14/Blood & Silver《2》
「アルビス、まだいけるな?」
公龍は一時的に口元を覆う鎧を外し、隣りで荒い呼吸を繰り返すアルビスに言った。
もちろん意識の飛んでいるアルビスからの返事はない。だが過剰に再生されたことで関節や骨と癒着し出した筋肉を強引に引き剥がしながら、アルビスは唸る。それは苦痛に喘ぐ声のようにも聞こえるが、今はもっと違う意味を帯びて公龍の耳に届いていた。
愚問だ――。アルビスがそう言った気がして、公龍はきつく結んだ口元を鎧で覆い直す。
進むしかない。戦うしかない。背負った罪や抱えた喪失にささやかな意味を手向けるために、こんなところで躓くわけにはいかない。それはたとえ目の前に立ちはだかる敵がどれほど強大だとしても変わらないのだ。
最初にアルビスが地面を蹴った。公龍もすぐに後に続く。二人は左右に分かれ、弧を描きながらフェンディへと接近。フェンディは応戦するように迎撃の槌を放つ。公龍は携えた血の長槍で槌を打ち払う。アルビスも骨の突き出した腕を振るい、自らの骨もろとも槌を砕いていく。
左右からの挟撃――。しかし公龍とアルビスの攻撃がフェンディを捉えることはなく、血の槍と骨の剣が二人の間で切り結ぶ。
「ふふふっ。こっち、よっ!」
声は頭上から。
見上げると同時に回避へと移るも、ゲリラ豪雨さながらに血の槌が降り注ぐ。
血赤の鎧を見様見真似で形成しながらこれまで通りに槌を複雑に操作する。それはまさに天才的な技量と言えた。
腕を交差して防御姿勢を取るも、容赦なく迫る槌に血赤の鎧は削られていく。公龍はなんとか飛び退き、一番近くにあった廃ビルのなかへ窓を突き破って飛び込む。槌に穿たれた壁は破壊されて粉塵を立てる。公龍は即座に体勢を整えて跳躍――元から崩落して穴の開いていた天井を伝って二階へ移動する。そのまま低くフロアを駆け抜け、壊れた窓枠を足場にして外へ。槌の攻撃で血塗れになったアルビスと鍔迫り合うフェンディの元へ突撃する。
槍を振り抜く。間合いに割り込んだ槌が立ちはだかるが、時間経過によって
吹き飛んだ公龍は今しがた飛び出してきた廃ビルの四階付近に激突。壁が蜘蛛の巣状に砕け、公龍は壁に埋まる。貫いた衝撃は骨を軋ませ、肺から空気が搾り取られたことでにわかに呼吸が奪われた。
フェンディの手の甲から生え出ている長剣と切り結んでいたアルビスの骨が砕ける。前蹴りが見舞われ、たたらを踏んだところにフェンディの斬撃が振り下ろされる。アルビスを覆っている剥き出しの筋肉が引き裂かれて鮮血が飛び散る。返す刃で刺突が繰り出され、咄嗟に顔を傾けたアルビスの肩口を深く抉っていく。アルビスが退くことはなく、狂気的な本能のままに踏み込む。分厚い手でフェンディの喉元を掴むがもののフェンディの一閃――遅れて斬り飛ばされたアルビスの右手が宙を舞った。
「グォォォォアアアアアアアッ!」
アルビスの雄叫び。
このままではまずい。脳裏には敗北の二文字が過ぎる。公龍はにわかに浮かんだそれを頭を振って振り払う。先の衝撃で脳が揺れているのか、視界が遠近感を失って景色が行ったり来たりしていた。
公龍は目を閉じて、失ったものを数えた。顔を見ることさえできなかった我が子。桜華。澪。戦いのなかで散っていた数多の命。それから残っているものを数えた。いや、数えるほどもなかった。アルビスとクロエ。二人の顔を思い浮かべる。
アルビスの言う通り、まだ公龍は数多の喪失を哀しむための資格すら持たず、ただそれらを糧にして進むほかにないのかもしれない。いや、進まなければならないのではない。きっとその喪失が公龍を前に進ませてくれるのだ。そしてその先に、まだ辛うじて掌からこぼれ落ちていないものを掴むことができる。
公龍は目を開ける。戦況は相変わらず最悪。肉体はとっくに限界を迎え、敵は史上最凶。だが意志はまだ折れてはいなかった。
公龍を投げ飛ばした蛇が顔の向きを変え、アルビスへと食らいつく。公龍は壁を蹴って跳躍し、三度生成した槍でその蛇の頭を落とす。公龍は地面に着地。やや遅れてアルビスもほとんど落下するように四つ足をついて地面に降り立った。
