072 - 黒騎士は待っていた

 カウント・ゼロの瞬間にパーシヴァル・サワタリ大佐が体感したのはごく小さな衝撃だけだった。

 過酷この上ない訓練を重ねてきた割には、たいしたことがない――そう思ってしまうほどに。


 だが、すぐにすさまじいGが彼を襲った。与圧服が下肢を締め付ける薄気味悪い感触を、自分がむしろ楽しんでいることに気づいて、大佐は歪んだ笑みを浮かべた。


(計画立案から実行まで七年か……長かった)


 自分自身がこの機体に乗り込めたのは、客観的に言えば僥倖というほかはない。コクピットは一人乗り、補欠要員を含めてもわずか三名の枠に、統合軍の最優秀パイロット三十人が殺到したのだ。

 だがどうあっても他の人間にこの役を譲りたくはなかった。譲ってはならなかった。


 人類初の衛星高度邀撃機「アースマンⅠ」は、ニューメキシコ州アプハムのホワイトサンズ宇宙基地に設置された、長大なリニアモーター式カタパルトによって緩やかに加速され、三分三十秒後に離昇リフトオフ


 地球の両極を結ぶ極軌道へと、アポジモーターを噴射して遷移していった。


         * * * * * * *


 「それ」が初めて人類の認識するところとなったのは、遠く冷戦時代の昔。1954年のことだ。


 アメリカ空軍が地球を周回する二個の人工衛星を発見した、と報じられた。このニュースには冥王星の発見者として知られる天文学者、クライド・トンボーがかかわっていたとされるが――この時期、まだ人類はただ一つの衛星も打ち上げに成功していなかった。


 六年後にはアメリカ海軍が、極軌道に極めて近い特異な軌道を持つ、黒色の物体を観測している。様々な憶測がささやかれ、その中には「一万年以上前に外宇宙から飛来して地球を監視している」という怪しげなものまであった。


 以来一世紀にわたって確定的な情報は何一つつかめぬままだったのだが――



 サワタリが「それ」に出会ったのは、赤道上の軌道エレベーター建設現場に、生命維持システムの部品を運ぶ、なんということもないミッションの途上だった。


 不慮の事故を防ぐために、軌道上の既知の物体は最新の宇宙望遠鏡から、過去ロケット打ち上げ時に脱落した細かな部品まで、すべての軌道データが記録され、一週間サイクルで更新が続けられている。


 だがそいつはまるで幽霊のように、シームルグ級貨物船「ピリ・レイス」の前に姿を現した。


 不規則で奇怪な形状を持つ、巨大な黒い物体が、見かけ上はゆっくりと、だが容赦ない速度で近づいてくる。航法コンピューターが解析したその物体の軌道は、90%の確率でピリ・レイスと衝突するコースをとっていた。


「回避しろ!!」


 サワタリは叫んだ。所定のポイント以外で再噴射を行えば、推進剤が不足してミッションを完遂できなくなるが、乗員の生命には代えられない。だがすでに両者は接近しすぎていた。


 操船を担当していたランド中尉が船首スラスターをいっぱいに噴射して減速をかけ、低軌道に遷移しようと試みた。だが彼らの目の前で相手は一見自壊したかのようにその形状を崩し――次の瞬間、をとってさらに速度を上げた。ただし、信じられないことに軌道は一切変化させずに。


 わずか五秒後、ピリ・レイスは粉砕された。船外作業に備えて宇宙服を着ていたサワタリだけは、三時間にわたる漂流の末、奇跡的に救助された――



 彼の談話は、世界を震撼させた。


 ――ブラックナイト衛星。


 宇宙時代の黎明期から語られる伝説が、現実のものとして蘇ったのだ。軌道エレベーター建設計画は一時凍結され、衛星高度邀撃機の開発がそれに代わって日程に上った。


         * * * * * * *



 離昇から十時間後、アースマンの望遠カメラがようやく目標を捉えた。


「こちら『アースマンⅠ』、サワタリ。目標を発見した。これより突入する」


〈こちら管制室コントロール。突入を許可する。幸運を〉


 軌道ステーションに接敵を報告すると、サワタリは自機を戦闘モードへ移行させた。

 ペダルを踏みこむ。ロケットモーターがうなりを上げ、アースマンの軌道が地球からわずかに遠ざかる。


 その行く手に、ブラックナイトがいた。こちらに気付いたのか、カメラの視野の中で変形を始めている。


 耐熱セラミックで覆われたアースマンの白い機体も、ブラックナイトのそれを不器用に模倣するように変形していく。地球光を背景に、黒と白、二つの人型が対峙した。


(……妙な光景だな)


 宇宙機が人の姿を真似る意義は、基本的にあまりない。

 アースマンの場合はブラックナイトに対抗する心理上の要請から何となく今の形態に収斂したいきさつがあった。四肢があることでちょうど大昔のテレビ活劇のように、質量移動による姿勢制御が行える、という意味もあるにはある。


 だが、ブラックナイトにはそんな必要はないはずだ。


 生物の進化について読みかじった、奇妙な異説が頭をよぎる。インテリジェントデザイン――人類は何らかの知性によって、その姿に似せて作られたという、いうなれば創世記のそれらしい言い換え。


 そんなわけがあって、たまるものか。


 サワタリは機体下面から前方へ突き出した大出力レーザー砲「ガラティン」を使用可能状態に切り替えた。これは機体に装備されたソーラーパネルからの電力供給で稼働する。ただし、コンデンサの耐用限界のため、発射可能なのは五発のみ。


 運動性も不利だ。かつて見たブラックナイトの、変形後の機動力には遠く及ぶまい。アースマンはカタパルト打ち上げ方式をとることで積載した推進剤の大部分を戦闘機動に使用できるが、推進器は旧来のロケット。対して、向こうの駆動方式は見当もつかない。

 

 それでも、これは人類が軌道上の脅威に対抗するために鍛え上げた、悲願の剣だ。有史以来の歴史を盗み見てきた傲慢な窃視者のぞき屋、宇宙進出を阻む妨害者に与える、鉄槌だ。


 サワタリは「ピリ・レイス」の死者たち三人の顔を思い浮かべた。

 

 勝たねばならない。そしてアースマンの量産に道をつけねばならない。ブラックナイトは一個ではなく、地球の周囲に少なくともが確認されているのだから。


 サワタリは目標に照準を合わせ、必殺の念を込めてトリガーを引き絞った。


NEXT……073 - Code:A.V.I.S. 深海大決戦 岡鯨の夏

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885513101

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