084 - 冷たい夜の迷い子達と、赤くない血の思い出と
夜闇に紛れ、首筋に牙を突き立て、生き血を吸う。近世ルーマニアであろうと、ここ現代日本であろうと、
――しかし。
(なん、で……)
地面に激しく蹴り倒され、アラタは困惑した。
真夜中の公園、ときおり明滅する朧げな街灯の下、ひとり佇むブレザー姿の少女がいた。その後ろ姿に、音も無く襲い掛かり――反撃をくらってこのザマだ。
「なに、貴方。いきなり噛み付くなんて、
「お前……」
「私? リノよ。貴方達が呼ぶところの、ロボット」
十代半ばと思しき少女――リノは腕組みをして、咳き込むアラタを尊大な態度で見下ろす。
最後の単語が、不可解な状況を一層ややこしくした。
「今なんつった?」
「厳密には
「イカれてんのか」
わけが分からない。人間からすれば
とはいえ、まるで鉄に噛み付いたかのように、牙が彼女の肌に刺さらなかったのも事実。手術で何か埋め込んでいるのか。それとも――
「貴方は?」
「……アラタ。
「へえ」
ロボットを名乗るならと、こちらも相応に返す。無愛想とは自覚しつつも、つまらない失敗のせいで半ばヤケになっていた。
対するリノは微塵も疑う気配無く、無表情でコクコク頷く。
「理解した。それで首に噛み付いてきたと。貴方は選択を誤ったわ。私、力士十人は軽く張り倒せるから」
「道理で蹴りが重い」
彼女の言を信じれば、辻褄は合う。狐じみたツリ眼に少し高い上背、黒い長髪の少女姿――ロボット技術もここまで来たってか? 喜劇じみた状況に、アラタは天を仰いだ。
「気に病むのね。そんなに私が気に入ってた?」
「……ただの自己嫌悪だ」
アラタは思うところを訥々と語った。電波娘にはちょうどいい与太話だ。
人界に馴染みすぎたがゆえに、この十六歳まで吸血を躊躇ってきた自分。いざ事に及ぼうとも失敗続き、挙句の果てに今夜の醜態。人間ではなく、しかし
――と言ったところで、リノは初めて笑みを浮かべた。
「青臭い。数回の失敗が何よ、子供のくせに」
「黙れ。プログラム通りしか動けないロボットに何が分かる」
辛辣な響きに、リノは目を細めた。さしものアラタもバツの悪そうに視線を逸らす。
「自分が何者かなんて、私には無価値な問いね」
彼女は錆びた滑り台に寄り掛かった。明後日を向く目には、何の色も見て取れない。
「どういう意味だ」
「一週間前、私は『博士』と共に日々を過ごすために造られた。彼はその次の日に亡くなった」
冷やりとした言葉が流れる。人の死を語るには相応の寒々しさが、今の公園にはあった。
「それは……」
「奉仕の為のロボットが、奉仕の対象を翌日に亡くす。滑稽でしょう?」
私の存在価値はどこにある? ――自嘲という行為は、ロボットにも可能らしい。
「と言っても、すべきことは決まってるけど」
「え?」
「死ぬ予定なの」
彼女曰く、博士の死を感知したら、その後を追って自壊するプログラムが設定されていると言う。
彼は死出の伴が欲しかったのか。オーバーテクノロジーが衆目に晒されるのを嫌ったのか――今となっては分からない。
「でも、まだ動いてるじゃないか」
「そうね。未だに、死に場所なんてものを探して彷徨ってる。……どうしてかしらね」
「ロボットだってのに、感傷的なんだな」
二人は、どちらからともなく薄く笑った。
けれど、アラタは胸に隙間風が差すような心地も覚える。何者でもないことに悩む
「……ねえ。私の血を吸って?」
不意な提案に、アラタは目を瞬いた。
「は?」
「オイルのこと。大丈夫、飲んでも無害の植物性だから」
そういう問題じゃ、とアラタが戸惑っていると――リノは襟元をはだけさせて右肩を露出し、そこからガシャンと右腕を外してみせた。
「……マジか」
半信半疑が、確信に変わる驚愕。いたずらっぽく誘う少女の笑みに応じ、おそるおそる近付く。精巧な機械部品に紛れて、動脈のような管が通っていた。それと同じくらい、白いうなじにも目が惹かれた。
「私を貴方の一部にして。私がいたことを、無性に誰かの思い出に残したくなったの」
「……俺も、人外だから?」
「どうかな」
微笑み、リノは夜風になびく黒髪を梳いた。
気を取り直し、アラタは内部構造を睨む。「ここか?」と確認し、「そこよ」と返す声。
アラタは深呼吸してから、牙を立て――『血』を吸い始める。
「……んっ。初めてさん、下手ね。くすぐったい」
悪態の一つも返してやりたかった。が、妙に早鐘を打つ胸の内がそれを許さない。
十秒、ほどだろうか。やがてアラタは顔を離した。
「ふふ。耳、真っ赤」
「うるせえ、冷血ロボ」
初めての『血』は、機械の味がした。初めて吸血する相手が女の子のロボットだなんて、とんだ笑い話だ。
けれど。寒空の下で、得も言われぬ満足感もあった。初めての相手が他の誰でもない、彼女で良かった。そんな気がする。
リノは右腕を戻し、振り返った。
「ねえ。この街の人口、知ってる?」
「五十万くらいか」
「万の人間が蠢くコンクリートボウルの中で、偶然ロボットと
「かもな」
「私の人工知能にも測れない出来事があるのね。水平線の向こうを見通せないように。……勉強になったわ」
滑り台を名残惜しそうに一撫でし、リノは出口へ歩いていく。アラタはそれを黙って見つめ続けた。
「さよなら。臆病な
「じゃあな。変てこロボット」
時にして、十分そこそこ。
夢と思うには印象に残りすぎた。奇妙な出会を牙が覚えている。鋼鉄の肌の冷たさも。赤くない血の味、そして去り際に見た笑顔が心に焼きついて離れない。
再び彼女と会うことは無いと思う。
けれど生涯、忘れることも無いだろう。
――あれから数週間が経つ。
ロボット少女の死体が見つかったという奇妙なニュースは、今のところ聞いていない。
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https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885526691
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