15/At dragons' heart《1》
「役立たずがぁっ!」
絶叫。連地は左手首に撒いていた
何もかもが苛立たしい。この自分が勝ち取った優勝トロフィーに落ちて割れるような安い素材を使ったことも許せない。今すぐ大会の主催者を訴えてやろう。《リンドウ》は優秀な弁護士を複数抱えている。ここで言う優秀さはもちろん、黒も白に塗り替えるだけの力があるという意味だ。てきとうな理由をつけて
いや、そうではない。だめだ。思考が散逸だ――。連地は首を横に振る。
問題はあの女だ。あの女のせいで、連地は今こうして怒りに震えているのだ。
フェンディからの連絡が途絶えてから一週間が経っていた。いい報告をするなどと偉そうに言っていたが最後、フェンディからの連絡はもちろん、彼女がこちらからの連絡に応じることもなくなった。
もちろんあの女の頭の奥に仕込んだ小型の爆弾は起動した。しかし衛星から帰ってきた信号は
どちらであるかは問題ではない。どちらにせよ、〝氷血の魔女〟が連地の手を離れてしまったことに変わりはないのだから。
連地のもとには、最後の連絡の直後、かつてフェンディがセーフハウスとして使っていた
とにかく、あの場で戦っていたはずの三人は痕跡だけを刻みつけて忽然と消えた。そして彼女らがどこへ消えたのかは、あらゆる手を尽くしても辿ることはできなかった。当然、どちらが生き残ったのか、あるいは相討ちとなったのか、まだどちらも命を繋いでいるのか定かではない。
これは連地の大きな失態だった。逃亡犯である九重公龍を始末できたのかすら判然としなくなり、そのためのカードとして使っていたフェンディすらも行方が分からなくなってしまっているのだ。
何か策を考えなければならない。静火が何かに気づく前に解決――あるいは解決できずとも事態を収拾する見込みを立てなければならない。
しかし連地の脳は焦燥に駆り立てられるばかりで、ろくな案の一つすらも思いつくことはなかった。
「くそっ、くそくそくそくそくそくそっ!」
握った拳で何度も机を叩く。拳は青く腫れ、皮膚が裂けたところからはぷっくりと血が浮いていた。
失態が耳に入れば、連地は間違いなく静火の信用を失う。そうなれば将来的に
竜藤の名前を失うわけにはいかない。竜藤の二文字は、自分がこの《東都》で最も優れた血を持つ人間であることの証明なのだ。自分は亡き《東都》の王――竜藤統郎の血を引いている。新たな統治者である静火だって半分は同じ血が流れている。
大丈夫、大丈夫だ――連地は自らに何度も言い聞かせ続ける。しかし気分は全くと言っていいほどに落ち着かなかった。
怒りと焦りに焦がされていく連地の耳に、乾いたノックの音が響く。連地は反射的に肩を強張らせ、息を止める。それからゆっくりと息を吐き切り、呼吸やら髪を整えてから、執務椅子に浅く腰かける。自分が十分に落ち着いたタイミングを見計らい、扉の向こうにいるであろう部下に向けて声を返した。
「……入れ」
言うや、名乗りもせずに扉が開く。その不躾さに眉を顰めていた連地だったが、扉の向こうに立っていた人物を見て面を食らう。取り繕ったはずの平静は一瞬にして剥がれ落ち、とてつもない焦燥が波濤のごとく押し寄せて、連地の心を砕いていった。
部屋の入り口に立っていたのは刈り上げた銀髪と両頬に刻まれた幾何学模様の
床を穿つ踵の音が鳴り、扉の脇から濃紺の
「やあ、連地。夜遅くにすまないね」
静火は連地に向けて言った。それから荒れ果てた部屋を見回し、藍色の瞳にほんの一瞬だけ侮蔑するような色を浮かべると、ルベラに先んじて部屋のなかに足を踏み入れる。
「こ、こんばんは。
