010 - 「レゾンデートル ―1人と1機、人類史最後の決闘―」

 物語をこんな結末で締め括ろうとするなら、その脚本家は三流に違いない。

 船外窓に隔てられた母なる星ちきゅうの姿を目にして、たった今、冷たいベッドから目覚めたばかりの男はそう結論する。


「生命反応0だと」


 生存を報せよ。

 誰も応答しないというのは、人間あるいは科学文明が滅亡したかのどちらかを意味する事実だった。

 しかし、今さら無用な期待は抱くまい。

 濁った赤。そう、最後に目にした時には少なくとも半分が青かった地球を覆っているのは、静脈を巡る血のようなくすんだ赤だ。


 俺はどうすればいい?


 赤黒く渦巻く大気の底で、確かに何者かが咆哮を上げる気配が感じられた。

 人類すら絶えた星に、少なくともまだアイツらの・・・・一匹は残っているのだという奇妙な安堵感を覚えながら、男は重力井戸の底へと落ちていった。

 人類はもう、誰一人としていない。

 それは12000年振りの、遅過ぎる帰還だった。



 *



 毒の大気、乾いた終焉の大地を船外活動服越しに踏み締める。たとえ強化された身でも三日と保たない地獄。足元には小刻みにクルクルと回る球体が転がっている。

 人が絶えた地上に降りてみれば、出迎えてくれたのは喋る球体ボロAIだった。出会い頭に要求を突き付ける。


「この地球で死にたい。だが最後にだ。最後でなくちゃ意味がない」

「理解不能、根拠を求む」

「最後に立っていた奴が勝ちなんだ。人として死ぬ為だ」


 機械の身体に寄生する者パイロットとして改造された自分が、それでも人として死ねる棺が欲しかった。

 奴はまだこの地上に君臨している。

 ならば殺さねば。

 化け物を殺し、最期まで人であらねば。


「機体を構築しろ」

「拒否。本機は人類の生存支援の為に存在します。戦闘行為を行った場合、生存確率は4%未満と試算されます」

「俺は改造されたから子孫を残せない。もう他に人間もいない、それでもか?」


 たった一機、このAIは数千年に亘って地上に取り残されていたのだ。こいつは人を求め、己の存在意義を果たそうとしてきた。

 済まない、それでも俺はもう未来を繋げない。


「肯定、命令を拒否します一人にしないで


 球体がそう訴えかけたように思えたのは、流石に感傷的に過ぎた――のかも知れない。こいつと俺は同じなのだ。己が生み出された意味を求め、結局は掴めなかったのだから。


「……だったら、これでどうだ」


 男は自らヘルメットを外すと、毒の大気に顔を晒した。クソみたいに不味い、毒のおかげで頬が痺れてくる。一吸いすれば肺が焼け付くように痛み出した。


「俺は明後日までには死ぬ、一年後でも同じ事だ。だから俺は俺の意志で最後に人として生きる。その為に力を貸せ」

「――了解。最後の人類あなたが死亡した後、本機も稼働を停止します」


 球体は諦めたように応答する。

 答えが出るまでには、やや間があったが。

 そして、どんな機体を構築すべきかと問うてくる。


「寄生出来る神経網さえあれば、俺は戦闘機にだって戦艦にだって戦車にだってなって来た。だから最後は人型だ、死ぬときに俺は人間で居たいんだ。分かるか?」

「理解不能。命令によりナノマシン構築を開始」


 まるで大地そのものが蠢くように、人型が構築されていく。

 装甲形成開始、寄生神経網構築。数分後に風が砂を払った時には、黒鋼の人型がそびえ立っていた。

 男はコックピットに乗り込む、操縦桿を握る。


「寄生神経網走査開始。思考形成炉、点火――起動開始。作動良好グリーン、行けます」

「よくやった」


 死ぬための棺は、整っていた。



 *



 敵が見えた。それは老いた龍だった。

 かつて人類を滅ぼした龍は、今や自らの血脈を残せぬままに朽ちようとしている。

 人類の未来を奪ったというのに、自らも未来を繋げなかった哀れな化け物――ちょうど俺と同じに。

 自分も同じだ。死に損ないと死に損ない、最後にどちらが立っているかを比べるだけの事だ。

 夕陽が照らす荒野、機体はブースター炎を曳いて突撃を始めていた。


「行くぞ」

了解レディ


 装填完了、一度限りの陽電子ライフルが火を噴く。

 着弾、数kmに亘って火球が花開く。途端に老いたる龍は咆哮を上げ、なおも強大な四肢で灼熱の地面を蹴り出す。

 爆発的加速、それだけで音速を突破した龍が迫って来る。

 龍が放った一撃目ボディブロー――回避成功。

 続いて第二撃目レーザー――回避失敗。


「くそ」


 龍が口から放った光線に貫かれ、たまらず膝をつく。高速で迫り来る大地に突っ込みかける寸前、踏ん張った脚部が超音速で地面を削り取る。

 やはり足りない、奴より先には死ねない。


「奴の出力を超えろ」

警告デンジャー、過熱損壊のリスク有り」

「構うな」

了解レディ、全出力解放」


 目も眩む程の限界加速、数百Gもの圧に骨が軋み出す。

 射出式徹甲腕ロケットパンチ発射。

 大気を裂いた腕部が老龍に着弾、のたうち回る尾を避けてなおも加速。軽くなった機体で一気に距離を詰めれば、殴打の応酬で残った拳が砕け出す。

 化け物を屠るのは、人の手であらねば。

 しかし、龍の爪は横合いから迫っていた。


「警告、回避不能」


 ごめんなさい、と謝っているように聞こえたのは、やはり感傷的に過ぎるのかも知れなかった。

 しかし、そんな必要など無いのだ。もう充分やってくれた。


「気にするな」


 吹き飛ばされる寸前、鋼の巨腕は遂に老龍の心臓を貫く。

 そして壮絶な衝撃、気付けば数kmも吹き飛ばされていた。全身の感覚が消え失せていた、自分はもう助かるまい。

 しかし、龍の断末魔が掠れて行く様は聞こえていたから、満足だった。

 だから、最後には――


「立て」


 奴よりも長く命を繋いだのだ。

 人の身で、この足で、最後に立てたのだ。

 この数分だけでも構わない、再び地球を化け物の手から取り戻したのだ。だからこれは勝利だった。

 たとえ未来は繋げないとしても。

 だが、自分は化け物を殺す戦闘機械以上の者でいられたのか。


「俺が生きた意味はあったのか」

「肯定、人類に勝利をもたらしました」

「そうか……お前のおかげだ、ありが、と……もう休、め……」


 男の身体からは、21gの重みが抜けていった。

 生命活動停止。アラームがコックピットに鳴り響く。


「了解、本機も稼働を停止します。よい夜を」


 この日、一匹と一人と、そして一機が鼓動と稼働を止めた。滅びの惑星にはもう、動く物は何も無かった。

 じきに夜が来る。最後の存在証明レゾンデートルも、全ては燃え尽きた後だった。


NEXT……011 - only my arms

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885456310

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