08/Dancing in the night《1》

 公龍たちが姿を見せるや、その場はにわかにどよめいた。

 容赦なく照り付けていた照明が僅かに絞られ、白んで呆けていた人影よりはっきりとかたちを結ぶ。前に四人。その後ろには廃病院を取り囲むように武装した人員が配置されている。構えられたライオットシールドには〝POLICE〟の文字が見え、おそらくはアルビスという予期せぬ人間の登場に少なくない動揺が見て取れる。

 もしかすると現場のどこかに澪がいるかもしれない。そう思った公龍は目を細めてその姿を探したが、協力は期待できないどころか、むしろ澪の迷惑にしかならないと思い直して止めた。

 にしても最近は、妙に懐かしい顔に出くわす巡り合わせらしい。公龍は包囲の前に立っている四人を見回した。


『どういうことだ? どうしてと一緒にいる?』

「さあな。まあ腐れ縁だ。気にすんな」

『まあいい。まとめて拘束して聞き出せば済む。むしろ思わぬ収穫だな。二人とも、状況は理解しているな? 無駄な抵抗は止めて、大人しくこちらに従え』


 四人のうちの一人は思った通り莇幾多郎あざみきたろうだ。伸ばした前髪で右眼を隠し、相変わらず相手を見下すような不愉快な表情を浮かべている。物言いも口調も、徹頭徹尾、不愉快で鼻につく。

 その隣には巨大な棍棒を地面に突き立てて仁王立ちしているイ・ハヌルがいた。もともと薄い顔なので表情に乏しいが、今ははっきりと失望と憤怒を浮かべていると分かった。フェンディを倒した一件以来なのでおよそ一年半ぶりだったが、また一回り身体が分厚くなっているような気がする。

 その隣りには並んで立つ銀と花。銀は飴色のサングラスをかけていて、花はこの暑さでもマフラーに顔の半分を埋めているので表情こそ判然としないが、その佇まいには困惑が伺えた。


「どうして、お前ら、ンなことになっちまったんだよっ」

「……九重、人殺した、本当?」

「ンなわけねえと言いてえけど、どうせ信用なんかされねえんだろ」


 未だ信じられないと問い掛ける二人に、公龍はあえて乾いた笑みを浮かべて肩を竦めた。

 正規の手続きを踏んで無罪を主張する意味はない。それは聴取室で散々やって既に諦めたし、実際に意味がないからこそ澪は強硬策に打って出たのだ。

 この事件は九重公龍がマリク・キリノエを殺したという結論ありきだ。まともな捜査などされるはずがない。警察組織も結局のところ、その上位に君臨する《リンドウ・アークス》の意向には表立って背くことができないのだ。

 だからいくら見知った顔と言えど、投降の呼びかけに答えることはできない。捕まれば終わる。そして終わるのは公龍だけではない。汐やクロエも、《リンドウ》が講じた謀略に呑み込まれてしまうことになるのだ。

 公龍は右手の親指を噛み切る。滴る血は螺旋を描きながら溢れ出し、その手のなかに一振りの刀を結んだ。

 その場を満たしていた緊張感が、カッターナイフのような鋭利さを帯びて公龍たちに注がれた。銀と花は唖然とし、莇とハヌルは眉を顰める。


「九重、てめえ……やる気なのかよ」

「……そっちが、その気なら、うちらも、仕方ない」

「一応聞いておくが、黙って通してくれないか?」


 アルビスが言うも、包囲する警官隊は動かず、前の四人もそれぞれに構えを取った。莇は徒手空拳。ハヌルは身の丈ほどの巨大な棍棒。銀は高振動のギミックを仕込んだ特殊警棒を伸展させ、花は自ら改造した狙撃銃型注射器モデル・スナイピングを構える。本来なら遠距離から対象の狙撃を目論むはずの花が前線に出ていることにこそ、彼らの目的が公龍の撃破や制圧ではなく説得と投降にあることを伺わせる。

