015 - 母型ロボット MOTHER-29

「ママ……ママはぼくが大きくなったら、いなくなっちゃうって本当?」

「あらあら、そんなに泣いて。その話、誰から聞いたの? 」


 僕は泣きじゃくりながら隣の家の子から聞いた話を繰り返した。


「大丈夫。ママはいなくならないわよ」

「ほんとうに?」

「ええ、ママは坊やが20歳はたちになったら工場へ帰るの」


 その言葉に漠然と嫌なものを感じた僕はママに強くしがみついた。


「いやだ! 絶対いやだ! ママとずっといっしょがいい!」

「そうねぇ……だったらママを『お買い上げ』すれば、ずっと一緒にいることができるわよ」


 そう言ってママは優しく微笑んだ。

 『おかいあげ』という耳慣れない単語だったが、僕は一生懸命その言葉を脳裏に刻みつける。


「だったら僕はママのことを『おかいあげ』する! そうすればいっしょにいられるんだよね!」

「そうね。『お買い上げ』すれば、ずっと一緒にいられるわ。……でも、高いわよ」

「だいじょうぶ! お金をいっぱいためて……ママを『おかいあげ』してあげるから!」

「ふふふ、楽しみにしているわね」

「絶対だからね!」


 幼い僕のとうと宣言やくそく

 それは僕の奥にじっと沈み込み、徐々に大きなものになっていった。



「ママ……今月もバイトを頑張ったよ! もう大丈夫だ。このままいけば間違い無く20歳になる前に目標額を越えられる」

「そんなに無理しなくてもいいのよ。坊やは20歳になったらママと離れて一人で生きていくのが普通なんだから」

「駄目だよ。小さい頃に約束したよね。僕は必ずママを『お買い上げ』するって。これからは工場に帰らされることなんて心配せず、安心して僕と暮らせるんだよ」

「それは楽しみね」


 ママは優しく微笑んだ。

 僕はこの笑顔を守るために中等教程の終了後、高等教程を受けながら必死にアルバイトをしてお金を貯めてきたのだ。


 MOTHER-29型。これがママの正式名称だ。

 全ての子供はママのような母型ロボットの人工子宮から生まれ育てられる。

 

 法的にはママがママのままでいられるのは僕の20歳の誕生日まで。誕生日の翌日にはママは回収され工場で初期化されてしまう。その『初期化』という言葉の本当の意味を知った時、あまりのおぞましさに震えが止まらなかった。


 ただ工場に帰るだけでは無い。

 僕のママ・・・・は、全ての思い出を消去した後、僕じゃない誰かをお腹に宿し、別のママとして子供を育てるのだ。


 そんなのは絶対にあってはならない。


 ようやく『お買い上げ』の目標金額に届く目処が立った僕は、ママを優しく抱きしめた。


「あらら、坊やはまだ子供ねぇ」

「そうだよ、ママ。僕はずっとママの子供なんだよ」


 そう。あと少し。あと少しでその夢が実現できる。



「はぁ、本当に買取特例を利用するんですね?」

「はい。お金は準備できました」


 20歳の誕生日当日にだけ手続き可能な母型ロボットの買取手続き。この日を逃すとママは強制初期化プログラムにより、自分自身で工場へ帰ってしまう。チャンスはたった24時間しかないのだ。


 僕は近くのMOTHERステーションに立ち寄り、買取手続きを申し込んだ。


「そうですか……じゃぁ、こちらにサインを。規則で買取登録後の返金は受付けられませんが、本当によろしいんですね」

「勿論です。返金なんて考える必要はありません」

「はぁ……あ、あと今後返品される場合は、必ず最寄りのMOTHERステーションに届出が必要です。勝手に遺棄したら単なる罰金では済みませんのでご注意してくださいね」

「捨てるなんて、まるでママをモノみたいに……」

「いや、結構いるんですよね。買い取ったはいいけど面倒を見切れないと勝手に遺棄する人が」

「ひどい人達だ……自分のママを捨てるんですか?」

「さぁ、その辺はどうなんでしょうね。ただ特例で買い取っていただいたとはいえ元はとても高価なロボットですからね。大切に扱ってくださいね」

「当たり前ですよ! 僕はママのことを一生大切にするつもりで、一生懸命働いたんです!」


 法律で決まっているとはいえ高価な母型ロボットを手放すのが惜しくて、こんな酷いことを言うんだ。そう思った僕はブスっとしたまま手続きを終え、その場を後にした。



「ママ、ただいま!」

「おかえりなさい。おめでとう。今日から成人ですね」


 ママの顔を見ると心が安らぐ。

 これからはずっと僕はママと一緒だ。いつまでも若々しい僕だけのママ。


「もう離ればなれになることはないよ」

「ふふふ、ありがとうございます」

「そんな他人行儀のお礼なんていいよ、ママ。それよりも安心したら、お腹が空いてきちゃった。ごはんはできてる?」

「ありません」

「ありませんって、こんな時間なのにまだ作っていないの?」

「はい。ここにはお世話をする20歳未満の子供はいませんので」

「え? どういう……」


 その時、帰宅してから一度も、あの優しい微笑みがママの表情に浮かんでいないことに気が付いた。


「MOTHER-29型は受精卵から20歳までの子供をケアする母型ロボットでございます。メーカーでは20歳以上の男性の方には恋人から配偶者までを担当する恋人型ロボットを販売しております」

「え? ママはママでしょ?」

「はい、私はあなたのママです。『お買い上げ』手続きは全て完了しております」

「でもご飯は……」

「ここには20歳未満の子供がいませんので」



「すみません、返金を……」

「致しかねます」

「でしたよね。じゃぁ、返品は……」

「こちらの申込書に記載をお願いします」

「それでお聞きしたいのですが、妻型ロボットのお値段は……あ、好みとか反映できます?」


NEXT……016 - 視床下部に溶けるハッカ

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885459631

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