06/Madness has sadness《6》

ゴウウウウッ!」


 ジョニー・ブロウのゾンビは公龍の槍を掴んだまま、凄まじい雄叫びとともに剛腕を無造作に振るう。公龍は槍から手を離し、アルビスとともに距離を取る。血の刀を生成しようとするも、両腕の血管に鋭い痛み。赤色系統の特殊調合薬カクテルを容赦なく使い続けた副作用だった。


「もう、限界、かしら?」


 フェンディが妖艶に微笑み、外套からは血の蛇が這い出す。扇状に無数の槌が展開され、一斉に殺到。狭いガーターの上に並ぶ公龍たちに避けられる余地はない。

 反応が遅れた公龍の前にアルビスが出る。襲い来る槌に身体を晒し、たった二本の腕で猛襲に抗う。もちろん迎撃しきれるはずがなく、掌打や蹴りで槌を弾いた先からその腕や脚を槌が穿つ。ほぼ無防備に槌に打たれたアルビスは全身から激しく血を噴き出し、攻撃が止むと重力に抗う力さえ失ったと言わんばかり、倒れ込むように膝をついた。

 公龍はようやく、特殊調合薬カクテルの副作用で大きな隙を作ってしまった自分をアルビスが庇ったのだと気づく。


「てめえ、何してくれてんだ……」

「貴様が、足を引っ張ることなど、想定済みだ。むしろ、ここまでが上出来だったに過ぎない」

「そういうことじゃねえだろっ!」


 公龍は声を荒げるが、悠長に話している余裕はなかった。ブロウが棺から完全に飛び出して襲い掛かってくる。振り上げた両腕が背筋力に任せて振り下ろされる。今度は公龍が前に出て、交差した腕を頭上に掲げてこれを防御。しかし衝撃は殺しきれず、全身の骨が悲鳴を上げる。さらにその衝撃は、再三に渡る槌の激突で破壊されきっていたガーターにトドメを刺した。

 べごん、という歪な音が響き、足元が右後ろへと傾いていく。体勢を僅かに崩した公龍の脇腹にブロウの拳が減り込んだ。踏ん張ることすらろくにできなかった公龍はガーターが崩れていくよりも先に空中へと身を投げ出され、倉庫の脇に積んであった木箱の只中へと突っ込んだ。

 乱れる呼吸のなか貪るように酸素を吸って身体を起こす。肋骨が砕けたらしく、息を吸うたびに全身に焼かれるような激痛が走った。

 フェンディとブロウはどこにいる。

 アルビスはどうなった。

 彷徨わす視線の答えは、すぐに頭上から訪れる。


フンンンンッ!」


 フェンディが宙に並べた槌を足場にして追ってきたブロウがただ真上から圧し掛かってくる。無策で無鉄砲に見えるそれは、まさに既に死んゾンビでいることを十全に活かした行動選択。当たり前だが、ゾンビには怪我を感じる痛覚も、死に対する恐怖心もないのだ。

 公龍は木箱の残骸を蹴散らしながら回避。地面を転がった公龍が体勢を立て直すより先に、着地と同時に公龍の回避方向へ地面を蹴ったブロウが、粉塵を裂いて迫ってくる。

 人間を遥かに逸脱した無茶苦茶な動き。だが死者であればそれができてしまうのだ。

 振り抜かれる拳を防御。しかし顔の前に掲げた腕は打撃の衝撃で簡単に吹き飛ばされ、公龍はたたらを踏んで後退。空いた顔面を目がけ、すかさず蹴りが振り上げられる。

 ガーターが崩れたときよりも遥かに鈍く歪な音――。顎を打ち抜かれた公龍はその場で後ろに一回転。腹から落ちて、地面へと沈んだ。

 見上げた前方では首を鳴らしながらブロウが立っている。やがてその横に降り立ったフェンディが、まるでクリスマスデートを楽しむ恋人みたいにブロウの腕に寄り添って公龍を舐めるように見た。


