086 - 目の中の地球は未来を見るか
「マスターは言っていまシタ。アナタはワタシのことを解体できると。そうデスカ?」
「………ええ」
「では、よろしくお願いしマス」
そう言ってトム_____私の前にいるロボットは、まるで人間のように頭を下げた。依頼人の痩せ細った老紳士が昨晩私にしたように。
いつか来ると思っていた依頼だったが、まさか本当にこんな日が来るとは。ぎゅっ、と拳を握る。肺の中の濁ったなにかを吐き出すようにして息を吐いた。隣でガラスの目をしたトムが私のことを見ている。
私は今から、彼のあらゆる機能をひとつずつ奪う。
そして最後に、もう苦しくなくなったところで心臓代わりのパーツを取り外す。
私は今から、依頼人が深く愛したこのロボットを、
人型ロボットChick-2870___通称chickが普及し始めてもう随分と経った。工業用ロボットと異なるそれはアンドロイドというより人型ロボットといったほうが正確で、初期のデータベースは未登録に近い。
購入した者が共に生活しながら言葉や所作を教えることで、自分の望む通りのロボットに育てあげることが出来るのである。
まるでこの世に彼らが生まれ落ちた瞬間から親が子を育てるように。
どれだけ科学技術が発展してロボットの修理をもロボットが行う時代になっても、我が子同然のchickを人の手によって丁寧に修理してほしいと考える人間は少なくない。
そのような人間の依頼を受けて、chickのメンテナンスや修理を手作業で行うのが私の主な仕事である。
主な、と言ったのは、たった今対峙している仕事がその枠を外れているからにすぎないのだけれど。
「…本当に、いいの?」
「はい、なぜならマスターが決めたことデス。
もうきちんとオワカレをしました」
その言葉を聞きながら私は工具を並べる。トム、と依頼人が呼んでいたそのロボットは体を横たえたまま、私のことを見ていた。
「…始めますね。まずは嗅覚にあたるパーツから」
「ハイ」
chickの解体、つまり、もう二度と使えないようにする。
それが、今回の依頼だ。
最初でないと外せない部位にあるそれをまず外す。トムの体から、上質なオイルの匂いが微かに香る。
「_____ワタシの中に今、ココロがありマス」
「ええ」
「様々なものデス。その中になまえ、知らない感情がありマス。」
教養に満ちた主人だったのであろう、流暢に言葉を操る彼を前にしながら、私はまた何も言えずに そう、とだけ言って作業を続けた。
まずはひとつ。トムの中から嗅覚が消える。
次は温痛覚。彼が一度、ちいさく震えた。剥き出しになったパーツが私の指に刺さる。ちくりと痛い。
「ワタシの中にある感情、これは、ワタシの目に見えるものに対してではナイ」
「…そう」
その後も私は相槌だけを打ちながら、無心でパーツを外した。末梢の感覚を司るパーツ。眼球運動を司るパーツ。chickの構成は複雑で、ひとつ外す毎に少しずつトムの機能が失われていくのがわかる。
彼は私が目立った反応を見せぬことに何も言わず、ぽつりぽつりと雨垂れのように言葉を漏らす。まるで最期の言葉を紡ぐように。
「アナタ、は、」
独り言のようであったそれから一転、トムは私に対して言葉を投げた。手を止める。
「どうしたの?」
「この仕事を、なぜ承諾したのデスカ?」
だって、アナタ、ずっと泣いているのに。
トムがそう言って、私の頰にアームを伸ばした。ひやりとした金属の冷たさが私の頰に届く。私の涙を拭ったところでトムはもう、その涙の質感を感じることは出来ない。
きっと、あの依頼人の涙も同じように拭ってきたであろうそれが涙の冷たさを知ることはもう二度とない。そのことが哀しくて、狂おしいほどに辛い。
「アナタの目、美しいデス。地球と同じイロ。その目は、アナタは、知っています、ソウでしょう?
ワタシが今持っている、この感情の名前を、理由を。ワタシが知らないソレの」
「ええ、おそらく」
それは、依頼人がこれまで敢えて教えてこなかったのであろうものだ。自分が、そしてトム自身が消えゆくことへの恐れと死への恐怖を、彼はトムに言葉として植え付けなかった。恐らく最期まで己のそれを諭らせないために。
概念としての死を伝えることなく彼は、トムの前から姿を消すことにしたのだ。トムと共に生きる主人となる誰かを1人残らず失う経験をさせないために。それよりもはやく、彼自身の決断でトムのすべてを終わらせようとした。
トムの綺麗な目が私をまっすぐに射抜く。
「教えてくだサイ。
マスターは昨日、アナタに何と言って承諾してもらったか」
「嫌よ」
いやだ、言えない、言えるわけがない。
昨日、
「どうかお願いです、私のロボットを、トムをいちばん楽に解体して下さい。身寄りのない私が死んだら、トムは1人で死んだような状態のまま死ねずに過ごすことになる。
彼の形無き命は、己の手によって死ぬことの出来ない彼のことは、主人である私が終わらせてやらないといけません。
____私が死ぬ前に。」
そう言った彼の、その深い思いを、他人が汲み取ることは許されるのだろうか?
「なんと言ったのかは教えられない、でも、あなたに対する彼の感情の名前は教えられる。
…それは、愛、というの。」
「………ア、イ?」
「そう、愛。感情になると、愛情という名前になる」
「アイ、ジョウ」
そう告げた時の、無機質なはずのトムの目が美しかったから。あまりにも、欲しいとおもってしまったから。
「ねえ。」
「ハイ」
「…まだ解体されずに私と生きるというのは、どうかな」
そんな言葉を吐いた。
老紳士の死も、その失う苦しみも、でもその先に広がっているであろう数多の喜びも、となりで共有するのはどうだろう。
「ワタシのマスターは1人デス。
だから、…センセイ、と呼ばせてくだサイ。
ワタシを生かしてくれるカタ。」
そう言ってトムは、無機質な冷たいアームで私の手を握る。もう一度そのアームに感覚が戻った時、いちばんに感じるのは私の手の温もりであればいいと思いつつ、私は先ほどのパーツを組み立て直すべく工具を手に取った。
NEXT……087 - 水科愛の愛と、2030年の哲学
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885526707
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