13/Nightmare like a joke《1》

 ほとんど弾丸のように迫る数多の血の蛇の襲来に、アルビスはバックステップで解剖室の外へと退避して対応。しかし公龍は即座に生成した血の刃を振るって迫る蛇を斬り払い、フェンディとの間合いを詰めていた。

 しかし斬り払ったはずの蛇が地面に落ちるより先に槌へと変形。公龍の斜め後ろから追突し、脇腹へと減り込む。


「――――っ!」


 公龍はにわかに呼吸を奪われて吹き飛ぶ。肩から冷蔵庫へと激突し、床に倒れ伏す。解剖台から下りたフェンディの周囲ではとぐろを巻きながら首を垂直に持ち上げた蛇が躍っている。


「はああっ!」


 アルビスがすぐさま切り返してフェンディに飛びかかる。しかしいち早く反応した血の蛇の一部が鞭のように撓りながらアルビスを拘束。ギブスを砕くほど強烈に腕を締め上げられ、アルビスの表情が苦痛に歪んだ。


「いい、顔ね。きもち、いい、わ」


 フェンディが恍惚とした表情を浮かべ、鋭い蹴りを放つ。反応さえできないような痛烈な一撃。四肢へと食い込んでいた蛇は引き千切られ、吹き飛んだアルビスは壁に激突。肺から空気が絞り出され、喘ぐような情けのない声が唇の隙間から漏れた。

 フェンディは追撃を仕掛けてこない。しゃあしゃあと喉を鳴らす蛇たちを愛でながら、公龍とアルビスを交互に見やっている。


「ねえ……、ひとつ、だけ、訊きたい、こと、あるの」

「余所見してんなっ!」


 問いかけるフェンディに、公龍が飛びかかる。しかしフェンディ周囲の蛇たちが蠢動。瞬く間に一個の大蛇へと変貌し、公龍の脇腹へと食らいつく。そのまま冷蔵庫へと叩きつけられた公龍は短く呻き、微笑むフェンディは血の気のない唇にそっと人差し指を当てた。


「そう、訊きたい、こと。私、ジョニーを、蘇らせる、ために、法も、倫理も、全て、犯したわ。そうする、しかなかった。後悔は、ないの。だって、彼を、蘇ら、せる、ためだもの。正義や、秩序なんて、どうでも、よかった。私には、彼が全てだった、の。でも、私はその結果、貴方たち、に、邪魔をされ、目的は、阻、まれた」

「それが、どうし――――があああっ」


 脇腹に食い込む血の大蛇の顎に力が込められ、公龍は苦鳴を上げた。フェンディは白い瞳の瞳孔を見開き、迸る憎悪と怒気を静かに滾らせた。


「ねえ、どうして? どう、して、貴方たちは、私たちの愛を、踏み躙ったの?」


 フェンディに問いかけられ、公龍は苦痛のなかでその意味にハッとする。

 つまりフェンディはこう言いたいのだろう。かつて喪ったジョニー・ブロウを蘇らせるためにあらゆる法や道徳、他人の尊厳を踏み躙ったフェンディと、今こうしてクロエを助け出そうとして《東都》の秩序をかき乱している公龍たちは本質的に同じだと。


「貴様はそんな屁理屈をごねるために、わざわざ《リンドウ・アークス》に尻尾を振って《鉄籠ケージ》から出てきたのか?」


 アルビスが地面を蹴っていた。反応して襲ってくる血の蛇を叩き伏せ、フェンディへと肉薄。掌底を見舞う。フェンディは怒りと憎しみを滲ませた歪な微笑を崩さないまま、最低限の動きでアルビスの打撃を回避。カウンターに裏拳が見舞われ、アルビスの鼻梁を鋭く打つ。衝撃でよろめいたアルビスの頭上からは蛇が転じた血の槌が打ち下ろされ、アルビスは地面に沈んだ。槌の衝撃が身体を突き抜け、仰向けに倒れたアルビスの背後でタイル張りの床が蜘蛛の巣状に砕ける。槌は尚もアルビスの身体を磨り潰すように圧を掛け、アルビスの食いしばった歯の隙間から泡立った血がこぼれる。


「結局は、私も、貴方たちも、同じ。大義は、どこにも、ないの。あるのは、エゴだけ、ね」


 フェンディは言って、解剖台に張り付けられた女の腹を人差し指で撫でる。爪の先に血の刃がつけられているのか、女の腹に一筋の線が入り、ぶわりと血が溢れ出す。


「てめえっ!」

 公龍は吼える。しかし四肢をばたつかせても大蛇の牙が食い込むだけで一センチも動けない。フェンディは無為に暴れる公龍を嘲笑うように口元を歪める。


「まず、一つ。貴方たちの周り、の、大切な、もの、少しずつ、壊して、いくの、ね」


 ぶわりと全身を満たしていく悪寒。公龍は生成した血の刀を逆手に握って大蛇の脳天に振り下ろす。大蛇は串刺しになったが、咬合力は決して緩まない。公龍は腹が千切れるのも厭わずに藻掻いた。