 だが公龍はそんな四人の気持ちを突き離すように、不敵に笑みを浮かべてみせる。


「悪いけどよ、やらなきゃなんねえことがあんだよ。てめえらぶっ潰して行かせてもらうぜ」


 強行突破――。もう止まれない。賽は投げられている。方法はそれ以外になかった。


「とうとう正気を失ったか、あるいは自惚れたか。四対二で勝てると思っているのか?」


 莇がを身体の前で力みなく構えつつ、嘲るように言った。

 山吹色ブラッドオレンジのアンプルによって鋭敏になった感覚が、莇の左腕から微かに聞き取る駆動音を捉えている。

 どうやらかつてフェンディによって奪われた左腕は機械の腕へと置き換えられたらしい。もちろんただの義腕ということはないだろう。しかし現状では仕込まれているであろうギミックや性能は分かり得ない。


「むしろてめえは、俺らが負けるとでも思ってんのか?」


 公龍は握る血の刃の切っ先を四人へと向ける。彼らは皆、共に血を流した同業者で、あるいはライバルで、仲間でもある。きっとお互いに、戦う意志など本来ありはしない。だが大切なものには優先順位がある。クロエを救うために避けては通れない道だというならば、戦って斬り伏せるまでだ。

 莇は公龍の動きを警戒しつつ、左右にいるハヌルと銀たちを見やる。


「油断はするな。全力で制圧する。女部田、犬飼。お前たちもだ」

「分かってるよ」

「……当然、だよ」


 開戦の合図ゴングはなかった。

 ハヌルと銀が地面を蹴って左右に飛び出し、公龍たちとの間合いを詰める。振り下ろされる棍棒と特殊警棒の一打を、公龍はバックステップで回避。飛び退きながら振るう血の刃は銀のこめかみのあたりを掠め、掛けていたサングラスのつるを切り裂く。鼻から滑り落ちたサングラスが地面に落ち、乾いた音を立てながら地面を滑った。


「野郎……っ」


 銀の表情が複雑に歪む。それは友だと思っていたはずの男に、躊躇いなく刃を向けられたことへの困惑のようだった。

 だからあえて、公龍は挑発するように言葉を向ける。


「殺す気で来いよ」


 銀とハヌルの間で銃火が閃いた。射線上に割って入ったアルビスが飛来した弾頭を手刀で叩き伏せる。地面に落ちた弾頭は衝撃で砕け、群青色の液体でアスファルトを濡らした。


「……アーベント、見損なった」


 服用者の意識を奪う群青色コバルトブルーのアンプルが飛来した先――両脚を左右に大きく広げながら狙撃銃型注射器モデル・スナイピングを構えた花が、相変わらずの眠そうなジト目でアルビスを睨んでいる。


「他人に勝手な幻想を抱くな」

「……うるさいっ」


 花が引き金を引く。再び放たれるアンプルを、公龍とアルビスはいち早く射線から逃れて躱す。しかし公龍が躱した先ではハヌルが待ち構え、引き絞った棍棒を振り抜いている。

 公龍は棍棒を斬りつける。貫く衝撃が腕や肩の関節をぎしと軋ませ、余りある威力に公龍は靴底で地面を削りながら後退。入れ違いにアルビスが肉薄し、ハヌルの分厚い胸に掌底を叩き込む。公龍の背後では銀が間合いを詰めていて、嘶くように振動する特殊警棒を振るった。

 公龍は上半身の力で身を捩って反転。振り下ろす刃で警棒の一撃を受け止める。しかしコンクリートでさえ易々と砕く高振動に当てられ、血の刃は飛散。仰け反った公龍の眼前を、勢いそのままに薙ぎ払われた警棒の先が掠めていく。

 地面を転がって後退した公龍の元に、莇が迫っている。左の義腕で繰り出された掌打を、交差した腕で受け止める。しかし受け止めた瞬間、莇の左肘で何かが炸裂。スーツの袖が弾け飛び、爆発的な推進力を得た掌打は公龍の防御を突き破って胸を強打。公龍の体躯を呆気なく吹き飛ばされてアスファルトの上を跳ねた。

 すぐに体勢を整え、口腔に込み上げた血を呑み込む。莇は既に間合いを詰め、公龍に迫っている。


「どうした? その程度か、馬の骨」


 再び左義腕の掌打が放たれる。今度は接触の前に、先の炸裂が生じ打撃が加速。公龍が回避に移るより先に頬を撃ち抜いた。公龍は捩じ切れるように回転しながら吹き飛んで地面に沈む。