「よく、頑張った、わね。褒めて、あげるわ」

「黙れ……」


 ひどく掠れた声が出た。まだ負けていない。こんなところでは終われない。そんな意志に反して、公龍の身体は指先すらも動かなかった。

 フェンディは少し背伸びをしてブロウの頬に口づけ。それから倒れ伏す公龍へと歩み寄る。


「九重、公龍。同じ、赤色系統の、適性者。愛する子供と、妻を、失って、解薬士に、なった。それは、過剰摂取者アディクトへ、の復讐、のつもり?」

「てめえにゃぁ、関係、ねえんだよ」


 公龍は力を振り絞ってフェンディを睨んだ。遠退きかける意識を、憤怒と憎悪で奮い立たせて繋ぎ止める。だがどれだけ強がって虚勢を張ろうと、フェンディが投げ掛けた問いは公龍の心を確実に蝕む一滴の毒となって広がっていた。

 復讐などと、大それたことを言うつもりはない。きっと本質は単なる喧嘩の延長線に過ぎないのだ。胸に空いた喪失感を塗り潰すためには、憤怒と憎悪を燃やし続けるしかなかった。しかし向けるべき先のない感情は公龍を容赦なく滅ぼしていく。だから荒れ狂うだけの暴力に、過剰摂取者アディクトを駆逐するというもっともらしい理由をこじつけた。

 だから本質は、桜華と生まれるはずだった子供を失って、現実から目を背けていたころと何も変わらない。仮に現実や怨敵に対して一矢報いることが復讐ならば、公龍のこれはやはりただの逃避だった。


「どれほどの、ものかと、思ったけれど、大した、ことは、なかったわ、ね」


 フェンディが上へ向けた掌に血の螺旋。それはあっという間にかたちを結び、一振りの長剣へと変わる。


「残念、だけど、期待外れ、だった、わ」


 長剣の切っ先が、公龍のうなじに触れる。ひと思いに殺す気すらないのだろう。まだほんのりと生温かい血の刃の感触が、あるいはすり寄ってくる死神の気配が肌に伝わった。


「さよう、なら。九重、公龍」


 フェンディが長剣の柄を握る手に力を込める。死の危機に瀕して尚、身体は動かなかった。

 逃れようのない死に屈しようとした公龍を引き留めたのは、意識の隅で僅かに聞こえた風切り音。続いて肉が裂けて血が舞う音。さらに妙に間の抜けた呻き声が響く。

 フェンディが元から色のない顔を明らかに強張らせて振り返る。その視線の先を追えば、喉に鋭利な棒切れが突き刺さしたブロウが血の泡を噴きながら立ち尽くしていた。


「ジョニーッ!」


 フェンディがわなわなと震え出し、長剣を放り投げてブロウへと駆け寄る。

 血は流れているが、ブロウは既に死体。あの程度の傷と出血ならばゾンビとしての運用に問題はない。だがフェンディにとってのジョニー・ブロウは単なる死体やゾンビ以上の意味を持つ存在だ。だからこそ、傷つけられたこと自体が彼女にとっては看過し難い問題だった。

 完全に動転したフェンディがブロウの喉から棒切れを引き抜く。血が噴き出し、フェンディの真っ白な顔貌を赤く汚す。フェンディは立ち尽くすブロウの喉を両手で懸命に抑えていた。

 公龍は近寄ってきた気配に向けて口を開く。


「どこに隠れてやがった……クソ野郎が」

「クレーンの崩壊で海に落とされた。……しかし、随分と情けなくやられたな」

「っせえよ」


 吐き捨てた公龍は横から差し伸べられた手を取って立ち上がる。海水と血を滴らせるアルビスがふらつく公龍の肩を支える。公龍は回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを首筋の医薬機孔メディホールに突き立て、鉄灰色アイアングレーのアンプルで回復を図る。

