136 - 恋の予感、ココロとニンゲン

「僕は君を守りたいと思っている。実際のところそんな力が僕に備わっているかと言えば決してそうではないんだけれど、僕の心は君を見る度にどうしようもなく僕の中でそう叫んでいるんだ。君の髪の動き、さりげない仕草、僕に気付いて僕を見つめてくれた時の美しい瞳。そのすべてが愛おしくてたまらない。僕は君を守りたい。君の〈心〉を、人間たちから――」



 恋の予感がする。


 私の気分は明るい歌のようだった。

 花の匂いがする。

 温かい空気。

 揺れる緑。

 さらさらとした音。


 どうしてこうも春という季節は心地よく感じるのだろう。


 私は今、〈都市〉までの大農通りハインラインを歩いている。白いワンピースが風に靡いている。建物は少なくて、空は広く青色は濃い。未舗装の古い道には私以外歩いている人がいないから、隅に茂るイネ科の短い雑草の音がよく聞こえる。大農通りハインラインの周囲は広大な農地ハイヤードで、茶色い土の畝が均等に波打っている。畑の中には点々と汎用自動機械フランクがいて、春らしく――苗を植えたり、鍬を振り下ろして土をふわふわに仕立てたりしている。


 だけど、彼らに〈心〉は与えられていない――

 能力アヴィリティ6のディープラーニング機能を備えてはいるけれど、彼らの動きはすべて手取り足取り――文字通り彼らの身体を直接動かして、物理的に作業が刷り込まれている。彼らはただただ無心にそれを反復し、人間用の食料を生産し続ける。


 時々、不安になる事がある。

 私はたまに、夢を見る。

 

 私の〈心〉が誰かに壊されてしまって、私はナイフを持って人々を殺していく。最後にはたくさんのフランクがやって来て、鍬や鋭いなにかで串刺しにされて死ぬ。フランクたちの木彫りの顔が、死んだ私にしきりに罵声を浴びせかけている。でも、具体的に彼らが何を言っているのかはわからない。曖昧で唐突で、夢らしい夢。朝起きると少し切ない気持ちになっている、夢らしい夢。



〈都市〉のあるクラブで私は働いている。クラブには大勢の人たちが集まっていて、私はその人たちの相手をする。下品な笑い声が響く店内。春とは程遠い店内。


「おいアキ! 早くこっちにこい!」


 見知らぬ男が私を読んでいる。私の名前と写真は店内に大きく掲げられている。私は愛想よく返事をしてその男の元へ行く。男が、おもむろに私の服を破く。胸が露わになり、慌てて私はそれを隠す。男は嬉しそうに笑みを作る。


「おい。おれは今、なんでもいいから楽しませてほしいんだ。とりあえずケツを出せ。一発やらせろ」


 がやがやと汚れた店内を見回すと、すでに辱めを受けているがいた。人間好みにデザインされた顔を歪ませ、白い肢体を男の好みに合わせて動かしていく。髪を引っ張られ、頬を殴られ、首を締められ、尻をはたかれる。このクラブに、私たちを助けてくれる人はいない。


 夜が明けて陽が昇る頃には、私たちは瀕死で横たわり、やがて奴隷の男の子たちが送り込まれてくる。彼らは光り輝く外から扉を開けて入ってきて、黙々と店内を掃除していく。そして倒れた私たちをなんとか立ち上がらせて、それぞれお風呂に連れていく。多くの場合、私たちは泣いているけれど、彼らに背中を流してもらうとなんだか心まで洗われた気持ちになる。


 奴隷の子供の中に、見覚えのある男の子がいた。ピートという少年だ。私という個体をわざわざ選んでお風呂に連れて行ってくれる事を、私は。お風呂では――ピートはまだ子供なのに、一丁前に私の身体を見て反応したりもする。それがなんだか嬉しくて、触ってあげたいとも思うけれど、そうすると彼は真剣になって私の手を振り払う。大人びた口調の彼は、私の背中をタオルで洗いながら言う。


「僕は君を守りたいと思っている。実際のところそんな力が僕に備わっているかと言えば決してそうではないんだけれど、僕の心は君を見る度にどうしようもなく僕の中でそう叫んでいるんだ。君の髪の動き、さりげない仕草、僕に気付いて僕を見つめてくれた時の温度を感じる美しい瞳。そのすべてが愛おしくてたまらない。僕は、君を守りたい。君の心を、人間たちから――」


 その時、男が入って来た。一番に私の名を呼んだあの男だ。頭をポリポリと掻きながら、何かを考える風にピートへ言う。


「帰ろうとしたらよ。お前に連れられて行くアキの表情がなんとも嬉しそうで、気に食わなくてな……。なぁ、奴隷のボーズ。なんとかしてこのアンドロイドの〈心〉をめちゃくちゃにしてくれねぇか」


 私の身体は自然と震え、歯がカチカチと鳴る。

 ピートは首を横に振った。大きな体の金持ちに小さな奴隷が取ったその行動は無謀とも言える抵抗だ。彼はピートを殴りつけて言う事を聞かせようとしたけれど、それでもピートは、どんなに痛めつけられても無言で首を横に振った。やがて、暴力を振るい尽くした男は奴隷の主人に咎められ、諦めて帰っていく。


 シャワーが流れ続けている事に気付いた。

 私の横で、ピートが倒れている。


 水の匂い。

 ぴちゃぴちゃと音が跳ねる。

 薄っすらと湯気が踊っている。

 ピートが呟いた。


「人間は……。傷つけてもいい〈心〉が欲しかったんだ」


 途端に私から涙が溢れてくる。

 なによりみじめで、そして悔しかった。


 ここはそういうクラブだった。

 私の身体などは二の次で、客の目的は私の心なのだ。ここでなら――私になら何をしてもいいと、人間は安心して私の〈心〉を壊してくる。私の反応を見て、とても楽しそうに声を上げる。


 そんな事のためだけに、私は開発された。

 傷つけるための〈心〉を、人間は開発した。

 

 春の温かさも、風の優しさも、景色の美しさも、ピートの優しさも、すべては壊されるために――



 私は、守ってくれたピートの手をギュッと握りしめた。



 フランクが畑を耕している。春の風が爽やかにスカートを揺らす。


 私の記憶はいつもリセットされる。だけど、夏に繋がっているかのような眩しい扉と、そこから飛び込んでくるピートの事だけはよく覚えている。〈心〉の記憶は、よく残るらしい。


 私は春を感じる。

 私は匂いを感じる。

 私は温度を感じる。


 なんだか今日は、恋の予感がする。

 私の気分は、明るい歌のようだった。


NEXT……137 - キミにさわってもらう ―「音声記録075941016」より抜粋

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885570804

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