「そろ、そろ、仕上げに、するわ」
フェンディが一方的に終幕を告げる。背後には無数の槌が浮かび、鎧に覆われた両手からは長剣が突き出す。纏う殺気は鋭さを増し、本気でとどめを刺すつもりでいることが伺える。
構わなかった。どうせもう長く立ってはいられない。
公龍は槍を解除し、二振りの刀へと変形。腰を落として上下にそれらを構える。
アルビスも立ち上がり、腕の筋肉を引き裂いて骨の剣を生成する。
相対する二人と一人の間に、夏の温い風が吹いていた。
二人が地面を蹴ったのと、フェンディが槌を放ったのはほとんど同時。
アルビスが僅かに先行。公龍の前に身を晒し、槌の豪雨に飛び込んでいく。
既に意識のないアルビスに公龍を守るつもりも、何らかの戦略もない。おそらくは単なる本能で、公龍に生存への全ての望みを託してくれたのだ。
振るった骨の剣で槌を砕き、槌に肉体を砕かれていく。腕が吹き飛び、太腿は貫かれ、脇腹は大きく抉れた。しかしアルビスが立ち止まることはなく、最後の力を振り絞って再生を繰り返しながら槌の豪雨を切り拓く。
血の赤が晴れた一瞬を突いて公龍は加速。筋肉が引き千切れ、骨が軋み、血赤の鎧には亀裂が走る。ほとんど弾丸じみた速度でフェンディに肉薄した。
公龍の速度に、フェンディは激烈な踏み込みで応じる。アスファルトが砕け散り、二人は衝突。切り結んだ四本の血の刃は火花を散らし、同時に折れる。跳ね返った刃が互いの頬を掠めていく。
フェンディは再び刃を生成しつつ、反対の腕を振り抜いてすかさず殴打。減り込んだ拳が公龍の血赤の鎧に走る亀裂を深くする。
公龍は歯を食いしばって衝撃に耐え、それに応じた。右手に握っていた柄を振り下ろし、フェンディの頭部を打擲。雷鳴じみた音が響き、フェンディが前のめりに一歩よろめく。しかしフェンディは踏みとどまる。生成を終えた鋭利な長剣が公龍の懐で閃いた。
公龍はバックステップを試みるも間に合わない。胸の鎧が砕け散り、その下の生身が深く切り裂かれる。
執念の一閃。それはフェンディの深く苛烈な憎悪を象徴する斬撃だった。
公龍は地面を擦って後退。切り裂かれた胸からはバケツをひっくり返したように血が溢れ、ぱっくりと裂けた傷口からは折れた肋骨が見えていた。
公龍は激痛に苦鳴を漏らす。回復を図ろうと
劈く咆哮。それは膝を屈する公龍を鼓舞するように。
脇をアルビスが駆け抜けていく。肉体のあちこちは欠損し、歪な再生によってほとんど筋肉と骨の怪物と化している。アルビスは動かすたびに軋み、激痛を放つ身体に鞭を打ってフェンディに突進――しかし薙ぎ払われる骨の斬撃を掻い潜ったフェンディの長剣が一斬。
踏み込んだ勢いのまま背後に抜けたフェンディの背中越し、噴き出す血の勢いに押し負けるように沈むアルビスが見えた。
「ふふ……ふふふっ、ふひっ、ふひひひひっ」
フェンディの喉が地獄の底から湧いたような昏い歓喜の笑みを漏らす。
「ジョニー、私、やった……貴方の、仇、取るわ。見て、てね」
何もない宙空に語りかける。
きっとその姿が狂気じみているのは、あるいは宿願の成就に歓喜する笑みが痛いのは、復讐なんてものがどうしようもなく空虚だから。
かつて公龍が
公龍は復讐を否定する術を持たない。否定するつもりもない。綺麗事を並べるにはたくさんの喪失を味わいすぎている。しかしだからこそ、それが、過去に生きることがどれだけ虚しいものかを知っていた。
フェンディが言っていた通り、公龍たちと彼女は何も変わらない。己のエゴで他人のエゴを踏み躙る行為に差は存在しなかった。
だからこそエゴが衝突するこの戦いに負けるわけにはいかない。そしてこの大義のない戦いを終わらせなければならない。
「終わり、よ」
フェンディが口角を歓喜に釣り上げて地面を蹴った。手の甲から突き出す長剣を振り絞る。
公龍の身体は動かなかった。肉体が限界を迎えたのか、あるいはフェンディから滲む憎悪と気迫に当てられたのか。
赤く霞んだ視界の真ん中で、燃える炎よりも遥かに鮮明な赤が閃いた。
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