12/With my atrocity《3》

「待てっ! おい、てめえっ!」


 公龍は声を荒げ、アルビスの手からタブレット端末を取り上げる。しかしいくら叫ぼうが画面にフェンディは映らず、ブラックアウトしたままだった。怒りのやり場を失った公龍はタブレット端末を地面へ叩きつけ、力任せに踏みつける。砕けた画面から内部基盤が露出。飛び出したパーツがアスファルトを転がった。

 次に公龍は腕時計型端末コミュレットで澪に連絡を取ろうとした。しかし最初に捕まってから一度も腕時計型端末コミュレットは使っていない。アルビスに借りようかとも思ったが、そもそも指名手配犯であるアルビスの端末も、以前とは変わっているので登録される連絡先に澪のIDはない。


「クソッ!」

「落ち着け、公龍」


 アルビスが変わらぬ平然とした声で言い、公龍の肩を掴む。公龍は手を振り解いて反転――アルビスの胸座を掴み上げた。


「落ち着いていられるわけねえだろっ! 澪ちゃんがあんな目に遭ってんだぞっ!」

「まだミス・アスカと決まったわけじゃない。フェイクの可能性もある」

「あ?」


 胸座を掴む公龍の拳に怒気が宿る。今にも砕けそうな表情で顔を歪めた公龍を、アルビスの冷め切った薄青の瞳が映していた。


「いいか? 私たちの目的は貴様にかけられた濡れ衣を晴らすこと。それが今現在、最も優先されるべきことだ。そもそも、今の動画は私たちを誘い込む罠である可能性が高い。あの暗がりで、しかも元の顔が分からないほど殴られた状態だ。動画の状況であの女をミス・アスカだと断定するのは早計だ」

「おい、何言って――」


 公龍の震える声を遮って、アルビスが強めた語気で喋り続ける。


「フェンディは死体を動かせる。仮にあの女がミス・アスカだったとして、まだ生きている証拠はどこにある? ここで目的を変えれば、敵の思うつぼだ。予定通り、泉水と落ち合うのが先決だ」

「だから、アルビス、てめえは一体何を言ってんだ……」

「一度で理解しろ。フェンディの挑発には乗らない。人質を助けには向かわない」


 アルビスは揺れることのない氷のような表情ではっきりと告げ、公龍の手を振り解く。よろめいた公龍はにわかには言葉が出てこず、飢えた池の鯉のように無様に口を動かした。


「公龍。何が先決かを考えろ。だいたいどうやって奴の居場所を探すつもりだ? 唯一の手掛かりはたった今、お前が踏んで壊した。ここで行き先を変えるのは時間の無駄でしかない」

「てめえ……今度という今度は本気で見損なったぞ」

「クロエを必ず助けると息巻いていたのはどこのどいつだ?」

「それは今、関係ねえだろっ!」


 公龍はアルビスを睨みつけ、声を荒げる。しかし議論は平行線だった。

 公龍にもアルビスの言い分は理解できる。いや、単純な正しさや確率の問題にすれば、アルビスの言い分のほうがいくらか論理的でさえあるだろう。あの人質の女が澪である保証も、そもそも生きている保証も全くない。

 だが可能性がゼロでないのならば向かうべきだと、公龍の感情は訴えていた。罠でも構わない。もう自分のせいで誰かが傷つくのも、大切な誰かを守れないのも嫌なのだ。

 クロエも澪も同じだ。仮にその大切さに順位や優劣がつくとしても、そんなものは関係ない。全てを助けられなければ何の意味もなかった。


「公龍。私たちはヒーローではない。ただの解薬士、一人の人間だ。所詮、守れるものなどたかが知れている。届くはずのないところまで手を伸ばしすぎれば、その指の隙間から、より身近にある大切なものまで零れ落ちるぞ」


 分かっている。アルビスは正しい。現実は少年漫画とは違う。不条理な現実を前に人は呆気ないほどに無力で、人生はいつだって失うものばかりだ。だからこそ自分が何者で、何をすべきで、何を守るのか、選ばなければならない。そして往々にして、選ぶというのは捨てることと同義なのだ。