連地は反射的に立ち上がっていた。静火は散らばった書類や壊れたPCを跨ぎ、執務机の前に並んでいる革張りのソファに腰かける。ルベラは廊下から二歩だけ部屋に入って扉を閉めたあと、扉の横に門番のように佇んだ。
「今日は、その、どうしたんでしょうか?」
連地は静火に訊ねる。ソファにかけたまま部屋を見回した静火は連地の問いかけを無視し、小さく溜息を吐く。たったそれだけで連地の内心は大きく揺さぶられ、はっきりと伝わってくる失望に深く傷つけられていた。
「随分と荒れているな」
「ちょっと探し物をしていまして」
連地はぎこちない笑みを浮かべる。苦しい言い訳だった。きっと子供でももう少しましな言い訳を並べるだろう。だがそんなことに頭が回らないほどに、連地は焦燥に駆られていた。
「探し物は見つかったか?」
「ああ、ええ。もちろんです」
「そうか。なら次は魔女でも見つかるといいな。《東都》中を引っくり返してみるか?」
まるで素手で心臓を鷲掴みにされたような気分だった。連地はにわかには言葉を返せず、喉はつかえた言葉を無理矢理押し出そうとしているように「あ」とか「っ」とか、不恰好な音を鳴らす。
静火はもう一度、今度は深く溜息を吐いた。
「残念だ、連地。お前には少し荷が重かったようだ」
容赦のない宣告。連地の心は容易く折られ、呆気なく砕け散る。焦燥は明らかな狼狽へと変わった。
「待ってください、義兄さんっ!」
連地は悲痛さとともに声を絞り出し、ソファに座る静火のもとへと縋る。
「ただ少し連絡がつかないだけなんです! まだ大丈夫。些細な問題だ。きっとあの魔女はまだどこかで生きて――」
「連地、お前は勘違いをしている」
硬質な声が連地の弁明と訴えを遮る。藍色の瞳にははっきりと失望が宿り、縋りつく連地を見下ろしている。
「些細な問題……魔女を野に放っておいてか? いいか、連地。俺たちの為すべきは、この《東都》の繁栄を守ること。《リンドウ・アークス》という器はあくまでその目的を達成するのに都合がいいから存在しているに過ぎない。《
静火は連地の髪を掴み、俯いた顔を強引に上げさせる。連地は今にも泣き出しそうな顔に力を込めて、失望がもたらす感情の決壊を辛うじて押さえ込んでいた。
「すいません……義兄さん」
恐怖のあまり声が裏返る。それは憧憬と敬意の的である静火を失望させてしまっていることへのショックや、自分の立場を危うんでの恐れではなかった。言うなればより根源的――自分よりも圧倒的かつシンプルに強い上位種に遭遇した生き物が抱くそれだった。
「自らの失態だ。本来ならば見限るところだが、連地、お前は半分とはいえ血を分けた兄弟だ。為すべきは分かっているな?」
凄まじい圧力。連地は自分にかかる重力だけが増したようにさえ錯覚し、呼吸やその場に跪いていることすらにも耐えがたい苦痛を感じていた。
――逃げ出したい。だが動くことすらもできない。周囲の空気すらも敵となってにじり寄り、連地を捻り潰そうとしているようだった。
連地は辛うじて頷く。静火は口元にだけ穏やかな笑みを湛えた。
「ルベラ」
静火が入り口付近に控えていたルベラを呼んだ。ルベラは機敏に反応し、連地の視界から消える。次の瞬間には背後に立っていて、連地の襟首を掴み上げた。
「義兄さん、何を……?」
連地の困惑を置き去りに、ルベラの手刀が連地の首筋を穿つ。連地の意識は容易く奪われて失神。ルベラはそのまま意識を失った連地を引き摺り、扉の前で静火に一礼。部屋を出ていく。
扉が閉まり、荒れた部屋には静火だけが残される。静火はソファに鍛えられたシャープな身体を預けながら、弟の無能を嘆き、そして事態の収集に向けた地図を頭のなかで描いていく。
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