08/Dancing in the night《2》
アルビスが打ち込んだのは神経伝達速度を上昇させ、人が外刺激に対して反応できる最速値――〇・二秒を縮めることのできる
しかし相対する莇もまた、同様の
莇の左腕が火を噴き、火薬の炸裂で加速した掌打が見舞われる。アルビスはこれを防御。身体の前で交差した腕の骨に亀裂が走り、靴底で地面を抉りながら後退。下がった先に、ハヌルが回り込んでいる。
「どおうりゃっ!」
アルビスは身を捩って飛び退く。元々の巨躯に加え、一時的に尋常ではない筋肥大を引き起こす
躱し切ったにも関わらず、衝撃波がアルビスを吹き飛ばす。砕けたアスファルトが弾丸のように襲い掛かり、アルビスの身体を切り裂いていく。アルビスは空中で体勢を整え着地。しかしアスファルトの弾幕に続いて、莇が間合いを詰めている。
莇の飛び膝蹴り。およそ攻防せめぎ合う戦闘には適さない大技。アルビスは身を切って躱しながら側面へと回り込み、膝蹴りを叩き落とす。しかし莇は上半身を捻転――飛び膝蹴りの空中姿勢から旋風脚を繰り出す。靴底がアルビスの頬を抉る。
流れる血を拭う間もなく襲い掛かってくるハヌルの棍棒。アルビスは横薙ぎの一撃を掻い潜るようにして懐へと潜り込み、ハヌルのボディへと掌底を叩き込む。鍛え上げられた屈強な筋肉を飛び越えて内臓へと響く鈍い衝撃。
ハヌルの顔が僅かに苦悶を浮かべたのを見逃さず、アルビスは畳みかける。膝目がけての鋭い蹴りで体勢を崩し、下がってきた顎に最低限のモーションから毟り取るような掌打。たまらず膝をついたハヌルの背後へと回り込み、その首を締め上げる。しかし莇が既に駆けつけてきていて、アルビスは意識を落とす前にハヌルから離脱する。
えずくハヌルを置き去りに、莇が前蹴りを放つ。アルビスはこれを受け流し、回転しながら裏拳。義腕によって防がれ、カウンターの肘打ちが脇腹を穿つ。アルビスはバックステップで下がりながら威力を減衰。さらに踏み込んでくる莇が左拳を振るう。肘の撃発――。急加速した拳がアルビスを襲う。防御した腕の骨はついに砕け、アルビスは吹き飛ぶ。
地面を転がりながら体勢を整え、立ち上がるや
しかし回復するまでの時間を敵が待ってくれる道理はない。莇はすぐさま追撃をかけ、五指を揃えた指を横に薙ぎ払う。アルビスは仰け反ったものの完全には躱しきれず、莇の指先が鼻梁を僅かに掠めていった。
切れた鼻から大量の出血。莇の指から赤い血がぬらぬらと滴る。照り付けるライトの光を受けて、指の尖端は鋭い光を放っていた。
どうやら肘部分に内蔵される炸薬以外にも仕込みがあるらしい。
「面白い小細工だな」
「ドイツ製の軍用義腕でね。これがなかなか気に入っている」
「戦いに玩具を持ち込むな」
「これは躾けだ!」
同時に地面を蹴った。背後の何もない空間を殴りつけ、義腕の炸裂とともに莇が回転――加速。捻転に引き絞られた義腕に再び炸裂が生じ、ほとんど弾丸のような速度でもって手刀が突き出される。
手刀がアルビスの肩口を抉り、鮮やかな赤が舞う。全身の神経を焼いていくような鋭い痛みを押し殺し、アルビスは掌打を突き上げる。狙ったのは義腕の接続部。胸と脇の間にある大円筋付近に、最低限の動作で最大限の衝撃を伝えた。
ミシリと軋む音――。
莇が弾かれたように飛び退く。だらりと垂れた左腕を抑え、その重さに引き摺られるように地面に膝をついた。
「あの速度、あの一瞬で、義腕の接続部を的確に破壊するか。悔しいが、流石という他にないな」
「この手の玩具を使う人間は五万と見てきた」
アルビスがかつて生業としていた傭兵のなかには軍事用の義腕や義足を使用する者が少なくない。だから優れた傭兵はその対処の仕方に至るまで熟知している。もちろんアルビスも例外ではなかった。
「莇さん、後は任せてくれよ」