 そんなことは分かっている。だがこれまでにない窮地に自分が追い込まれて尚、それら全ての正しさを受け入れることはできなかった。


「そんな正論はな、いらねえんだよ」


 公龍が唸るように絞り出した声に、アルビスは溜息を吐く。しかし何を言われ、どう思われようと、ここを譲るわけにはいかなかった。


「俺は行く。澪ちゃんを見捨てることはできねえ」

「正気とは思えないな」

「ここで澪ちゃんを見捨てんのが正気だってんなら、俺は狂ってて構わねえ」


 公龍はアルビスの冷めた視線を捻じ伏せるように白い歯を剥く。アルビスは呆れたようにもう一度深い溜息を吐いた。


「フェンディの居場所にあてはあるのか?」

「多分な。向こうから呼んでんだから分かりづれえ場所にはしねえだろ。奴がセーフハウスに使ってた死体安置所モルグに間違いねえ」


   †


 公龍たちは目的地を変更し、かつてフェンディがセーフハウスとして使っていた一二区の死体安置所モルグへと向かった。

 外観はコンクリート造りの平屋。しかしその地下には冷蔵室や解剖室などが備えられており、広さは見た目よりも遥かに広大だ。

 この場所はフェンディが相棒だったジョニー・ブロウを生き返らせるため、自らの赤色系統の特殊調合薬カクテルの効用を研磨した場所であり、彼の死体と長く過ごした場所でもある。フェンディの目的がブロウを自らの血で生き返らせるという計画を妨害した公龍たちへの復讐だとするならば、その結末の場に彼の死臭が最も染み付いたこの地を選ぶのはある種の必然であるように思えた。

 錆びついて閉まらなくなっている鉄扉を開ける。既に電気設備などは死んでいるらしく、出迎える明かりはない。埃っぽい空気が漏れ出して鼻孔を不愉快にくすぐった。

 公龍は回転式拳銃型注射器を抜き、山吹色ブラッドオレンジ珊瑚色コーラルレッドのアンプルを使用。暗闇のなかに五感が拡張されていく感覚が訪れ、手に取るように通路の状況が分かるようになる。先頭の公龍は物音を立てぬよう気配を殺しながら先頭を進み、公龍同様にいくつかの特殊調合薬カクテルを使用したアルビスが後ろへと続く。ネズミやゴキブリが床を這う微かな物音が、真っ直ぐに伸びる通路に漂う空気を張り詰めさせていった。

 受付や待合室、事務所などを検めながら通路を進む。やがて通路の突き当たりに行き着き、左手側に地下へと降りるエレベーターと階段が現れる。公龍たちは暗闇の中で互いにしか認識できないアイコンタクトを交わし、足音を殺して階段を降りていく。

 地下の通路は地上とは打って変わって生活感に溢れていた。酒瓶やスナック菓子の袋が散らばり、ネズミが群がってはそのゴミにありついている。公龍たちが以前訪れたときに比べて目に見えるように荒れ果てたそこは、まさにフェンディの心情を反映しているかのようだった。

 公龍たちは奥へと進む。解剖室の扉の前で立ち止まる。山吹色ブラッドオレンジのアンプルの効果によって、壁越しに人の気配を感じ取ることができた。

 人数は二人。一人は間違いなくフェンディだろう。もう一人は澪らしき人質の女に違いない。

 公龍は息を吐いて拳を握り、全身を駆け巡っている怒りを鎮めようとする。気を紛らわそうと伺ったアルビスの表情は相変わらずの鉄面皮で、その何も感じていないような顔貌に不愉快さが増しただけだった。

 公龍が勢いよく扉を押し開ける。暗闇の奥から響く乾いた拍手が公龍たちを出迎えた。


「ようこそ。九重公龍。アルビス・アーベント」


 声を合図に部屋の明かりがぼうと灯る。

 正面に浮かび上がった解剖台の上。血と汚穢にまみれた女が鎖で縛り付けられていて、その女の腹の上で脚を組んで腰掛けながら片手で乳房を弄ぶ白い魔女――フェンディの姿があった。


「――てめえッ!」


 声を荒げ、飛び出しかけた公龍をアルビスが制する。浅い呼吸に胸を上下させる女の喉元には、氷柱のように編み込まれた血の刃が突き立てられている。


「澪ちゃん!!」


 公龍は拘束される女に呼びかける。しかし反応するだけの気力すらないのか、女は苦しげな呼吸を繰り返すだけだった。

 フェンディは赤い下を唇の隙間からちらつかせ、悪辣な微笑を浮かべている。


「ふふっ。さあ、ありったけの、残忍さを、込めて、私たちの、フィナーレ、を、始め、ましょう」


 腰掛けるフェンディの白い外套がぶわりとはためき、内側から這い出した血の蛇が公龍たちに殺到した。

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