 フェンディは女の頬を叩く。意識の判然としなかった女の目が焦点を結び、呆然とした顔が左右に振られる。やがて上を向いた女と、公龍の目が合った。


「澪ちゃんっ!」

「九重、さん……?」


 人質はやはり澪だった。澪は自分が置かれた状況が分からないのか、あるいは現実を受け入れることをとっくに放棄してしまったのか、ぼんやりと呆けた顔で公龍を見ていた。


「澪ちゃん! 今助ける! 今助けるからっ!」


 公龍は藻掻きながら回転式拳銃型注射器ピュリフィケイター唐紅色カメリヤのアンプルを打ち込む。五指に生み出した血の弾丸をフェンディへ向けて放つ。

 しかし周囲の血の蛇が板状に広がってそれを防御。押し殺したようなフェンディの笑い声が響く。


「ふふっ、ふふふっ……」

「フェンディ、てめえっ! 澪ちゃんに触んなッ!」


 公龍は吼える。いくら血の弾丸を放とうと、まるで軌道を全て読んでいるかのように、蛇たちの前に防がれる。公龍は力任せに大蛇の頭を引っ張った。

 フェンディの手に一匹の蛇が這い寄った。握られた蛇は長剣へとかたちを変える。そしてフェンディは、抵抗できない澪の首筋にその切っ先を突きつける。フェンディの目は公龍を真っ直ぐに見据えている。焦燥や不安や怒り――様々な感情に駆られて藻掻く公龍の全てを、その網膜に焼きつけようとしているようだった。

 公龍はとうとう大蛇を引き剥がす。脇腹は抉れ、大量の血が溢れたが構わなかった。失血のせいでよろめきながらも、刀をしっかりと握り、フェンディに斬りかかる。

 だがフェンディの口元は歪み、公龍を嘲るように覗いた真っ赤な舌が唇を舐めた。

 振り下ろした刀が蛇に阻まれて火花を散らすと同時、澪に突き付けられていたフェンディの長剣が鋭く振るわれた。

 飛び散る鮮血は澪の首から溢れたもの。拘束された澪の身体がびくびくと痙攣し、嘘みたいに血が噴き出す。目は見開かれ、蝋燭の火を吹き消すように瞳から光が消える。


「澪ちゃんっ……!」


 澪から溢れた生温い血を浴びた公龍は呆然。引き剥がされた大蛇が背後から迫り、公龍の肩口へと食らいつく。もはや公龍は抵抗も出来ず、解剖室のタイルの上を引き摺り回された末に壁に叩きつけられた。

 公龍の赤く染まった視界の真ん中に、あらゆる力が抜けて動かなくなった澪の姿が見える。噴き出した血は澪の身体を濡らし、ぐったりと投げ出された腕を伝って指先から滴った。指はやはりぴくりとも動かず、滴る血がこぼれ落ちる命を象徴しているようだった。


「ふふっ、ふふふ……いい、顔ね」


 フェンディが公龍を眼差しながら恍惚とした表情を浮かべる。歪み切ったその愉楽に対し、今の公龍に抗う術はない。受け入れられない現実が、嫌というほど鮮明に突きつけられている。

 だが悪夢のような現実はそこで留まらない。何匹かの蛇が解剖台へと這い上がり、動かなくなった澪の口や耳の穴から体内へと入り込んでいく。澪の四肢がびくんと大きく脈打った。


「澪ちゃん……?」


 鎖による拘束が解かれ、澪の身体が起き上がる。まるで糸で吊られたような不自然な動き。解剖台の上で公龍に背を向けるように座る澪の首が、べきべきと歪な音を立てながら一八〇度回転した。


シャァァァッ!」


 澪が脚のバネだけで後ろ向きに跳躍。公龍の目の前に着地し、前後反転した顔のまま、光を失った目を公龍へと向けた。


「そんな、嘘だろ……」


 怒りや憎しみを通り越し、公龍の胸中に深い絶望が押し寄せる。妙に乾いた喉は痛みを感じるほどに張り付いていて、絞り出した声は掠れていた。


「絶望へ、よう、こそ。パーティーは、まだ、始まったばかり、よ」


 フェンディが嗤う。澪は関節の動きを無視して腕を伸ばし、公龍の髪を掴んで持ち上げる。本来の成人女性ならばあり得ない膂力。もう澪ではなくなってしまったそれに、公龍はどう対応すべきなのか分からなかった。


「公龍、しっかりしろ!」


 槌に圧し掛かられ、床に倒れているアルビスの声が響く。しかし今の公龍には単なる音以外の意味を持たない。自分が写っている澪の暗い瞳を、ただ呆然と見返しているだけだった。


「もうミス・アスカは死んだ! それはフェンディに操られるだけのただのゾンビだっ!」


 アルビスは尚も叫ぶ。押し寄せていた無形の絶望が、その言葉によって輪郭を帯びた。

 そう、澪は死んだ。なぜ――? 自分が巻き込んだ。フェンディの言う通りのエゴで、クロエを救うなどというお題目を掲げて逃げたから、澪は死んだ。

 いや、そうではない。二年前に公龍たちがフェンディを倒して恨みを買ったから、あるいはあの日、アルビスが差し伸べた手を取って解薬士になったから、澪はこうして殺された。

 光のない澪の目が、公龍を咎めていた。視線が突き刺さり、公龍の胸に大きな穴を空けていく。握り締めていた血の刀は手から滑り落ち、床に音を立てるまでもなく元の液体へとかたちを崩していった。


「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」


 公龍は喉を引き裂くように悲鳴を上げる。そうすれば、この現実を、自らが犯してきた過ちの全てを受け入れなくて済むと信じているかのように。

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