義腕を破壊され戦線から離脱せざるを得ない莇と入れ違うように、回復したハヌルが巨体に見合わない機敏な動きで迫ってくる。アルビスは薙ぎ払われた棍棒をバックステップで回避。しかしハヌルは手首のスナップだけで棍棒を引き戻し、畳みかけるように突きを繰り出す。
押し込まれるように後方へと吹き飛ぶ。腰を落とし、靴底で地面を擦って踏み止まるが、ハヌルは既に追撃へ。大きく跳躍し、背筋力で引き絞った棍棒を振り下ろす。
雷鳴じみた一撃。アルビスは辛うじて回避するが、アスファルトは天変地異に見舞われたかのように砕け散り、大地は大きく揺れた。アルビスは紙切れのように吹き飛びながら体勢を整える。
長くはもたないぞ――。
飛来する瓦礫を全身に受けて流れた血を拭い、アルビスは離れた位置で戦う公龍を見やる。
†
「なあっ! どうして俺らは戦ってんだよっ!」
銀が特殊警棒で襲い掛かる。公龍は半歩だけ踏み込んで銀の手首を弾いて打撃を逸らし、腹には膝蹴りを減り込ませる。たたらを踏んだ銀を深追いはせず、すぐにその場から離脱。一瞬前まで立っていた場所を、花の狙撃が通過していった。
公龍が打ち込んだ
公龍は回避しながら左の五指に生み出した血の弾丸を放つ。しかし花の周囲ではライオットシールドを抱えた警官数名が常に守りを固めている。弾丸は明後日の方向へと弾かれた。
「てめえ、なに花ちゃんを狙ってんだっ!」
銀が吼え、真っ直ぐに飛びかかってくる。振り下ろされる警棒を躱して背後へ回り込み、振り返りざまの頬に拳を見舞う。
クリーンヒット。公龍よりも僅かに上背のある銀の身体は吹き飛んで地面を転がった。すぐさま追撃に移ろうとすると、足元を穿つ狙撃の牽制。銀は一瞬の隙のうちに体勢を立て直す。
銀自体の強さは大したことはない。緑色系統の
「ったくめんどくせえ」
「強くなってんのは、何もお前らだけじゃないんだぜ」
「めんどくせえのはてめえじゃねえよ。てめえの相棒だ」
「けっ、そうかよ。俺にやられて恥かく前に降参しとけばいいのによ」
「できねえ相談だっつてんだろ」
公龍は地面を蹴り、
接敵――血の刀と警棒が打ち結ぶ。
ついさっき砕かれた反省を活かした公龍は切れ味よりも硬度を優先。ほとんど刃のない刀は亀裂を走らせるも高振動に耐え抜いた。
鍔迫り合う互いの得物越しに、視線が交錯する。
「認めないんだな……?」
覗き込んだ瞳のなかに何かを悟ったように、銀が掠れた声を食いしばる歯の隙間からこぼす。公龍は口元を僅かに吊り上げ、薄い笑みでそれに応える。
「さっきからそう言ってんだろ」
刀を持つ腕を持ち上げ、鍔で警棒を弾く。がら空きになった銀の胴体に前蹴り。踏みつけるようにして後ろに一回転跳びながら、同時に花の援護射撃を躱す。
公龍はたたらを踏む銀の側面に回り込んで射線から逃れつつ、血の刃を振るう。銀はこれを転がって回避。追撃に振り下ろした斬撃は頭上に掲げた警棒で受け止められる。警棒の振動にあてられて刃がぼろぼろと毀れていく。公龍は流れる血で刃を補強しながら体重をかけて、刀を押し込む。
そうこうしているうちに花が次弾の装填を終える。公龍は一旦退いて射線から外れる。今度は即座に立ち上がった銀のほうが追撃を仕掛け、嘶くように震える警棒を振るう。公龍は刃の腹で打撃を受け流し、カウンター代わりに銀の腹を蹴り上げる。
つま先が減り込む確かな手応え。しかし銀はやはり数歩たたらを踏むだけで、倒れない。
「畜生……やっぱ強えよ、九重」
銀は口腔に込み上げた血を吐き捨て、赤くなった口元を拭う。
「俺はお前を尊敬してんだ。だからこれ以上馬鹿なことして失望させんじゃねえよ」
「めんどくせえな。仲良しごっこがしてえんだったら他所でやれ」
「だから――っ」
