15/At dragons' heart《3》

 泉水は手に持っていたスツールをその場に置き、部屋の出入り口を塞ぐようにその場に腰を下ろした。


「まずは……そうだね、一言お礼くらいあってもいいのかな。助けてあげたわけだし」


 泉水がおどけたように両手を広げる。アルビスがあからさまに舌打ちをした。

 兄弟仲の険悪さはアルビスの生い立ちから既に想定済みだったが、どうやら想定以上らしい。間に挟まれる公龍は堪ったものではない。

 もちろん泉水のほうも、純粋な兄弟愛から助けたわけではないだろう。アルビス曰く、屋船などと同じ手合いだとするならば、そこには明確な目的があるはずだ。


「……助けてくれたのは恩に着るよ。だが、どうして俺らを助けた? あんたに何のメリットがある?」


 殺気立つアルビスを警戒しながら公龍は泉水に訊ねる。泉水はわざとらしく驚いたような表情をつくり、それから微笑んで無精髭を撫でる。


「面白いことを言うね、アルたんのお友達は。弟を助けるのに理由なんているかな?」

「貴方が損得勘定を抜きに行動を起こすような人間でないことは分かっている。目的は何だ?」


 アルビスが泉水を睨みつける。この実弟からの清々しいまでの拒絶に、泉水は笑顔のままで溜息を吐いた。


「まあいいよ。元から助けた分は働いてもらうつもりだからね。何せ僕は命の恩人だ。無碍にはできないだろう?」


 泉水は相変わらず笑みを浮かべている。だが朗らかだったそれは一瞬にして、油断ならない狡猾さを帯びたのが分かった。


「何が目的だ」


 疑問というよりも詰め寄るようなアルビスの硬質な声。それは泉水に対する警戒心でもあり、同時にアルビスが彼を恐れているようにも感じられた。

 泉水は公龍たちを値踏みするように交互に見やる。ベッドルームにはにわかに緊張感が漂い始める。やがて泉水が張り詰める空気をリセットするように、ぱちんと指を鳴らした。


「冗談はこの辺にしておこう。ここからが本題だ」


 やはりさっきまでの弟云々は冗談だったのだろう。アルビスの言う通り、掴みどころのない男だ。

 公龍は息を吐き、気を引き締める。これまでこういった交渉事はもっぱらアルビスの領分だったが、今は明確に二人の目的が違う。公龍は公龍で、この窮状を打開するために有効そうな情報を泉水から引き出す必要があるだろう。


「僕の――いや、僕らの目的は《東都》の転覆。より詳しく言うならば、《リンドウ・アークス》が君臨するこの都市の玉座から、彼らを引き摺り下ろすこと」

「僕ら?」


 アルビスが訊いた。泉水はいい質問だと言わんばかりに笑みを深くする。

 どういう経緯や腹積もりがあるかは知らないが、泉水が《リンドウ・アークス》をよく思っていないことは確かだ。そして知っている限り、そういう人間は意外にも多い。《東都》そのものとも言える《リンドウ・アークス》を相手にするのだから、アルビスのように個人で動くほうが珍しいのだろう。何らかの徒党を組んでいる可能性は考慮済みではある。

 だが、続く泉水の言葉はそんな想定を遥かに凌駕する事態が今まさに進行していることを公龍たちに突き付けた。


「そう。僕らは彼らを〝切り札トランプ〟と呼んでいる。人数は四人。まさにトランプになぞらえて、それぞれは〝スペード〟〝クラブ〟〝ハート〟〝ダイヤ〟の名前で呼ばれる。彼らは皆、《東都》の、あるいはこの国の表裏を牛耳るような重鎮と呼んでいい人間たちだ。そして僕らは〝整理者レギュレーター〟。言ってしまえば彼ら〝切り札トランプ〟の意向を汲み、《東都》転覆という目的への道筋を整えるために動く小間使いってところかな」


 公龍は息を呑んだ。アルビスも緊張感を帯びたのが分かる。

 にわかには信じがたい話だ。だが嘘や作り話にしてはあまりに突拍子がなさすぎる。加えて、泉水がこの場でそんな嘘を吐くメリットがどこにもなかった。


「信じられないのも無理はない。そうだな……一つ話をしよう」


 泉水は薄い笑みとともに人差し指を一本立て、話を続ける。


「賢政会の前会長、政岡賢十郎まさおかけんじゅうろうは〝ハート〟の〝整理者レギュレーター〟だった。しかし彼は自分の都合で《リンドウ・アークス》に交渉を吹っ掛ける愚行に及び、そのせいで〝整理者レギュレーター〟としての適性を問われていた。そしてそんな矢先、《リンドウ》によって消された。この事態を面倒だと判断したのが〝切り札トランプ〟。まだこちらの動きを具体的に勘づかれるわけにはいかないからね。結果、何も知らない政岡白雪は〝クラブ〟の〝整理者レギュレーターに〝六華〟という力を与えられ、彼の筋書き通りに《リンドウ・アークス》への復讐を試みた。《リンドウ・アークス》に対して想像以上の打撃を与えたことと無事に相討ちとなって賢政会が沈んでくれたことは、不幸中の幸いというべきだろうね」

