14/Blood & Silver《1》

「グゥゥゥオオオオオオオオオオオオオオオッ!」


 アルビスの咆哮が轟く。肉体は急激な再生を始め、折れた骨も抉られた皮膚も逆再生の映像を早送りで見せられているかのように修復されていく。しかし再生はただ治すに留まらない。骨は皮膚を裂いて突出し、剥き出しの筋肉が鎧のようにアルビスの体躯を覆っていく。

 アルビスは腹に突き刺さった槍を掴み、壁と腹から力任せにそれを引き抜いた。フェンディが危機を察知したときには既に遅く、掴んでいた槍ごと投げ捨てられて壁に激突。腹に空いた穴は瞬く間に塞がっていく。


「グゥゥゥルルルルッ!」


 アルビスが唸り声とともに公龍を掴む澪に一撃を見舞う。澪の腕は引き千切られ、体躯は吹き飛ぶ。ほとんど同時に血の蛇たちも切り裂かれ、拘束から逃れた公龍はその場に座り込む。

 続いてアルビスは地面を蹴る。低い跳躍から張り詰めた弓のように身体を引き絞り、剛腕を振るう。さっきまで骨の砕けていた腕は覆われた筋肉で倍ほどの太さになり、そこからさらに鋭利な骨が突き出している。それはまさに、狂気を具現化したようなかたちをしていた。

 砲弾じみた突撃とともに放つアルビスの一撃。咄嗟に体勢を整えたフェンディはこれを辛うじて回避。アルビスの背後へと抜け、無防備に晒された背中に無数の血の槌を見舞う。

 たしかな手応え。しかし巻き起こる粉塵を裂き、アルビスがすぐさま飛び出してくる。

 槌は確かに命中していた。しかし骨を砕き、肉を磨り潰すはずのダメージを歯牙にもかけず、アルビスは自らの肉体を駆動させていた。

 フェンディの眼前へと接近したアルビスが引き絞った腕を振るう。戦術や型があるわけではない、ただの暴力。だが力任せの暴虐だからこそ、対処のしようがなかった。フェンディは肘から先を自らの血で隈なく覆って防御。しかし凄絶な衝撃は血の手甲を飴細工のように砕き、フェンディを吹き飛ばす。フェンディは空中で体勢を整えて壁に着地。既に追撃に移っているアルビスへ血の槌を放ちながら、自らは大きく飛び退いて回避する。

 槌の殺到によって抉られ、磨り潰された肩や脇腹の欠損は瞬く間に修復。それどころか再生するごとにアルビスの体躯の大きさと強靭さは増していく。


「アルビス……」


 公龍はバケモノじみた姿に変貌し、暴威を発揮するアルビスを目の当たりにしていた。

 特殊調合薬カクテルの直接服用。それは本来的には劇薬である特殊調合薬カクテルを、中和効果を持つ医薬機孔メディホールを通さずに摂取すること。運が悪ければ命さえ落としかねない大博打だ。

 賭けに出なければならないほどに追い込まれていたということもあるだろう。だが、常に冷静沈着で計算高いアルビスがこんな大博打に打って出る意味を、全く悟ることができずにいるほど、公龍は耄碌してはいない。

 その背中が語りかけている。あるいは轟く咆哮が訴えかけている。氷のように冷たく、鋼のように硬い意志が、公龍に安易な絶望のなかへと塞ぎ込んでいくことを許しはしなかった。

 怒りや憎しみさえ糧に。公龍にはまだ、澪の死を哀しむ資格すらない。


「クソムカつく野郎だ」


 公龍はアルビスに向けられた言葉を噛み砕いて吞み下す。良薬は口に苦しというが、味は最悪。それどころか、胸の奥のほうで痛みさえ伴った。

 アルビスはフェンディと一進一退の攻防を続けている。繰り出した打撃は躱され、壁を砕くと同時に腕もろとも爆散。消失した手首から先はあっという間に再生し、アルビスは殺到する槌に身体を打たれながらフェンディに追い縋る。

 戦局は攻め続けているアルビスが優位であるように映る。しかしあれほど苛烈に攻めながら、決定打を欠いている。それはつまり、フェンディにはまだ余裕があることを示している。

 その上、時間がなかった。あの形態のアルビスはそう長くはもたない。無限に膨張を続ける体組織はやがて癒着を始め、関節の稼働を阻む。そうなればアルビスは動けなくなり、ただの肉塊同然に成り果てる。

 これはアルビスの脅迫でもあるのだろう。この場を生きて切り抜け、クロエを救いたいならば、立ち上がれ――。アルビスはそうやって脅しをかけ、公龍の眼前に刃を突きつけている。

 かつての相棒にここまでされて、それでもなお絶望に浸っていられるほど、公龍は腑抜けてなどいなかった。

 公龍は立ち上がる。一度は戦うことを放棄しかけたその手に回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを握り、弾倉の中身を検める。ゆっくりと息を吐き、その尖端を医薬機孔メディホールへと差し込んだ。

 引き金の音は、抱いた決意と裏腹に、拍子抜けするほど間の抜けた音。流し込まれたのは原初の特殊調合薬オリジン・カクテル――緋色クリムゾンのアンプル。

 まず訪れたのは全身の熱。尋常ならざるそれはまるで融けた鉄を流し込まれたように、公龍の肉体を内側から焼き尽くした。

 続いて生まれたのは凍えるような寒さ。それは身体の芯からあっという間に全身へ広がり、猛烈な熱と共存して公龍の肉体を苛んだ。

 そして公龍の全身が破裂――夥しい量の血が噴き出す。しかしそれらは床に撒かれることはなく、螺旋を描きながら公龍の周囲へと留まる。やがて収束が起き、血は公龍の身体を、頬に至るまで隙間なく覆っていく。