 息つく暇を与えない波状の連携攻撃。味方だったときは心強くも思えた彼らは、敵となった今厄介極まりない最悪の相手として立ちはだかっている。さすがに四対一は分が悪かった。

 公龍が顔を上げれば、既にハヌルが飛びかかり、棍棒を振るっている。公龍は生成した血の刃で重い一撃を紙一重で受け流す。しかし花の放った群青色コバルトブルーのアンプルが左太腿に命中。公龍は意識が奪われるより先に、逆手に持ち替えた刀を太腿に突き立て、血とともに特殊調合薬を体外に抉り出す。その一瞬の隙を突くようにハヌルの棍棒が薙ぎ払われ、直撃した公龍は身体の制御を失って吹き飛び、揉まれるように全身を地面に打ちつけながら転がった。

 突っ伏した公龍は、今度は呑み込めなかった血を地面に向けて吐き出す。罅割れたアスファルトに広がる赤黒い滲みの上に、ぽつりと雫が落ちた。

 それを皮切りに、空を覆っていた雲が絞られるようにして雨が降り出す。降り注ぐ水滴はあっという間に地面を汚していた血を薄め、洗い流していく。着ていた外套はあっという間に水を吸って重さを増し、自由を奪うかのように身体にぴたりと張り付いた。

 公龍はアルビスに引き起こされて立ち上がる。


「どうした? もうへばったか」

「まさか。ちょっと滑っただけだ」


 公龍はアルビスの手を振り解き、再び血の刃を生成した。

 莇とハヌル、そして銀の三人は公龍たちを囲むように広がり、少し距離を取った位置では花が狙撃銃型注射器モデル・スナイピングを構えている。さらにその外側にはライオットシールドを構えた警官隊が隙間なく戦場を包囲している。

 仮に莇たちを倒したとして、力を尽くしたそのあとで警官隊の物量に圧されて磨り潰されてしまうのであれば意味はない。かといってすぐに警官隊へと突撃すれば莇たちに背中を晒すことになる。

 言ってしまえばジリ貧。どうやってこの二重の包囲網を抜けるのかが問題だった。


「もうやめておいたらどうだ? 個人では、どうにもならないこともある。これ以上の無駄な抵抗は、貴様ら自身の首を絞めるだけだ」


 莇が振りかざすのは正論だ。殺人罪こそ濡れ衣だが、逃亡に不法侵入、解薬士の職務外での特殊調合薬カクテル使用など、公龍は既に無数の罪を犯している。立場は悪くなる一方で、抗おうとして動けば動くほどに公龍は追い詰められていく。

 だが間違えていると分かっていても、踏み外した道の先がどうしようもない地獄のような大地だとしても、不条理な現実をただ甘んじて受け入れるわけにはいかないのだ。

 罪も穢れも全て引き受けることになろうとも、たった一人、クロエを守る。それが公龍の決断だ。


「たしかにな。だけどな、たとえ首が捩じ切れても、譲るわけにはいかねえんだわ」

「それが答えなら失望するよ。もちろん、貴様らにではない。貴様らのような馬の骨に、ほんの一瞬でも憧憬と敬意を抱いてしまった自分にだ」


 莇は左腕を機敏に曲げ伸ばし、肘の排出口から空薬莢を排出する。真鍮製の鈍い黄金色の薬莢が濡れた地面に落ち、鈴の音のような小気味のいい音を微かに響かせる。

 雨はどんどんその強さを増していた。空が絶え間なく吐き出している雨粒は地面で跳ね、けぶるように夜の闇を霞ませていく。湿り切った空気は雨水とともに肌へとまとわりつき、まるで毒のように身体の奥へと滲み込んでその自由を奪うようだった。

 まだだ。こんなところで絡め取られるわけにはいかない。


「遅れんじゃねえぞ」

「私の台詞だ、阿保め」


 公龍とアルビスは相手を見据えたまま言葉だけを交わす。そして医薬機孔メディホールへと突き立てた回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターの引き金を引いた。

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