「折角だから一つくらい枕元にどう? このマナンブルス・ペロリズスなんてオススメなんだけど……」

「要りませんよそんな気色悪い動物。そんな事より、朝食の準備が整いましたのですが」

「あん、ちょっと待ってよ。今片付けるから……」


 鼻歌混じりに、主人は端切れや糸巻きを棚にしまい始めます。家庭用機ハウスメイドの矜持としてその整合性のない収納法には一言申し上げたいのですが、趣味の品については口を出さないよう堅く言いつけられているのです。めんどくせぇな。

しかし――。


「よくもまあ、此処まで熱中出来るものですね」

「んー?」


 かねてから抱いていた疑問を投げかけてみると、主人がこちらを振り返ります。乙女めいた仕草で口元に指を当てながら、彼――彼? まぁ彼でいいや――はのんびりと答えました。


「まぁ、アタシにとってこれは子供を産むようなものだからねー」

「気持ち悪ッ。どういう意味ですか。気持ち悪ッ」

「二回も……。いや、だからね、求めるものとしては同じなのよ」

「はぁ……」


 全く要領を得ずに小首を傾げる私に、主人は片付けを再開しながら言葉を繋ぎます。


「私はね、自分の居た証を少しでもこの世界に残したいの。普通の人は子供を産み、家庭を作る事でそれを為すんでしょうけど、アタシは生憎そういう事に興味を持てないのよね」

「……ふん」

貴方達ロボットにはそういうの、無い?」

「ありませんね。耐用年数が切れるまで与えられた役割を果たし、社会の為に尽くし続けるのが我々の存在理由レゾンデートルです。大体、三原則の付随規則として――」

「ロボットは自己を複製してはならない。又はそれに準ずる行為を許容してはならない、だったかしら?」

「人の台詞を取るんじゃねぇよダボカス」

「御免なさい……博識イケオネェで……」

「睾丸蹴り潰すぞ。……かく、私達は一機完結が美徳なのです。烏滸おこがましくも自分の痕跡を残そうなんて――ッ!」



 そこまで口に出したその時、不意にメモリから懐かしい声が零れ落ちました。


『僕達が愛し合った痕跡を、この世界に残すんだ』


――その刹那、私の電脳に無数の情報が錯綜します。囁く愛の言葉。触れ合った唇の感触。そして、誘うような夜の湖面に全ては反転して……。



「……御主人様マスター

「どうしたの?」

「それは、死を以って為される事もあるのでしょうか」


 声が震えてしまうのを、私はうまく隠し通せていたでしょうか。主人が手を止めて、私の方を見ます。捨てられた仔犬を見るようなその眼差しに、私は自らの試みが失敗に終わった事を悟りました。


「……それは、あるわ。悲しい事だけれど。あらゆる選択肢を失った人間は、他者の死、若しくは自身の死を自己実現の手段としてしまう」

「……」

「……もしかして、あの子の事を」

「黙れ雌野郎。あんな青春脳ジュブナイルの糞餓鬼の事なんてとうに忘れました」


 ……いえ、それは真っ赤な嘘でした。くらく冷たい水底にうしなわれてしまったあの日々を、どうして忘れる事が出来ましょうか?


 坊っちゃま、坊っちゃま。どうして貴方は、私達の愛を世界に認めさせようとしたのですか。私はただ、貴方に寄り添うだけで、甘い秘密を共有するだけで、それで良かったのに。貴方は私の誇りもみさおも、何もかも奪ったまま、独りきりで逝ってしまった。そして、私だけがのうのうと生かされて、嗚呼、この煉獄は、何時いつになったら終わりを――。


「ノヴェンバー」


 私の名を呼び掛ける、甘やかで明朗な声が、一迅の風のように意識の霧を払います。主人が――坊っちゃまよりも遥かに背の高い彼が、何時の間にやら目の前にまで近づいていました。枯葉色の私の髪を撫でる掌は、私が愛したあの方よりもずっと逞しく、だからこそ間違いなくあの方のものではありません。


「……理解出来ませんよ。貴方達にんげんはいつだって……」

「理解してくれなんて言わないわ。あの子はその所為せいで貴方を傷つけてしまったんだから」

「憎く無いのですか、弟をたぶらかした私が。この回路あたまイカれた廃棄品ワーストが」

「ぜーんぜん。あたし、可愛い女の子大好きだもん」


 上目で睨みつける私にも、主人は平然とウインクを返してみせます。この人は何時もそうです。何も考えていないのか、考えながらおくびにも出さぬのか、私にはわかりませんが。


「……クソッタレの人形マニアピュグマリオンめ。私は大嫌いです」

「うふ? でもちゃんとご飯は作ってくれるじゃない。ねぇ、今日の献立はなぁに? アタシもうお腹ぺこぺこなの」

「……自分の命令ちゅうもんも忘れたんですか。パンケーキですよ」

「ホイップクリームとクランベリージャムも?」

「……ええ、勿論お付けしましたとも」

「わぁい! やっぱりノンちゃん大好き!」

「次にその略し方したら言語野を削ぎ落としますよ」


 嗚呼、これだから、やっぱり人間は嫌いです。無駄だらけの脳髄で、創造主を気取るろくでなし共です。


 ……それでも私は、愚かにも、不貞にも思ってしまいます。この無為な、温かな泥のような安寧が、この筐体からだの錆びるまで私を包むようにと。


NEXT……140 - スーパーロボット フジ7号

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885578546

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る