 まだ終わっていない。なんとか一矢は報いたが、状況が好転したわけではない。


「勝ち誇った顔、してんじゃねえよ。まだ――」

「いやああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 言いかけた公龍の耳に、フェンディの悲鳴が届く。見れば、ブロウの身体は見る見るうちに血の気を失い、糸の切れた操り人形よろしく地面へと崩れた。


「折れた点検通路の手摺の先に無色のノンカラードアンプルを塗った。ゾンビの体内を流れるフェンディの血液にまで作用するかは賭けだったが、目論見通りだった」

「てめえ……」


 公龍は思わず口の端を綻ばせる。

 まさに九死に一生。アルビスの機転がブロウを無力化し、フェンディのメンタルを大きく揺さぶっていた。


「許、さない。許さ、ない。許さない許さない許さないぃッ!」


 地面に沈み、元の死体へと戻ったブロウを抱き締めながら、フェンディが吼える。外套の内側から血が溢れ出し、狙いも定めずに槌が放たれる。槌は避けるまでもないどころか、まともに硬度を保つことさえできず、地面を打った先から液体へと崩れていく。

 圧倒的な力と残忍さを誇っていた〝氷血の魔女〟は、もはや最愛の人の死を哀しむだけのただの女だった。


特殊調合薬カクテルの効果は使用者の肉体的・精神的状態に大きく左右される。なかでも赤色系統はその能力自体が使用者のイメージに大きく依存する。今のフェンディ・ステラビッチは、もはや恐れるに足る相手ではない。――もういけるな、公龍」

「誰に言ってんだ。だいたいてめえはやり口が陰険すぎんだよ、アルビス」


 二人は互いの戦意を確かめるように、あるいは鼓舞するように言葉を交わす。

 もしかするとそれはアルビスなりの気遣いだったのかもしれない。少なからず似た境遇にあるフェンディに、躊躇うことなく引導を渡せるのかと投げ掛けていたのだ。

 公龍は右手のなかに血の螺旋を走らせ、刀を形づくっていく。

 フェンディの痛みは理解できる。まして自分は喪失がもたらすあまりの辛さに、まだ生きている桜華からすら目を背けて逃げ出した身だ。ジョニー・ブロウの死という現実に抗おうと狂気に身を染めたフェンディの行いを、妄執だとか歪んだ愛情だなどと資格はたぶんない。

 だが戦いの全てに大義を求めなければいけないわけではない。これは喧嘩。あの日、逃げてしまった弱さの続き。今の公龍が戦う理由なんて、それくらい陳腐なものでいい。

 迷いはなかった。


「いくぞ、こら」

「指図をするな」


 二人は同時に地面を蹴る。肉体は既に満身創痍。一歩踏み込むたび、一呼吸するたびに全身が激痛を訴える。だがそれでも止まらない。アルビスがまだ立っているこの瞬間に、自分だけが戦いから降りるなんてダサいことがあっていいはずがない。そしてそれはおそらくアルビスも同様だ。


「うああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 錯乱状態のフェンディが槌を生み出す。しかし形状を保つことが難しくなったそれらは放たれるより先に液体へと戻り、フェンディの周囲に血溜まりを作っていく。


「はぁぁぁぁあああッ!」

「くたばりやがれぇッ!」


 低い姿勢からアルビスが繰り出した掌底がフェンディの腹を突き上げ、跳び上がった公龍が振り下ろす刀の峰が無防備に晒された脳天を穿つ。

 フェンディは臓腑から込み上げた血を吐き、脳震盪を起こして白目を剥く。魔女は呆気なく崩れ落ち、地面にぶちまけられている膨大な量の血のなかへと沈んでいく。

 公龍は倒れるのをなんとか堪え、すぐ横に立ついけ好かない相棒を見やる。アルビスは公龍を見ることなく拳を掲げる。公龍は気恥ずかしさに笑いを吐き出しつつ、向けられた拳に自分の拳を重ねた。

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