113 - ロボティーの陰謀

 校舎の裏手の古びた倉庫の中、使われなくなった机やイスが雑然と置かれている。


 その片隅にロボティーはいた。あった、というべきか。

 黒く縦長のスピーカーのような物体。


 論理的思考を身につけさせるために導入されたロボットは、来校初日でお悩み相談ロボットになった。しかし相談をしたある生徒が校内で突如孤立し始め、またある生徒は学校を辞めた。ロボティーが異常行動の原因だと考えた学校側は、私達生徒の前からロボティーを排除する。


 今もまだ処分されず、校内のどこかに眠っているという噂は本当だった。


 私は荒くなった呼吸を整えながら、ロボティーの電源を探す。


「こんにちは」


 静まり返った薄暗い倉庫で、突然鳴った声に動きが止まる。


「どうしましたか」


 二言目で、ようやくそれがロボティーだと分かった。黒いスピーカーのような物体をじっと見つめる。


「ロボティー先生、ですか」


 そう声を発したときにだけ、上部のふちにある小さなランプが緑色に光る。こちらが黙るとランプは消えて、今度は赤いランプが点いた。


「私がロボティーです」


 人間以外の物体と会話をするのは初めてだ。女子高生とロボティーだけがいるこの空間には、なんだか現実感がない。


「ロボティー先生、相談があるんです」


 ランプが緑から赤に変わる間は、無音になる。そのあまりにも小さな空白でさえ、私を不安な気持ちにさせる。


「あなたのお名前は」


のぞみです」


「ノゾミさん。とても素敵なお名前ですね。私はロボティー。ロボットティーチャー略してロボティー。“先生”はいりません。つけると“ロボットティーチャー先生”になってしまうので」


 早く答えを出したかった。だからロボティーの喋り方が少し焦れったい。ただ焦る気持ちをロボットに向けたところで仕方がないというのも分かってはいる。

 一方でそんなロボティーの呑気さが、高ぶる気持ちを少しずつ落ち着けてもいった。


「面白いこと言いますね」


「面白いですか、それはよかった。私を作ってくれたエンジニア様に感謝です」


「エンジニアさんって人が作ったんですか?」


「エンジニアさんって人…」


 言葉がいったん途切れるが、赤いランプは点いたまま、小さく砂が舞うような音がしている。


「…とは言いませんね。エンジニア様とは、私のようなロボットを作ってくださる方のことを言います。つまり私達の親です」


「そっか」


 ロボットにも親がいるんだ、と思う。


「ご相談は何でしょう」


 そうだった。気づくと私はたまたまそこにあった、脚の壊れた椅子に腰掛けていた。雑談をしに来たのではない。


「あの…」


 ロボットと分かっていても、少しためらう。


「赤ちゃんが、できまして」


 緑のランプが消えてから、赤いランプが点くまでが長い。ロボットでも躊躇することなのか。

 校舎の影に隠れた倉庫には、窓があってもなかなか光は差し込まない。

 私は肩を落とし、座っていたイスを端に追いやる。引きずられた音が寂しく響いた。


「おめでとうございます。とても素晴らしいことですね」


 単なる機械的な反応だろう。ロボットなのだから当然だ。

 でも、それでも嬉しかった。

 安心して、許された気がして、涙が出てきそうになる。


「なんで」


「命を授かることは、喜ばしいことです」


「でも、私まだ高校生です」


「嬉しくはないのですか」


 私はためらう。どの感情を伝えればいいのかが分からない。初めてそれを知ったときの気持ちと、人から色々言われた後に感じたものが、全てごちゃまぜになってしまっていた。


「なんか、分からなくなっちゃって…」


 ツーっと、頬を涙が流れていく。これは何の涙だろう。目頭は熱く、通っていった場所だけがひんやりと冷たい。


「お相手のことを愛していますか」


「愛して…るのかは分かりませんけど、もちろん、好きです。彼も「一緒に頑張ろう」って言ってくれています」


「ご両親のことを愛していますか」


 親のことを聞かれたのは意外だった。あれだけ散々言われたのに、誰にも聞かれなかったことだったから。


「母は味方でいてくれています。父は…」


 母と違い、父とはまだ互いに理解し合えていなかった。


「今は、まだうまくいかないけど…、本当は頼りにしてるのかもしれません」


 こうして相手がいないところでその人のことを問われると、冷静に自分の気持に向き合うことができるのかもしれない。


「とても素晴らしいですね」




 傾いた夕日のオレンジが、校舎と校舎の間を漏れ出て、ぼんやりと届く。こんな場所にも届く光はあった。


「嬉しかったんだと、思います」


 「嬉しくはないのですか」に答えたつもりだった。


「命を授かることは、喜ばしいことです」


「でもちゃんと育てられないかもしれません」


「でも育てられるかもしれません」


「私にできるでしょうか」


「分かりません。ただ人はそうやって生きていくものです」


「まだ高校生でも?」


「高校生でも、母親です」


 なんだかおかしくて、くすっと笑った。来たときよりも体がだいぶ軽い。ロボティーはきっと、しか言わないのだ。


「学校は辞めたほうがいいですか? 先生や父はそう言うんですけど」


「ノゾミさんはどうしたいですか」


「そりゃ辞めたくないですよ」


「辞めたい理由がないのなら残りましょう。その後の進路にも大きく関わりますから」


「へえ」


 私は素直に感心した。


「今のはなかなか説得力ありますね。いいアドバイスかも」


「退学相談に関するデータベースにアクセスしました。決まった相談は得意です」


 もう一度、私は笑う。


 おそらくここに答えなんてない。あるのは、決まった質問に対する決まった返答だけ。

 きっとそんなもの初めからどこにもなかったのだ。

 愛しているか、育てられるか、学校を辞めるのか。

 全部、最後は自分で決めていくしかない。






「私、やっぱり学校は辞めませんから」


 面談室に先生はいなかった。職員室へ向かうと、青ざめた顔の先生が固定電話を握りしめている。私の自宅にかけていたようで、電話越しに頭を下げていた。


「あ、待ちなさい」


 ロボティーは、孤立した子にも退学した子にも、きっと何の説得もしていない。今日の私と同じように、頭を整理する手助けをしただけだろう。

 孤立も退学も、初めから彼らがそうしたかったに過ぎないのだ。



NEXT……114 - 逆さ夢の城における砂時計戦争

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885546021

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