100 - Marie!

 寝静まった谷あいの町を、早鐘の音が叩き起こした。

 息を切らせて石段を駆けあがって、舞衣まいぎぬを羽織ったまま、薄氷の張った池に身を投げた。


 気絶しそうな冷たさ。

 でも、負けられない。

 いまは、お留守番役の私しかいない。


 本殿よりも奥、森の中に隠された池に潜った。水底を這うようにして砂を掻き探し回る。


 息が続かなくなる寸前に、やっと、見つけたのは――白銀色しろがねいろの機械の指先だった。


 はあ、はあ、はあ……


 浮きあがる。少し潜っただけなのに息が乱れた。

 南の空の明るさ、赤さに驚く。

 山の向こうは海。

 鎮守府から黒船の出現、それが黒鉄造りくろがねづくりの魔導機械を何体も放ったことが、つい先ほど早馬で私の元に知らされた。それなのに、もう、あんなに……


 この機杜神社はたもりじんじゃは古から伝わる機神を祭る神社。今夜の留守番役は、私だった。傍系だけど、私は、この機杜神社はたもりじんじゃを守る巫女の端くれのはずなの。


 南の空を紅く焦がしているのは、黒船や魔導機械と鎮守府の間で戦いが起きているから……そして、山の稜線をゆらりゆらりと黒い影が越えてくるのが見えた。

「そんな、もう、魔導機械が……!」

 

 冷たく澄んだ水の中へ身をよじった。

 早くしなきゃ!

 こんなにも早く魔導機械に山を越えられた。おそらく鎮守府は落とされた。町への入り口には砲兵隊がいるけど少数に過ぎない。小さな町の守りは機杜神社はたもりじんじゃに伝わる機神しかいない。


 急がなきゃ…… 

 白衣に緋色ひいろの袴、社紋である糸車が青刷りされた千早ちはやを羽織った神楽巫女かぐらみこの姿は、水の中では動きにくくて、身を翻すたびに袖が絡む。


 砂の中に埋もれた機械の指を辿り、水草の中を分け入って、眠り続ける機械を探しあてた。氷のように冷たい白銀に、朱で上代文字が描き込まれた機械の扉にすがる。


 水底では祝詞のりとをあげることもできない。

 けれど、朱鷺津ときつの巫女がそこに在れば、機神は応えてくれるはずだった。


 ◇  ◇


 池の縁にすがって激しく咳き込んだ。

 はあ、はあ、はあ……

 乱れた息で真っ赤な空を見あげた。


 潤んだ視界の向こうで、町が燃えていた。

 どんなに願っても機神は目覚めなかった。


 ふらふらと水から出て、柳の枝をすがって、町の方を見遣った。

 町に侵入した魔導機械は四体。時折、遠雷のように砲兵隊の放つ音が深夜の空に響くけども、赤黒い炎の中でうごめく魔導機械たちには、あまりに無力だった。


 夜風の中で冷え切った身体を抱いた。

  

金髪碧眼きんぱつへきがんの巫女なんて、木っ端屑こっぱくずみたいで使えない……」

 機神が応えてくれない理由はそれしかないと、思った。巫女装束に千早ちはやを羽織った神楽巫女かぐらみこの姿をしてはいるけど、私の半分は英国人の血筋だった。生まれも英国。五歳の時に両親と別れてしまい、親戚筋、つまりこの機杜神社はたもりじんじゃの神職の家系、朱鷺津ときつ家に引き取られたの。

 朱鷺津ときつ真理まりという名前ももらったけど、栗色の髪と水色の虹彩の色は隠しようがなかった。


 でも、姉さまも義母さまもお婆様も、この町のみんなも良くしてくれた。真っ白な肌も栗色の髪も、綺麗といってくれたし、青い目で見詰めても誰にも変な顔はされなかった。


 だけど、

 東京の赤煉瓦、祭祀院さいしいんの役人たちは、私のことを嫌な目で見るし嫌味もいう。だから、お婆様は、今月末に東京の御社で行われる大祭には、私を連れて行かなかった。

真理まりさんは、ここで機杜神社はたもりじんじゃと町を守る大事なお役目をお願いしますね」

 先週末、東京へ向かう汽車へ乗る前に、お婆様は私にそういってくれた。きっと、私、泣きそうな顔をしていた。だから、そう、お命じ下さった。


 だから、

 お留守番に残った私しか、いまはいない。朱鷺津ときつ本家のみんなは東京にいる。たとえ明日一番の汽車に飛び乗ったとしても、ここへ戻れるのは明日のお昼過ぎのはず。


 なのに、もう、

 山の向こう、港には鋼鉄の黒船が入り、そこから現れた魔導機械が山を越えて、町に押し寄せてきたの。今日も明日も通う中学校の周りも燃えているのが遠目にも見えた。

 あの木造校舎の音楽室には、私の好きな古いオルガンもある。


 早くしなきゃ、私が何とかしなきゃ……


 三度、氷水のような池に潜った。冷たい水に何度も潜った身体が悲鳴をあげていた。情けないけど、もう一回、潜れる自信はなかった。それに、町に魔導機械が押し寄せている。


 だから、夢中だった。

 守り刀を抜き、絡みついた水草を切り払った。朱色の上代文字で描き込まれた言葉を全部読めたら、機神を目覚めさせる手掛かりが何か解るかも知れない。微かに希望を寄せて、機神に絡んだ水草を払おうとした。だけど……

 薄暗い水の中で無理に守り刀を振り回したから、滑った刃が左腕をかすめた。

 袖が切れて血が澄んだ水に迸った。痛みに息が乱れて、守り刀さえも落として、慌てて水面に逃れた。


 池の縁に伏して咳き込んだ。無様だった。全身ずぶ濡れだから、もう、自分が泣いているのか、まだ涙を堪えていられるのかも解らなくなっていた。

「この、役立たず!」

 拳で地面をたたいた。左腕の傷口が余計に開いて、痛みとともに赤い血潮が飛び散る。

 こんな穢れた血をしているから、機神が目覚めてくれないんだ。


 こんな、ダメな……嘘だらけの神楽巫女かぐらみこ姿も、名前も……


 そのとき、雲の切れ間から満月の光が不思議と差し込んできたの。

 深夜を過ぎて中天を少し越えた満月から、私の周りだけに月の光が注いだ。そして、声が聴こえた気がしたの。


 幼かった頃、きっと、英国にいた頃――私の髪を撫でる優しい声が空から聴こえた気がした。


 ◇  ◇


 気がついたの。

 思い出したの。


 お父様は、私のこともお母様のことも愛してくれた。優しくて誠実な人だった。お父様の血が私の中にあること――それは、穢れなんかじゃない。誇りなの。

 それに、この町のみんなだって、私のこと、認めてくれた。金髪碧眼きんぱつへきがんだって、朱鷺津ときつの巫女だって受け入れてくれた。

 なのに、私は上手くいかないことは全部、自分の半分のせいにしてた。もっと頑張ればいい、それだけのことなのに。

 だから、機神が応えてくれないのだって、気づいた。


 そう、だから、

 さあ、もう一回、

 あと、もう一回だけ頑張れ、Marie! 





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https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885531481

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