06/Madness has sadness《5》
『だいぶ苦しそうだな、馬の骨ども』
ふてぶてしい声の正体は莇幾多郎。どうやら一般に公開している事務所の連絡先を辿って通信してきているらしい。アルビスは掌打でゾンビの顔面を砕きながら、莇の声に応答する。
「馬の骨は貴様だろう。生憎立て込んでいる。用件だけを話せ」
『フォルターワークス本社に応援要請を出した。もうじき別のペアが複数組急行してくる』
「そうか。応援で寄越されるのが貴様のような役立たずでないことを祈るばかりだ」
アルビスは言いながら、ゾンビの腹を蹴り上げる。たたらを踏んだゾンビの心臓を背後から公龍の刀が一突き。切り払って裂けた胸から大量の血飛沫が舞う。
『まあそう言うな。俺は元々、喧嘩は嫌いなんだ』
莇は言うが、どうやら既に腕の傷を止血して戦闘を再開しているらしく、通信越しに肉を切り裂くような音とゾンビの断末魔が響く。止血をして甲板へと上がってきたらしい。
『だが掃除となれば話は別だ。ここは俺たちが引き受けてやる』
「せやぁああああっ!」
ゾンビが織り成す肉の壁の向こうで雄叫びが爆発。ズタズタに潰されたゾンビが宙を舞って、僅かに波の立った黒い海へと落下していく。ゾンビたちよりも頭一つ分上背があるせいで、返り血で真っ赤になったイ・ハヌルの姿が見えた。
フェンディの規格外の強さの前に後れを取ったが、莇もハヌルも優れた解薬士であることに間違いはないのだ。
「……条件は?」
『今更そんなセコいことを言うつもりはない。ただあえて言うなら、勝て。それだけだ。もう一人いた眼鏡の馬の骨にも伝えておけ』
「安心しろ。もう聞いてる」
「あのクソアマを倒せそうにねえって正直に言えよ!」
公龍が踏みつけたゾンビの眉間から刀を引き抜き、吼えるように叫ぶ。
『案外元気そうだな。――任せるぞ。九重公龍。アルビス・アーベント。《東都》を守る解薬士として、フェンディ・ステラビッチを止めてこい』
「言われなくてもそのつもりだ」
「目玉ひん剥いて、よーく見てやがれ!」
公龍たちの半分は虚勢でできた不遜な応答を聞き届け、莇との通信が切れる。間を置かないタイミングで、ゾンビたちを身の丈ほどの巨大な棍棒で蹴散らしてきたハヌルが公龍たちに合流した。
「莇さんから言われた。僕が道を拓く。お前らは回復でもしていろ」
「こりゃデカくていい盾になりそうだ」
ハヌルは脇腹の
追い縋ってくるゾンビを最後尾のアルビスが掌打で迎撃。公龍は両手から
「正直、悔しい。今の僕にはフェンディ・ステラビッチに挑むビジョンが浮かばない。お前らはすごい。命知らずだ」
「挑むんじゃねえよ。ただぶっ潰すんだ」
「そうか。あとは頼むぞ!」
「言われなくてもやってやるよっ!」
ハヌルが棍棒を大振りで薙ぎ、周囲に僅かなスペースが生まれる。公龍たちはその一瞬のうちにコンテナへと飛び乗って疾駆――クレーンの運転室のつながる階段へと到達。そのまま階段を駆け上ってガーター上の点検通路へと急ぐ。
船舶を垂直に横切るようにかかる門形クレーンのガーターに沿った点検通路の真ん中で、フェンディ・ステラビッチが棺のようなケースに寄り掛かりながら待ち構えている。
†
「随分、頑張る、わね」
フェンディは労うような穏やかな声音で言う。あるいは本当に実験の観測者でいるつもりなのだろうか。フェンディの言葉は感情を取り繕ったような表面的で無為な響きがあるだけで、どれも血が通っていないように感じられる。
やはりフェンディ・ステラビッチは見立て通りの
「知ってっか? バカと煙は高いところが好きなんだ」
公龍は挑発するように言って、低く飛び出す。右手のなかに血の刀を形づくり、間合いを詰めるや刃先が届く距離ギリギリで斬撃を放つ。フェンディは外套のなかから突出させた槌でこれを防御。金切り音が響き、血飛沫が散る。
