073 - Code:A.V.I.S. 深海大決戦 岡鯨の夏

注:本作に登場する人物年表その他諸々はまったく全て出鱈目である。承知の上ご笑覧あれ。



 それは果て無き深海ふかみより現れ出でて、瞬く間に七つの海を席巻した。発見より僅か半年、人類から海路の悉くを奪い去ったその名はアビス。水面みなも舞う海鳥が如き麗しき異形。国連呼称『Anhydrous Void Isomers Swarm』――無水空隙異性体群。深淵よりきたるもの、故に『A.V.I.S.』。人類の新たなる天敵、機械とも生物ともわからぬモノ……。


 とある海洋大国の話をしよう。

 第六次大戦後に人工石油産出国として一躍世界経済に返り咲いた矢先の日本帝国は正歴2017年の末、ついにアビスにその沿岸ぐるりを制圧され瀕死の大打撃を負う。沿岸の民は故郷を捨て山間部へと疎開し、国内の経済活動は凍りついた。同年11月、長野への遷都が満場一致で閣議決定。荒廃した帝都東京は江戸府へとその名を変える。

 時に正歴2018年中秋、帝国海軍は対アビス反抗作戦である『十月作戦』を発令。河川砲艇12隻からなる船隊を露払いに新鋭ト号潜水艦隊総勢28隻が奥多摩臨時造船所より出航。多摩運河河口にて大激戦の末、総戦力の2割を損耗しつつも横須賀海軍基地の奪還に至る。

 同時期、帝国陸軍日本海方面軍の主導のもと敢行された舞鶴・能登半島奪還作戦が成功。翌年に佐渡ヶ島を奪還し金山を再稼働。事ここに至り、帝国両軍はついに北太平洋奪回に本腰をいれる。

 しかしその矢先の正歴2019年、予期せぬ事態に帝国は停滞を余儀なくされる。日本海溝深部より発生した新型アビスの台頭である。

 新型は帝国のト号潜水艦を鎧袖一触、遭遇戦では八丈島接岸間際の潜水艦隊が1隻を残し壊滅する。また日本海においては完全孤立した佐渡駐留軍が壮絶な総員自決を遂げ、人類の版図は再び縮小の一途を辿ることとなる。


 しかし、それでも。人類の瞳に宿った火は、未だ消えずにいた――。



 その日、鯨井くじらい一平太いっぺいたは横須賀海軍基地の秘密格納庫に足を踏み入れていた。半年前まで尉官の位にあったとはいえ、すでに彼は除隊している身。常ならば足を踏み入れるどころか覗き見ることすら許されない場所だ。

 それが許されているという事は、つまり常ではない事態が進行している、という事になる。彼の感じている息苦しさは、久し振りの詰め襟の所為だけではあるまい。一平太は冷房のよく効いた管理棟の応接間に直立不動の姿勢で、彼を呼びつけた当人の到着を待っていた。

 戦場うみとは一味違った緊張感に冷や汗がじわりと滲んで、やがて揮発して消えた。


「やあすまない。こちらから呼びつけたのに待たせてしまった」


 応接間の片開き戸を開けて現れたのは、額の汗を麻のハンケチで拭う白衣の紳士だった。一平太が敬礼で迎える。アビスの台頭からここ数年、夏は随分と暦にのさばり、外はうだるような暑さである。


「鯨井一平太、帝国海軍中尉であります」


「敬礼は結構。僕も軍属ではないからね。君の来歴はよく知っているとも。八丈島攻略作戦から奇跡の生還を果たしたト号潜水艦の――」


「奇跡なんておためごかすのはやめて下さい。生き恥を晒しただけです」


 精悍な一平太の顔付きに翳りが生じた。それが彼が軍を辞した原因ともなれば、もはや古傷である。


「無論、奇跡の一言で片付けるつもりはないとも。君のサブマリナーとしての実力が死線を越えさせたのさ。だからこそ……おっと」


 しかし紳士はそういう機微にまるで興味がないようであった。彼は上機嫌で一平太の古傷をえぐり散らかすと、ふと忘れ物に気がついたように右手を差し出した。


「自己紹介がまだだったね。僕はジャスティン・魚之江ウオノエ。ご覧の通り米国人とのダブルだ。水棲生物学と機械工学で博士号を持ってる、しがない学者さ」


 紳士こと魚之江博士の握手に応じる一平太が、この僅かな時間でその難解な感性に内心ひどく参ったのも無理からぬことである。数年ほど歳をくったような気さえした。

 彼は疲れた声で尋ねた。


「それで小官……いや、私は何故呼びつけられたんです」


「うむ。冷房は惜しいが、こればかりは実際に見たほうが早いな。きたまえ」


 魚之江博士は言うが早いか白衣を翻して応接間を飛び出した。唐突にすぎる。呆気にとられた一平太も、冷房機が一周期スイングした後に慌ててその後を追った。



「見給え。これが強襲揚陸歩行潜水艦、『パキケトゥス』だ」


 魚之江博士は眼下の乾ドックに鎮座するモノを指差して、高らかに宣言した。一平太は博士の奇天烈さについていけないまでも、その奇妙な『潜水艦』には目を奪われる。

 それは前後を切り詰めた潜水艦に二本足を生やした、例えるならばひっくり返した音叉にも似た黒光りする巨体であった。


「パキ……?」


「パキケトゥス。遥か新生代の昔、陸を諦めきれずに海を出た足付きクジラから名をとったんだ。イカすだろう? 人類だって馬鹿じゃない。アビスの解析は日進月歩で進んでいる。こいつの根幹技術だってアビス由来のアンチヴォイド場……つまりは奴らのバリヤーの応用さ。どうだい、潜水艦としてはあまりに流体力学を無視したフォルムだろう。だがね、高速海中移動形態『イナクス』なら海中を最大100ノットの猛スピードで駆け回るし、強襲二足歩行上陸形態『アトッキ』ならば地上を時速150キロで走り回ることだってできる。素晴らしい。主砲の対A.V.I.S.徹甲弾をバラまく120ミリランチャーはまさに対アビス決戦兵器だ。こいつは僕の、いや帝国海軍の、いやいやまだ足りないな。そう、人類の虎の子だ」


 魚之江博士は満面の笑みを浮かべ、我が子を誇るように大きく両手を広げた。


「君が乗るんだ」


 その瞬間、一平太は強い衝撃を受けた。半年の空白期間ブランクこそあれ、歴戦といって差し支えない彼が。貧弱な学者風情の醸す迫力に、気圧されたのだ。米国人由来の、青い瞳の奥に猛々しく燃える気焔に気圧されたのだ。


「俺が……」


 一平太から、肩書きだとかのせせこましいしがらみが吹き飛んだ。今この時、この場にはただ、鯨井一平太というひとりの男がいた。


 やり切れぬ怒りと失意で淀んでいた鯨油ねんりょうに種火が投げ込まれ、炎となって燃え盛るのを、一平太は確かに感じた。


NEXT……074 - 私のトマトパスタがマスターの好物でした ‐マスターを待ち続けて三百万時間‐

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885513173

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