16/Seek for the loss《2》
解薬士と
にわかには信じがたい――あるいは信じたくない事実に、公龍とアルビスは揃って押し黙る他になかった。加えて信じる信じない以前の問題として、話の規模が壮大すぎるせいで実感が湧かない。だが話を筋は通っている。何より《東都》という栄華と狂気が混在する奇妙な都市の本質を説明するのに、これ以上はない合理性を泉水の話は担保していた。
「そうなるのも無理はないよ。状況はあまりに異常さ。狂っている」
泉水は苦い表情で言う。彼は今の《東都》を、あるいはそれを統べる自らの血族を、心の底から嫌悪しているようだった。
重苦しい沈黙が広がる。だがまだここは陰謀の底ではない。やや間をおいて泉水が言葉を、《東都》に蔓延るより深い闇を、付け加えていく。
「そして残念なことに《東都》の闇はまだ深いんだ。……今でこそ《リンドウ・アークス》の裏の主目的になっている
「Rsウイルスのワクチン開発か」
アルビスが言うと、泉水は薄い笑みを口元に刻んだ。
「さすが。そこは既に知っているんだね」
「だけどよ、ワクチン開発と人造臓器の開発がどう繋がるんだよ」
続いて投げ掛けられた公龍の問いに対し、泉水は滑らかに進んでいく会話のテンポに満足したように頷く。
「それは君らもよく知ってる現象だよ」
そう言われ、公龍とアルビスは揃って心当たりを頭のなかで思い描く。しかし答えに辿り着くよりも早く、泉水が答えを口にした。
「
公龍たちは当然驚いた。しかしさっきから立て続けに伝えられる衝撃の事実に感覚が麻痺し始めているのか、遺伝子変異と
「かつてワクチンの被検体だった〝アーク〟と名付けられた一匹のマカクザルがいた。比較的大切に扱われていた実験動物だったが、ある日の実験で遺伝子変異を発症。死後の解剖で、説明できない謎の臓器が発見されたってわけ」
「それが
「棗シロウや空木クロエのそれとは比べものにならないほどに不完全なものだけどね」
公龍の問いに答え、泉水は両手を打ち鳴らす。
「ともかく、遺伝子変異で死んだ〝アーク〟のそれを原型として《リンドウ・アークス》による
もちろんこれらは違法な人体実験を伴う研究だ。だからある程度の成果を得るまでは、何があってもその存在を世の中に露見させるわけにいかない。キリノエ教授が追っていたRsウイルスが日米共同開発の兵器だったという事実はそれ自体でももちろん劇薬だが、《リンドウ》としてはそこから紐解かれる可能性のある
「ついでに
公龍は毒づく。噛み潰した苦虫から溢れ、胸中へと押し寄せるのは後悔だった。
クロエの体内に見つかった
泉水は唇を噛む公龍に、慰めるように言葉を掛ける。だがそれは、たとえ公龍たちがどれほど警戒していようと、
「実に鮮やかだよ。たった一手で邪魔だと判断した障害を全て排除してみせるんだから」
泉水が手放しで褒める相手は、おそらくこの世に一人しか存在しない。
アルビスは既に高い確度でもって想定していたことを改めて確認するような口調で泉水に問うた。
「やはり黒幕は竜藤静火か」
「だろうね。姉さんも頭はキレるけど、こういう俗事に興味はないから」
竜藤静火と言えば、つい先日の竜藤統郎の死を受けて新たに《リンドウ・アークス》のトップとなった男だ。つまりこの《東都》の頂点。そんな人間が糸を引いているとなると、状況の困難さはさらに増していく。
「……何か、何か手はねえのか?」
公龍の声は思わず荒くなった。まだ治り切らない腹は激痛を訴え、口のなかには喉の奥から込み上げてきた血の味が広がっていく。
状況は最悪。警戒の高まる今、竜藤静火には近づくことさえ困難だろう。それに、仮に静火を暗殺したところで公龍の罪状が一つ増えるだけ。意味はない。
「兄さんは聡明で、強く、決断力があり、だが用心深くもある。おそらく自分に責任の追及が及ばないように、今回のことも自分では直接動いていないはずだ。脚本家やプロデューサーは静火兄さんだが、実際にメガホンを手に取っている監督は別にいる。つけ込む隙があるとすればそこしかないだろうね」
「その監督ってのは誰なんだ?」
「たぶん竜藤連地。竜藤の四男だよ。ノアツリー襲撃事件の責任を取って
「連地……あのモヤシか」
「知ってんのか?」
公龍が訊くと、アルビスは不愉快そうに頷いた。
「もう何年も会っていないが一応な。私と同じ愛人の子供で、境遇が似ていたから覚えている。確か今年、《リンドウ・アークス》に入社していたな」
「そう、その連地で合ってるよ。もちろん役者は監督とも別にいて、既に実行犯は消されているだろうけどね」
「奴は今どこにいる?」
ナイフを突きつけるようなアルビスの問い。しかし泉水は大仰に肩を竦めた。
「さあ。この一週間、僕は君らにほとんど付きっきりだったからね。《東都》のどこかで次の手の仕込みをしているかもしれないし、フェンディ・ステラビッチの失敗のツケを支払わされて、もう既に消えているかもしれない」
再び公龍たちは沈黙。やむを得ないとは言え、長い間寝込んでいたことが悔やまれた。目を覚ました数刻前の、生き残ったことへの安堵はもはや跡形もなく消え失せていた。幾度となく突きつけられる状況の困難さが、二人の肩に重くのしかかる。
「とはいえ、一つだけ朗報がある。連地はチェコのプラハに留学していたことがあってね。現地には連地のガールフレンドがいる」
「あのモヤシの女性遍歴がどうして朗報になる?」
「まあアルたん、話は最後まで聞こうか」
アルビスを宥め、泉水は身体を前に倒すやあからさまに声を潜めた。
「そのガールフレンドだけどね、父親が
もちろん《東都》の連地のもとに残る証拠は消されているだろうし、実行犯も既に消えるか飛ぶかしてるのは間違いない。だけどまだ、この会社には連地の仕事を請け負った記録が残ってるはずだ」
泉水はさらりというが、公龍たちには懸念があった。
それはもちろん、
公龍たちが抱いたその懸念が言葉になるより先に、立ち上がって歩み寄ってきた泉水がシャツのポケットから一枚の封筒を取り出す。
「プラハ行きのチケットだよ。これはプレゼント。
泉水は言って、ほとんど押し付けるようにチケットを公龍とアルビスの手に握らせた。
「たまには観光でもしてみたらいい。僕は放蕩息子だからね。旅が全てとは言わないけど、《東都》を出ることでしか得られない経験もたくさんあるよ」
公龍は手のなかに握られたプラハ行きのチケットに視線を落とす。
《東都》の転覆を目論む〝
「泉水さん、頼む」
「もちろん。アルたんはどうする?」
「……受けてやる。だが次その呼び方で呼んだら、貴方の喉を裂く」
「いいね。元気が戻ってきたみたいで何より。これで君らに貸し一つだ」
これから起こる混沌の深さを知りながら、泉水は気安く茶化すような調子で笑みを浮かべる。公龍はチケットを持つ手に力を込める。
クロエと過ごす平穏を取り戻す――。
ただそれだけを願い、公龍はこの窮状への形勢逆転を固く誓った。
―――― To be continued in 5th Act......
Over Dose《Perfect Order》 やらずの @amaneasohgi
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