ケースを死角にするように、フェンディのまとう外套の内側から血の蛇が這い出す。公龍は即座に引き戻した刀で何匹かを斬り落とすが、数に勝る蛇は公龍の左腕と右脛に深く食いつく。
アルビスは点検通路の柵を越えてガーターの上へ移動。足場の不安定さを感じさせない動きでフェンディへ迫り、再び柵を飛び越えて戻り、勢いのままに蹴りを放つ。しかし蹴りが届くより先に這い出した血の蛇がアルビスの脚へと絡みつく。アルビスは自分の腕よりも遥かに細い蛇に引き倒され、フェンディの背後の点検通路に叩きつけられる。
公龍は食らいつく蛇を強引に引き剥がしながら後退。肉が抉れるが気にしている余裕はない。左手の五指に弾丸を生成して放つ。しかし槌が円形に広がって射撃を阻む。
アルビスも蛇の拘束から逃れ、後方に飛び退きながら体勢を整える。図らずも挟み込む絶好の位置取りが完成した。
「これでもう逃げらんねえぜ」
公龍が刃の切っ先をフェンディへと向ける。しかしフェンディが口元に湛える余裕が揺らぐことはない。
「逃げない、わよ? そんなに、死にたいなら、貴方、たち二人、も、私の、コレクションに、加えて可愛がって、あ、げ、る」
「やってみやがれッ!」
公龍が再び間合いを詰める。それに反応するようにアルビスも踏み込む。しかし挟撃と言えど、点検通路上での攻撃は直線的なものに限られる。変幻自在を誇る赤色系統の
フェンディの袖から飛び出した蛇が槌へと変貌。前後に同時に放たれ、公龍の斬撃とアルビスの掌打を相殺。その隙に身を屈めたフェンディの蹴りがアルビスの顔面を突き上げ、伸ばされた手が公龍の足首を掴んで引き倒す。
「かはっ!」
通路上で仰向けになった公龍にフェンディの槌が落下。横に転がって辛うじて直撃を避けるも通路が真っ二つに折れる。公龍は柵の外、空中に身を投げ出される寸前で柵を掴む。
フェンディは既にケースを担いでガーターの上へと移動している。アルビスは公龍の遥か頭上――柵を掴みながら、斜め三〇度ほど傾いた通路に辛うじて踏み止まっている。
重さに耐えかね、通路の傾斜ががくんと深くなる。弾け飛ぶか折れるかしたボルトが通路を転がって降ってくる。
アルビスは壁を蹴る要領でガーターへと飛び移る。両腕を構えて腰を落とし、公龍を待つことなくフェンディへと向かう。
しかし細い鉄骨を組み合わせた足場では、アルビスが扱う八卦掌の肝である独特な歩法は満足に力を発揮しない。ただでさえ力の差がある戦いで、このハンディキャップはほぼ絶望的だった。
アルビスが踏み込んで掌打を放つ。しかし踏み込みは普段よりも浅く、威力の乗り切らない打撃はフェンディによって赤子のいたずらをいなすような気安さで弾かれる。続く蹴りを、フェンディはバックスウェイで回避。力の差を誇示するように、余裕の笑みが浮かぶ。
フェンディの反撃――。先の襲撃のように血の槌が無数の矢に分岐。アルビスへと襲い掛かる。アルビスはガーターの上でバク転をしながら後退して回避。しかし避け切れなかった一本が太腿を掠めてバランスを崩す。落下寸前でアルビスは跳躍して、クラブトロリの上へと退避。すぐに体勢を立て直すが、執拗に迫る無数の矢が襲い掛かる。
「おらぁっ!」
公龍は振り子の要領で勢いをつけ、ようやく点検通路によじ登ることに成功。急傾斜を駆け上って跳躍し、フェンディへ向けて血の弾丸を放射。しかし読んでいたように放たれた槌が空中で無防備になった公龍を穿ち、ガーターの端まで吹き飛ばす。
公龍は打ちつけた背中の激痛に喘ぎつつも、口の端に笑みを浮かべた。
放った弾丸の狙いはフェンディではなく、彼女が抱え続けている棺じみたケースだった。