「その〝整理者レギュレーター〟とやらは何者だよ」


 公龍が声を鋭くした。

〝六華〟と〝赤帽子カーディナル〟には間違いなく同じ人間による手が加えられている。つまり政岡白雪に〝六華〟を与え、あの凄惨な祝祭を引き起こすよう唆した人物こそ、桜華に〝赤帽子カーディナル〟をあてがって凶行に及ばせた張本人だ。

 だが望む答えは得られず、泉水は首を横に振る。


「悪いね。僕らは互いの素性を知らない。まあ僕のように複雑で特殊なバックグラウンドをもっていれば自ずと知られてしまうから別だろうけどね。何より、彼とは所属する元が違う。元が違えば、接点はほとんどないんだよ」

「貴方は誰の差し金で動いている?」


 アルビスが問うと、泉水は人差し指を唇に当てた。


。ただ僕は〝スペード〟の〝整理者レギュレーター〟だ、とだけ言っておくよ。今回のキリノエ殺害の一件を受けて、君たちへの接触の機会を伺っていたんだ」

「それで、アルビスからの連絡に二つ返事で応えたってわけか」

「ま、そういうこと。思わぬ横槍のせいですっぽかされちゃったけどね」

「その〝クラブ〟の〝整理者レギュレーター〟は粟国桜華事件にも関わってんよな?」


 思わず声に怒気が乗る。泉水は驚いたように目を丸くし、それから首を横に振った。


「僕が持っている事実で言うならば答えはノー。定かじゃない。だけど状況から類推すれば、そう考えるのが妥当だろうね」

「てめえっ!!」


 公龍は唸るように吼え、ベッドから立ち上がる。泉水へと詰め寄るが、足元が覚束ずに転倒。顎を強かに床へと打ちつける。

 咄嗟に両手を挙げて降参の意を示していた泉水は手を下げ、憐れむように床に伏せる公龍を見下ろす。


「多少だが心中は察するよ。だけどね、僕に怒りをぶつけるのはお門違いだよ。言ったろ? 〝整理者レギュレーター〟は原則不干渉なんだ」

「くそっ!」


 公龍は床に拳を振り下ろす。骨とフローリングが打ち合って、物悲しい音が部屋に響く。やがてアルビスが近寄ってきて、公龍の脇を掴んでベッドに腰を下ろさせた。見据える薄青の瞳は、公龍に落ち着くよう言っているような気がした。

 冷静さを失ってはならない。公龍は二回ほど深く呼吸を繰り返して、ささくれ立った心を強引に宥める。もちろん怒りは拭えない。まだ顔も名前も分からない〝クラブ〟の〝整理者レギュレーター〟には必ずツケを支払わせると、静かに心のなかで誓う。

 泉水は笑みを浮かべながら左膝を揉んでいた。しばらくの間、泉水はそのまま黙り込み、公龍たちもまた考え込むように沈黙した。

 ここまで、泉水の話したことに嘘はないように思う。名称は置いておくにしても、《東都》に混乱を呼び込む何らかの意図と狂気が渦巻いていることは確かだ。少なくとも政岡白雪は、そして粟国桜華はその思惑に絡め取られるように落ち、全てを――命すらも失ったのだ。

 もはや《リンドウ・アークス》も〝切り札トランプ〟も関係なかった。クロエや桜華を巻き込み傷つけようとする巨大な悪意や思惑は全て、払い退けて潰すのだ。

 やがてアルビスが再び会話の口火を切る。


「泉水、貴方はなぜ私に近づいた? それもが目的か?」

「もちろんだ。、僕は打算で動く人間だからね。アルビス、いや、君の母親であるレシア・ヴァルムシュテルンの存在は、《リンドウ・アークス》にとって葬り去りたいものなんだ。だから君と君が目論む復讐は、《リンドウ》を大きく揺るがす決定打クリティカルヒットになり得る」


 泉水は一気に言葉を並べ、それから息を深く吸い込む間を置いた。


「アルビス、九重公龍。君たちを〝整理者レギュレーター〟として迎え入れる用意が〝切り札トランプ〟にはある。〝整理者レギュレーター〟になれば、もう指名手配犯として怯えている必要もない。〝切り札トランプ〟にはそれだけの力がある。悪くない話だろう?」


 確かに悪くない話だ。現状何の打開策もないままではクロエを救い、《リンドウ》や〝切り札トランプ〟を倒すどころか、自らの無実さえ証明しようがない。少なくとも〝整理者レギュレーター〟になることを選びさえすれば、公龍たちは強力な後ろ盾を得ることができる。

 示し合わせるまでもなく、公龍とアルビスの答えは決まっていた。


「「断る」」


 声が揃った。

 公龍とアルビスは互いに顔を見合わせ、眉間に不快感由来の皺を刻む。いち早く元の顔に戻ったアルビスが当然だと言わんばかり、僅かに口角を歪め、泉水へと視線を戻す。


「悪いがそういうことだ。これは私の復讐で、公龍の戦いだ。馴れ合うための外野のノイズは必要ない」


 アルビスの突き放すような言葉に、泉水はわざとらしい寂しげな表情を見せる。


「そうか、悲しいね」

「勝手に悲しめ。それとも、〝切り札トランプ〟の存在を知った私たちを消すか?」

「そんなことはしないよ。言っただろう、君らはもう《東都》に根を張る混沌の渦中にいる。僕らの仲間になるかどうかに関わらず、その有用性は揺らがないからね」

「それなら安心だ」


 未だやや苦い顔をしている泉水に、アルビスは冷ややかな声を向けた。

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