131 - Another Morning
彼女が笑わなくなったのは一体いつからだろうか。
最後に彼女が笑った時のことを、思い出せないくらい前だということだけはわかる。
彼女に何を言っても、もう答えてはくれない。電池が切れたように無気力で、魂が抜けてしまったかのようだ。
濃い霧が街をすっぽりと覆い、ここが陸の孤島となってもう半年。大人達と、彼らに導かれた子供達は、霧の向こうへ消えた。
孤児院の僕らと彼女だけが残されたこの街は、小さな発電所と、備蓄されていた保存食によって、ようやく次の日を迎えている状態。
わずかな電力では、彼女を生かし続けることは難しい。でも、彼女の活動を放っておくわけにはいかないのだ。
世界から切り離された街の中でも、ひときわ孤独な彼女は、一体何を考えているのだろう。他の誰とも共有されないその孤独を抱えて、彼女は今日も「
今日も雨。霧に囲まれ、雲に蓋をされたここは、ほとんど毎日雨が降る。
冷たく鋭い雨は、彼女を部屋に閉じ込めて、心をさらに凍てつかせる。
彼女は、ずっと部屋に閉じこもったままだ。
「君の自由は、自分の手でないとつかめないんだよ。僕らにできることは、こうやって励ましたり、生活の手伝いをするだけなんだよ」
「未来を信じられないと、ずっとここから出られない。大人達の言うことだけが、全てではないんだ」
「自分の可能性を無為にしてはいけない。将来を悲観してはいけない。君はまだ、造られてから15年しか経っていないだろう?」
どんなにめちゃめちゃにドアを叩いても、どんなに僕らが声をかけても、どんなに一生懸命彼女のお世話をしても、彼女は何も言わない。ただ死ぬのを待つように、心臓が止まるのを待つように、ドアの向こうで虚空を見つめて座っているだけ。
前みたいに彼女が笑ってくれるように、元どおりになってくれるように、僕らができることはあまり多くないけど、彼女が、自分自身の中にある光を胸に灯せる日が来るまで、寄り添い続けることはきっとできるはずだ。
* * *
大人になるとは、一体どういうことなのだろう。
15歳。社会に出て大人の仲間入りすることも、進学して子供を続けることもできる、子供と大人の狭間。
普通の子供は、なんらかの特技を親から与えられて、造られる。15歳になると同時に、親から自分の未来を知らされる。
お前はモデルになるために製造された。
お前はあの天才のクローンだ。
お前は戦士になるために生まれた。
でも、物心がつく前に親から捨てられた私に、それはない。自分が、何のためにここに存在するかわからない。先生は、自分の興味があることや、得意なことが私の進むべき道だと言った。でも、目的を持たないように、何かに強い興味を持たないように、そういう風に管理され、育てられた私に、興味や目的なんて自然と芽生えるはずもなくて。
明確な未来を、イメージできない者を閉じ込めるシールドに囲まれた、この街に私だけが残されるのも当然だった。
自転が止まってしまったこの星の環境に、人類は定期的に住処を変えることで適応した。
未来に向かって効率よく進んでいかなければ、残り少ない人類は、確実に滅ぶ。明確な未来を持てない私など、人類にとって必要ないのだ。
ドアを叩く音が聞こえる。
「君の自由は、自分の手でないとつかめないんだよ。僕らにできることは、こうやって励ましたり、生活の手伝いをするだけなんだよ」
「未来を信じられないと、ずっとここから出られない。大人達の言うことだけが、全てではないんだ」
「自分の可能性を無為にしてはいけない。将来を悲観してはいけない。君はまだ、造られてから15年しか経っていないだろう?」
孤児院に設置されたまま放置されたアンドロイド達が、プログラムされた通りに空気の振動を送って来る。
毎日毎日、いい加減にしてよ!
ドアを開けて、アンドロイドに蹴りを入ようとしたが、半年引きこもっていたせいか、膝にうまく力が入らず、転んでしまう。
自分の情けなさに、惨めさに涙があふれてくる。
「もうほっといてよ! 私なんて、なんのために生まれたかもわからない! 何をして生きていけばいいかわからない! あんた達みたいに一から十まで決まってるわけじゃないのよ! やることも、話す言葉も、何もかも決まってるあんた達に何がわかるのよ!」
泣きじゃくりながら怒鳴って、アンドロイドの足に掴みかかる。情けない……情けない……!
「僕らは、君のことをわかってあげられるほど賢くない」
「ッ」
「でもね、僕らはプログラム通りに話しているわけじゃない。プログラムされたことを元に、僕らなりの言葉で君を助けたい。プログラムにあったことではなく、『僕らという心』が生み出した言葉で、君を助けたい」
床に這いつくばる私を、ひょいっと抱え上げて、アンドロイドは建物の外へ出る。
冷たい雨が、半年ぶりの外気とともに私に突き刺さる。
誰もいない街が、私を不安にさせる。
「私、何も無いの。この街と同じ。他の子と違って、未来に確かなものがない」
アンドロイドは、優しく私に言う。
「未来なんて、本当にわかる人なんていないんだ。その時になってみないと誰にもわからない。もし、未来を完璧に予測できたとしても、未来に不安を持たない人なんていないんだ。みんな君と同じで、未来に不安を抱えて生きているんだ」
雨に濡れながら、街と外の境界線までたどり着いた。
「大人は子供に目隠しをして育てる。従順な方が扱いやすいからね。未来が確実だと言う虚構が、彼らが君にかけた目隠しなんだ」
優しく、丁寧に、足裏が土に触れる。
ふらつきながらも自立した私を見て、アンドロイドは少し微笑んだ。
「どんなに不安だったとしても、何も心配する必要はない。誰かと接して、誰かと愛し合って、そうしているうちに自分の胸に灯る光が見えてくる。だから、君はこんな所で足踏みしてる場合じゃない」
背中が押され、境界に触れる。しかし、私は境界に弾かれることなく外に出られた。
振り返ってみても、そこには霧があるだけだった。
胸に、今まで感じたことのない小さな痛みを感じながら、私は、霧の中を少しずつ進み始めた。
NEXT……132 - The Tale of Gen2 ~ロボット源氏物語~
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885562980
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