 血赤の鎧――攻防一体となった、公龍の最強が顕現した。


   †


 公龍は地面を蹴る。掌に生まれた螺旋は瞬く間に一条の槍へと転じる。暴虐の限りを尽くすアルビスの打撃を回避したフェンディに肉薄。手にした槍を薙ぎ払う。間に割り込んだ槌と打ち結んで火花――あるいは削り合った血が舞った。


「ふふふ。まさか、復活、する、なんて、ねぇっ!」


 背後から血の槌が殺到。公龍はいち早く反応してバックステップで躱す。入れ違うように、フェンディの背後からアルビスが襲い掛かる。腕から生え出る骨の剣がフェンディの腕を切り落とす。フェンディは槌を放ってアルビスの追撃を牽制しつつ、回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを打ち込む。流れ出る血がかたちを結び、寸分と違わない血の腕を織り成した。


「やって、くれるじゃないのっ!」


 フェンディが声を荒げ、両手に血の長剣を握る。槌による牽制を、肉を切らせながら真正面から突破してきたアルビスの骨の刺突を交差させた刃で受け止める。交錯の一瞬――フェンディは口から血の鏃を吐き出す。小指の半分ほどの細さの鋭利な鏃はアルビスの目を穿つ。さすがのこれにはアルビスも苦鳴を轟かせた。


「グゥゥオオオオンンンンッ!」


 力任せに骨の剣を押し込む。骨が砕け散る代わりにフェンディを押し飛ばす。その先では既に、公龍が槍を携えて回り込んでいる。

 フェンディは空中で反転。薙ぎ払われる槍を左手の長剣で受け止め、右手の長剣を公龍に振り下ろす。腕を落とすはずの一撃は血赤の鎧に阻まれて肩に数センチ食い込んだだけ。次の瞬間には公龍が放った左拳がフェンディの腹に減り込んでいる。


「かはっ――」


 吹き飛んだフェンディは冷蔵庫へと激突。銀色の扉が歪み、罅割れて、弾け飛ぶ。

 追撃を仕掛ける公龍に血の槌が見舞われる。血赤の鎧を削られ、剥がされながら公龍は突っ込んだ。槍の一撃をフェンディは頭上へ飛び退いて回避。しかしすぐさま公龍も反転し、天井すれすれを跳ぶフェンディに向けて槍を投擲。フェンディは血の長剣のかたちを崩して自らの両手を覆い、公龍が放った一閃を受け止める。

 公龍はそれを見るや跳躍していた。一度は投げ放った槍の柄を再び手にし、フェンディを押し込む。フェンディは天井に激突。勢いそのままに天井を貫いて二人は一階へと躍り出る。公龍とフェンディは弾かれるように窓を突き破って外に飛び出す。一拍遅れて、激しい戦闘に耐えかねた死体安置所モルグが崩壊。瓦礫を押しのけてアルビスが飛び出してくる。

 澪は――。公龍が潰れた死体安置所モルグを見やってそう思っていた隙を突くように、フェンディが間合いを詰めていた。

 反応が遅れた公龍の前にアルビスが割って入る。放たれたフェンディの拳を骨で覆われた腕で防御。骨が砕け散る代わり、アルビスは引き絞った逆の腕を放つ。突き出した骨による刺突。フェンディは肩を貫かれながらも悪辣に微笑んだ。


「そうで、なくちゃ、楽しくないわっ!」


 フェンディはつま先を蹴り上げる。アルビスの腹部へと減り込んだつま先から血の刃が突き出す。刃はアルビスを貫通して背中から背後へと抜ける。アルビスの苦鳴が響いた。

 公龍はこの一瞬の交錯の隙にフェンディの側面へと回り込んでいる。振り下ろした槍でアルビスに減り込んだ足を斬り落とす。

 しかしフェンディは身体を捻り、もう一方の脚を振り上げる。つま先から飛び出した血の刃が公龍の胸を穿つ。血赤の鎧に罅。鋭い衝撃にアルビスはよろめき、鎧で覆われた内側で血を吐く。

 フェンディは飛び退き、斬り落とされた右足も血で生成。着地してから感触を確かめるようにつま先で地面を叩いた。


「ふふっ…そろそろ、限界、近いの、かしら?」


 フェンディが余裕を浮かべる。アルビスの直接服用と公龍の緋色クリムゾンのアンプルによってさっきまでよりは拮抗した戦いになってはいるものの、決定打には程遠い。腕と脚を一本ずつ奪ってはいるが、そんなものは復讐を遂げる駄賃程度にしか考えていないのだろう。

 一方、公龍とアルビスには限界が近かった。アルビスは既に癒着し始めているのか、さっきから動きが悪く、公龍も血を失いすぎていて視界が霞んでいた。

 もって二分――それがリミットだった。


「ちょっと、真似、して、みよう、かしらね」


 フェンディが楽しげに言うと、血液で構成されていた右脚と左腕が波打った。血はまるで意志を持つようにフェンディを呑み込んでいく。純白の魔女は瞬く間に血に呑まれ――否、血を纏ってみせた。

 それはまさに公龍が命を賭け金にベットして手に入れる血赤の鎧そのままで。


「……案外、大したこと、ないのね、それ」


 悪夢はまだ醒めない――そう言いたげに、フェンディ・ステラビッチは口元を歪めた。

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