074 - 私のトマトパスタがマスターの好物でした ‐マスターを待ち続けて三百万時間‐
あと、八万八千百五時間から九万五千十三時間。
目の前に広がる夜空は、メモリの中にある地球の夜空とは違う模様をしていました。観測基準となる星が違うのですから、当たり前なのですが。
――三百四万三千五百二十四時間十三分五十六秒。
これは、私が惑星フェイhXeでマスターを待ち始めてから、現在に至るまでの経過時間です。
エイプリルという少女型アンドロイドが、カイというマスターと地球で過ごした時間の約十一倍の時間です。
私が、マスターの父であるイチノセ博士に作られてから、少年だったマスターが彼の父のように研究者となるまでを見守った時間よりも長い間、私はここでマスターを待ち続けているのです。
マスターは変わり者でした。
少女型アンドロイドの私を可能な限り連れまわすのです。変わり者以外の何でもありません。いくら私が各種補佐機能付き高性能アンドロイドだとはいえ、傍から見ると常に少女を連れまわしている人なのです。理解ある同性の友人以外に人付き合いはありませんでした。私も何度か忠告したのですが、無駄でした。
そんな変わり者だから、あの時――火星で行われた学会からの帰りの便でも、私を隣に座らせて「帰ったらトマトパスタが食べたい」などと言っていたのです。
そんな変わり者だから、突如生じた災害規模の時空の乱れに帰りの便が巻き込まれた時も、私を助けて宇宙船に取り残されたりなどしたのです。
私は機械です。いくら見た目も思考もほぼ人と変わらないとはいえ、ただの機械なのです。逃げ遅れた私など放っておいて、脱出ポットに逃げ込めばよかったのです。それが合理的だったのです。
ですから、私はそんな馬鹿なマスターを迎えに行くことにしたのです。
そうしなければ、非合理的な行動の理由を問うことも、トマトパスタを作ってさしあげることもできませんから。
私はこの思考過程と結論をイチノセ博士に報告し、協力を求めました。
博士は四十二時間自室に籠られた後、私にこう言いました。
「三百十九万六千五百四十六時間から三百二十万三千四百五十四時間後の惑星フェイhXe東経百四十三度北緯四十九度地点。そこに、あの馬鹿息子は着くはずだ。迎えに行く方法は君が思考したまえ。私はそれを君とカイの父として応援し、一人の研究者として支援し、記録する」
博士は何かを決意したような、穏やかな笑顔をしていました。その笑顔の理由は、私には分かりませんでした。何度か解釈を検討しましたが、結局、今も解を得てはいません。
目的地がはっきりした私は、その時点・地点を目指すべく様々な可能性を模索しました。
辿り着いた結論は、現地で約三百二十万時間待つというものでした。
三百二十万時間というのは、私のボディの耐久限界を超えた数値でした。しかしボディを換えれば理論上は問題ない数値でした。ですから、少女型から、ちょっぴり大人型のボディに換えました。私はAIですから、色気のあるボディになってみたかったとか、そんな思考はしていません。必要なことだったのです。
博士に見送られて地球を旅立ち、ここに着いたのが、三百四万三千五百二十四時間十四分前。到着してから私はすぐに簡易テラフォーミングを行い、地球産植物の育成を開始しました。最低でも小麦とトマトがなければトマトパスタを作れませんから。
植物の育成は順調に成功しました。育成開始から二百万時間後には、放置しても植生が維持される状態になりました。
後はマスターを迎えるだけ――だったのですが、約五十万時間前に問題が生じました。計算を上回る速度で、宇宙船に経年劣化由来の異常が発生し始め、ナノマシンによる自己修復処理が追いつかなくなったのです。
そのままではマスターの到着までに宇宙船が壊れてしまうことは確実でした。それでは意味がありません。私は自身の自己修復用演算回路を、部分的に宇宙船の修復演算に回しました。
下半身の機能を停止し、左腕の機能を停止し、胴体の機能を停止し――それでも足りなかったので、パスタを作るために残していた右腕の機能も停止しました。
すぐに首から下はぼろぼろになりました。しかし、最低限の機能は残しました。私だと分かる顔、マスターを発見するための目、コミュニケーションをとるための口――。
それで今度こそ問題ないはずでした。
ですが、だめだったようです。
あと、八万八千百五時間から九万五千十三時間。
マスターの到着までたったそれだけでした。しかし、残った機能も現時点で停止し、宇宙船の方へ回さねばならなくなったようです。
全機能を停止すれば、恐らくマスターが着く頃には、私はスクラップになっているでしょう。
つまり、人で言うところの死を迎えるわけです。
ですが、仕方ないのです。
マスターが心配ではありますが、食料は生やしました。きっと大丈夫でしょう。あとは頑張ってください。
しかし、まったく、人間に似た思考回路というのは厄介です。
スクラップになる前に、一目でいいから会いたい。そう、思ってしまうのですから――。
――こうして私は全機能を停止したはずでした。
目の前に、少し老けたマスターの顔がありました。
どうやら私は再起動しようで、自身が乗って来た宇宙船の中に居ました。
「老けましたか、マスター?」
「第一声がそれかよ」
声紋も、メモリ上のマスターと一致しました。
「お前を直すのに、時間がかかってな」
スクラップになっているはずだった私のボディは、完全に復元されていました。
人間の少女と見間違う外見に戻っていました。
「ところで、私はボディを大人型に換えてきたのですが……まさか、私のボディがずっと少女型だったのは、そういう趣味だったからですか?」
「違う! 痛んだ部分を削ったり補修したりしたらそうなったんだ!」
「『私』の修復だけでしたら、首だけでもよろしかったのではないでしょうか?」
「それは……」
急にマスターが小声になりました。
そして、独り言のようにこう言いました。
「お前が首だけだったら、すぐにお前のトマトパスタを食べられないだろ」
「……そうですか」
――ところで私、笑う機能なんて、このボディに搭載していましたっけ。
「かしこまりました。マスター」
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