103 - 鏖殺魔神
光の無い街灯には虫の一匹も寄りつかない。そして電気の通っていない無意味で無機質な柱が並ぶ光景には、夜に住まう亡霊も最早この世界からは消失した様に思えてしまう。だがそんな道にも大地から這い出た霜柱を踏みしめ、辺りに家も無い田畑が並ぶ風景を歩く少女が一人。旧世代の人々が生きていた風景はこんな指の先から動かなくなっていく過酷な環境であった事を知り彼女は幾ばくかの恐怖と大きな昂揚を覚える。彼女は母の胎内から生まれ落ちた瞬間以来「寒い」という感覚を覚えた事が無かったのだ。
少女が自身の足音と呼吸しか聞こえない暗闇を歩いていると、やがて遠方から燈火が見えてきた。これもまた彼女にとっては空に浮かぶ星の数々と同様に感動的な存在であった事は間違いない。それらしい防寒具も無く寒冷地を歩き回る彼女にとって寒さをしのげそうな場所がありそうだ、というのは現状何よりも喜ばしい事であったろう。そして暖が取れるという事は食料の類もそこにあるに違いないと考える。小さく左右に揺れる光にゆっくりと接近していった。
その時である。
「伏せろ!」
突如背後から凶暴な排気音が響き、火達磨の様な熱気を持つ何かが彼女の胸を地面に押しつける。それから青い閃光が揺れる光に突進すると、突如民家か何かだろうと思っていた光は巨大な地鳴りと共に上空へ浮かび上がり、その下には十メートルほどの体躯を持つ二足歩行の機械が現れる。安全圏だと思っていた光が突然敵意を持った何物かへと変貌する様子を見ていた少女は腰を抜かして背後に倒れ込んだ。
「君、大丈夫かい? 僕はリョウっていうんだけど、君の名前は?」
「マキって言います。あれはなんですか、外はあんなのが動き回ってるんですか」
「マキちゃんが外に出るのは初めてなんだろうね。とりあえず、僕らもゆっくりしてられない。歩きながら説明しよう、こっちにおいで」
リョウという青年は羽織っていた厚手のコートをマキに被せると、手早く彼女を背負い歩き出した。その最中、マキが見ていたのは青い閃光がそれより十倍は大きい存在と戦っている光景であった。確かにあの閃光も人間であるはずなのに、それは空を自在に飛び回り、高速であの生物と渡り合っている。そして閃光が鼓膜を突き破るような轟音と共に一際強烈な光を発すると、もうあの巨大な存在は影も形も無くなっているのだ。
「なんですか、あの機械。私はあんなの見た事無い」
「あれこそ人がコロニーの中に押し込められる様になった原因、鬼怪だ。動力も意図も不明の暴走機械、その癖動物みたいに息を潜めて群れを組む。こんな具合にね」
リョウは一丁の拳銃を取り出しマキの背後に向けて撃つと、一つのいななきと草葉に重い物が倒れ込む音がした。それから大勢の足音と茂みをかき分ける音がやってきて、森から五足歩行の鬼怪達が金切り声を合図に飛びかかる。その襲撃に対してリョウは煙幕を放ち、走り出した。マキの眼にはこの間何も見えなかったが、むしろ何か見えていた方が今では不安だった。耳に入ってくるのはこれまで彼女の聞いた事が無い殺意の喊声が渦巻く世界で、鼻を抜けるのは鉄と草の焦げた臭いが混じり合う空間。もしも今光が世界を照らしていたら、眼前にはどんな地獄が展開されているのだろうか。そう思うだけで彼女の身震いは収まらないし、やはりコロニーを出るべきでは無かったのではないか、という思いが頭をよぎる。それらが突然ドアを閉じる音を契機に収まった事で、ようやく彼女の固く閉じられた瞼が開かれた。室内は暖かく、どこからか掠れたテクノが流れている。
「お疲れ。ここまで来れば安心だよ、コーヒーでも飲むかい」
腰を抜かしたまま倒れ込んでいるマキの眼前に、白く濁ったコーヒーが差し出される。彼女はどうにか壁にもたれかかり、それを飲み一服する。彼女は先ほどまでの光景がとても現実とは思えなかった。だが前に立つ一人の男と機械を剥き出しにした右腕をいじくり回している痩身の女性を見て、そしてコーヒーが甘ったるく猫舌に染みる事から、これは現実である事を認めざるを得なかった。
「お前コロニーから来たんだろ。今コロニーはどうなってんだ」
突然女性がマキに話しかける。マキは返答に窮した。コロニーとは彼女が住んでいた居住区であり絶対に安全な場所であるが、その内部は酷い物だった。人々は他者を貶め敵意を向け、無為に時間が過ぎていく牢獄。空は存在せず、ただ天井が明暗のコントラストを変化させるのみ。確かに大病も寒暖差も無く食料は今後千年は持つが、人の悪意は無くならなかった。マキが言葉を探す間に、女性に搭載された機械が青白い光と派手な噪音をかき鳴らす。
「そんなすぐまともな場所になる訳ねえよな。お前はここにいて良いが、私の自己紹介は後だ。外で騒いでる馬鹿共をぶちのめしてくる」
彼女は扉を開き飛び出していった。しばらく室内にエンジンの余韻が残された後、また室内にはミニマルテクノが流れ始める。二人は少時黙してコーヒーを飲んでいたが、程なくマキが口を開く。
「すみません、助けてくれてありがとうございます」
「良いよ。いい加減あそこから出てくる人がいるんじゃないかと思ったけど、案の定だ。無論色々仕事は手伝ってもらうけど、ここで住んでいいよ」
マキは座ったまま深々と頭を下げ、礼を言った。だがマキにはまだ疑問が残っている。
「あともう一つ聞きたいのですが、あの女の人は何者なんですか?」
「お望みなら今のうちに軽く紹介しようか。かつてコロニーが無かった頃、片腕片脚を失いながらも鬼怪共を一万機破壊した事で人類を護った英雄だよ。そして
もう一度扉が開いた時、彼女の身体は黒い油にまみれていた。彼女の周囲に漂う寒気は廃熱によって歪み、駆動していた機械系が動作を止めるとドアの向こうからは風の音しか聞こえなくなる。残したコーヒーを奪って飲み干し、絶句し視線を注ぐ事しか出来ないマキを見て血染めの魔神は笑う。
「私はアマネ。これからよろしくな」
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https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885532405
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