公龍は銀の言葉を待たずに地面を蹴り、殺意さえ込めた踏み込みで斬りかかる。銀は腰を落として地面を転がっての回避。公龍は振り下ろした刀をそのまま水平に薙ぎ払う。身体を起こした銀は防御姿勢を取るも刀の切っ先が銀の手の甲を打ち、握っていた警棒は雨で濡れていたことも作用して、手から離れて地面を転がった。
花の放つアンプルが飛来。既に拡張される五感で察知していた公龍は斜め後ろからの狙撃に見向きもせず、振るった刃でアンプルを斬り払う。無駄だと諦めたのか、狙撃はそれ以上続かない。地面にしゃがみ込んだままの銀の肩に、そっと血の刃を乗せた。
「クロエが攫われてんだよ。黙ってられるわけねえだろ……っ」
銀が目を見開いた。雨は心なしか強まり、あらゆる音を呑み込んでいく。息遣いや鼓動――緊張を湛えたありとあらゆる生命の気配が、雨音と匂いのなかに溶けていった。
「……誰に攫われたんだよ」
やがて銀が絞り出すように言ったが、公龍は答えなかった。もし答えを知れば、公龍たちが敵にしようとしているものの大きさを知れば、銀たちにも危険は及ぶ。だがそれは避けなければならなかった。
震災期の後遺症である青血障害を患う花は《東都》の外に出ることができない。《東都》から出られないということはつまり、《リンドウ・アークス》の庇護下でしか生きることができないことを意味する。もし銀たちが公龍とともに《リンドウ》を敵に回すというのなら、それは必然的に花の命を放り捨てることに等しくなる。そしてそういう事情がある以上、公龍たちと銀たちの進む道はもう決して交わらない。
「それなら俺たちも――」
言いかけた銀の言葉を待たず、公龍は刀を退いた。おそらく銀は協力すると言いかけたのだろう。だがそれはできない。クロエという一人の少女のために全てを投げうつ覚悟ができる人間でなければ、運命を共にするわけにはいかない。これはそういう種類の戦いだった。
「言っただろ。仲良しごっこは他所でやれ。もう二度と関わってくんな」
自分でも寒気を感じるほどに無機質な声は残酷な杭となって銀をその場に縫い止めた。ただならぬ気配を察してか、既に装填を終えているであろう花も引き金を引くことができない。
踵を返した公龍は地面に転がる銀の警棒を拾い上げる。そのまま確かな足取りで歩き、ハヌルによる棍棒の爆心地となって粉々になっているアスファルトに警棒を深く突き立てた。
「九重……、お前、何して」
見回す周囲には薄っすらと水が張っている。それは単に雨が降っているというだけでは説明し難い量の水だった。
「知ってっか? この下にはな、地下鉄が通ってんだ。それも水没して放棄されたとびっきりのやつがな」
公龍は警棒の高振動を起動。やや間を置いて地鳴りのように大地が震え、公龍のいる場所を中心にして深い亀裂が地面を走った。銀が、あるいは未だ戦闘を継続しているハヌルたちや周囲を取り囲んで安心しきっている警官隊が、状況を理解したときには既に遅かった。
「ここに来たのがてめえら四人で助かったわ。じゃあな」
地面に走る亀裂から汚水が噴出。元からかなり腐食の進んでいた水圧に耐えかねて地面は砕けて、沈んでいく。悲鳴が聞こえ、逃げろと喚く声が響いた。しかしそれすらもあっという間に濁流に呑み込まれるように掻き消される。
公龍は既にアルビスと合流。混乱に乗じ、濁流が抉じ開けた包囲網の穴を突いて脱出を図る。
無論、漏れ出した地下水などたかが知れている。実際はどれほど多く見積もっても膝が浸かるくらいまでの水位しかなく、それすら数分も経てばどこかへ流れて消えてしまうものに過ぎない。
だがその濁流と砕けて沈む地面は、一瞬の混乱を生み出すには十分だった。
公龍たちは一部の勇猛な警官たちを薙ぎ払って包囲網を抜ける。廃区に落ちる夜の闇は、たった二人姿を紛らわすには十分な深さを湛えていた。
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