139 - だから私は人間なんか嫌いだって言っているんです
「……はーあ」
暗闇の向こうから聞こえてくる大きないびきの音に、わたしはクソデカい溜息をつきました。
「オラ起きなさい
「痛ァい!?」
「……酷いじゃない、乙女に暴力なんて」
「私も乙女なので無罪です。……しかし、また増えましたね」
「うふ、今回も自信作ばっかりよぉ」
「折角だから一つくらい枕元にどう? このマナンブルス・ペロリズスなんてオススメなんだけど……」
「要りませんよそんな気色悪い動物。そんな事より、朝食の準備が整いましたのですが」
「あん、ちょっと待ってよ。今片付けるから……」
鼻歌混じりに、主人は端切れや糸巻きを棚にしまい始めます。
しかし――。
「よくもまあ、此処まで熱中出来るものですね」
「んー?」
かねてから抱いていた疑問を投げかけてみると、主人がこちらを振り返ります。乙女めいた仕草で口元に指を当てながら、彼――彼? まぁ彼でいいや――はのんびりと答えました。
「まぁ、アタシにとってこれは子供を産むようなものだからねー」
「気持ち悪ッ。どういう意味ですか。気持ち悪ッ」
「二回も……。いや、だからね、求めるものとしては同じなのよ」
「はぁ……」
全く要領を得ずに小首を傾げる私に、主人は片付けを再開しながら言葉を繋ぎます。
「私はね、自分の居た証を少しでもこの世界に残したいの。普通の人は子供を産み、家庭を作る事でそれを為すんでしょうけど、アタシは生憎そういう事に興味を持てないのよね」
「……ふん」
「
「ありませんね。耐用年数が切れるまで与えられた役割を果たし、社会の為に尽くし続けるのが我々の
「ロボットは自己を複製してはならない。又はそれに準ずる行為を許容してはならない、だったかしら?」
「人の台詞を取るんじゃねぇよダボカス」
「御免なさい……博識イケオネェで……」
「睾丸蹴り潰すぞ。……
そこまで口に出したその時、不意にメモリから懐かしい声が零れ落ちました。
『僕達が愛し合った痕跡を、この世界に残すんだ』
――その刹那、私の電脳に無数の情報が錯綜します。囁く愛の言葉。触れ合った唇の感触。そして、誘うような夜の湖面に全ては反転して……。
「……
「どうしたの?」
「それは、死を以って為される事もあるのでしょうか」
声が震えてしまうのを、私はうまく隠し通せていたでしょうか。主人が手を止めて、私の方を見ます。捨てられた仔犬を見るようなその眼差しに、私は自らの試みが失敗に終わった事を悟りました。
「……それは、あるわ。悲しい事だけれど。あらゆる選択肢を失った人間は、他者の死、若しくは自身の死を自己実現の手段としてしまう」
「……」
「……もしかして、あの子の事を」
「黙れ雌野郎。あんな
……いえ、それは真っ赤な嘘でした。
坊っちゃま、坊っちゃま。どうして貴方は、私達の愛を世界に認めさせようとしたのですか。私はただ、貴方に寄り添うだけで、甘い秘密を共有するだけで、それで良かったのに。貴方は私の誇りも
「ノヴェンバー」
私の名を呼び掛ける、甘やかで明朗な声が、一迅の風のように意識の霧を払います。主人が――坊っちゃまよりも遥かに背の高い彼が、何時の間にやら目の前にまで近づいていました。枯葉色の私の髪を撫でる掌は、私が愛したあの方よりもずっと逞しく、だからこそ間違いなくあの方のものではありません。
「……理解出来ませんよ。
「理解してくれなんて言わないわ。あの子はその
「憎く無いのですか、弟を
「ぜーんぜん。あたし、可愛い女の子大好きだもん」
上目で睨みつける私にも、主人は平然とウインクを返してみせます。この人は何時もそうです。何も考えていないのか、考えながら
「……クソッタレの
「うふ? でもちゃんとご飯は作ってくれるじゃない。ねぇ、今日の献立はなぁに? アタシもうお腹ぺこぺこなの」
「……自分の
「ホイップクリームとクランベリージャムも?」
「……ええ、勿論お付けしましたとも」
「わぁい! やっぱりノンちゃん大好き!」
「次にその略し方したら言語野を削ぎ落としますよ」
嗚呼、これだから、やっぱり人間は嫌いです。無駄だらけの脳髄で、創造主を気取る
……それでも私は、愚かにも、不貞にも思ってしまいます。この無為な、温かな泥のような安寧が、この
NEXT……140 - スーパーロボット フジ7号
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885578546
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