あのなかに何が収められているのか、アルビスの推測通りであれば予想はついている。それはフェンディが必ず守り通さねばならず、故に肌身から離すことのできないものだ。
もちろん公龍の
狙い通り。フェンディの表情に、にわかな憤怒が刻まれる。
「やって、くれる、わね」
フェンディのまとう外套から大量の蛇が溢れ、空中で槌へと変形。左右に広げた両腕を前に振ると、まるで命令に忠実なショーのイルカよろしく、槌が一斉に宙を駆けた。
公龍の脳裏には壇上で潰された白旺ガーディアンズの唐木が過ぎる。あんなものが直撃すれば、もはや死体すら残らないだろう。しかし回避できる物量ではなかった。
「上等だ……クソアマが!」
公龍は
避けられないのならば回避など端から考えない。肉が抉られようと、骨が砕かれようと、ただ目の前の相手を貫くためだけに、自らを一振りの鋼と化して。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
フェンディを目がけて大きく跳んだ公龍の手のなかに、長大な血の戦槍が結ばれる。前から迫る槌を薙ぎ払い、斬り伏せ、叩き落とし、全身から赤い飛沫を迸らせて突っ込む。
クラブトロリからガーターを駆け抜け、アルビスもまた降り注ぐ血の槌をものともせずにフェンディへと迫っている。ぼろぼろに破れたスーツは赤く濡れ、垣間見える肉体には亀裂のように血管が浮き出ている。アルビスもまた
バディとしての相性は最悪。だが公龍も、アルビスも、直観で理解していた。フェンディ・ステラビッチを倒すには、一人の力では不十分。力を合わせないまでも、せめて同じ方向くらいは向いて戦わなければ敵わない相手だ。
二人は血の槌による嵐の猛撃を抜ける。正面からアルビス、斜め上からは公龍が、フェンディへと迫る。二人の決死の特攻に瞠目し、それでいて尚愉楽に顔を歪めるフェンディは残る蛇を外套から呼び出し、それらを編んで盾を形づくった。
「はぁぁあああああああああっ!」
まずはアルビスの掌打。まだ完成し切らない盾を穿つ。蛇は引き裂かれ、砕け散り、血の飛沫へと還っていく。
「うぉぉらららああああああっ!」
そして綻んだ盾を裂くように、公龍の槍撃が放たれる。盾の朱を、穂先の朱が食い破り、フェンディを捉える。
肉の裂ける音ともに大量の血が舞う。公龍の右手に伝わる確かな手応え。しかし盾がぼろぼろと崩れ去っていく向こう側で、フェンディは恍惚と表情を歪めていた。
「「な……っ」」
声を揃えて目を見開いたのは公龍たち。フェンディが背負うケースから伸びた腕が公龍の繰り出した槍を掴み、その軌道を僅かに逸らしていた。そのせいで渾身の一撃はフェンディの脇腹を裂くに留まっている。
「まだ、出てこないで、って言ったのに、ダーリンったら」
棺じみたケースの蓋が吹き飛ぶ。冷気とともに現れたのは金髪碧眼の男。屈強な肉体に似合わないそばかすの浮くその顔に、二人は見おぼえがあった。
「ジョニー・ブロウ……!」
「やはり、死体を保存していたか」
その男は正真正銘、かつてフェンディが喪ったパートナーに他ならない。だがそれは単なる解薬士としてだけではなく、より深い愛情で繋がった人生の伴侶としてのパートナーだ。
これまでの凶行全ての原動力は、喪った最愛の人を生き返らせること。そのためにジョニー・ブロウ以外のあらゆる生命と尊厳を踏み躙り、フェンディ・ステラビッチは
「しかた、ないわね。とっておき、見せてあげる、わ」
口元から流れる血を舌で舐め取りながら、フェンディは慈愛に満ちた女の顔で
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