06/Madness has sadness《4》
公龍は五指に血の弾丸を生成。射程圏内ギリギリ。おまけにこれはフェンディの間合いだ。この距離で弾丸を放っても、自在に動かすことのできる槌で撃ち落とされることは間違いない。
悔しいが認めざるを得ないだろう。赤色系統の
「せいやぁッ!」
公龍たちが攻めあぐねていると、甲板で野太い声が響き渡った。フェンディの背後から姿を見せたのは偉丈夫のイ・ハヌル。フェンディの意識が公龍たちに向いた虚をすかさず突いて、巨大な棍棒を水平に薙ぎ払う。
衝撃。
フェンディは振り返ることもせず、一瞬にして生成した槌で防御。あろうことか剛腕を誇るはずのハヌルの棍棒が押し返され、四五度向きを変えて地面と水平になった槌が豪速で放たれる。ハヌルの分厚い胸へと吸い込まれたカウンターの一撃は、二メートルの巨体を紙切れ同然に吹き飛ばす。
「あなたたち、は、前座。出番は、終わりよ」
フェンディは圧倒的な力を誇示する。だがハヌルが身体を張って作った隙をみすみす見逃す公龍たちではない。
「でかした木偶の坊!」
ハヌルが飛び出すと同時、公龍とアルビスも低く駆け出していた。タラップを駆け上り、甲板へと乗り込む。莇の周囲に突き立っていた槌がすかさず公龍たちを追って殺到。甲板に幾条もの槌が降り注ぎ、赤い血霧混じりの粉塵が蹴立てられる。
「――舐めんなっ!」
粉塵を裂いて飛び出したのは公龍。右手には
フェンディはバックステップで距離を取りつつ、格子状に展開した血液で応戦。公龍の刀と切り結ぶや格子の交差点から鋭利な杭が突き出し、公龍の皮膚を抉る。しかし公龍も応戦――左手の五指に留めていた弾丸を放射。格子の隙間を縫って弾丸がフェンディに襲い掛かる。
だが掲げた掌の前で槌を回転させたフェンディに血の弾丸が届くことはない。それどころか蠢動した血の格子は一瞬でロープ状に変形。公龍の腕を絡め取って無造作に投げ飛ばす。
吹き飛んだ公龍はコンテナを固定する鉄製のラッシングバーに激突。背中を強く打ちつけ、肺のなかの空気が絞り出される。しかし公龍と入れ違うようにアルビスが間合いを詰めている。前方から殺到する槌を紙一重で躱し、あるいは掌打で逸らし、フェンディに肉薄する。
「ほうううううららららあああっ!」
フェンディの眼前に躍り出たアルビスは円を描くような流麗な歩法でその側面へと回り込む。しかしアルビスが薙ぎ払った手刀が届くより早く、フェンディの拳が振り抜かれ、アルビスはその場に沈められる。
フェンディの拳は血で生成されたグローブで覆われている。もちろん拳を保護するためのものではなく、敵を叩きのめすためだけの鋭く歪なかたちをしていた。
「もう、終わり、かしら?」
フェンディは侮るように口元を吊り上げる。公龍は刀を杖代わりにして立ち上がる。
「寝言は、寝て言えよ。ババア。終わるわけ、ねえだろ!」
「私、まだ、三五、だけど?」
踏み込んだ公龍にフェンディが応戦。斜めに振り下ろす斬撃は拳で打ち払われる。フェンディが繰り出すカウンターの拳を公龍はバックステップで辛うじて回避。しかし回避した先に六角形の槌が降ってくる。避けることは叶わず、公龍は向かってくる槌を斬り払う。刀は折れるが、槌は僅かに軌道を逸れて公龍の足元へ突き刺さる。
「うおらぁッ!」
突き立った槌を足場にして、公龍は跳躍。半ばで折れた刀に滴る血を継ぎ足して突きを繰り出す。これにはフェンディも面を食らったのか、反応がコンマ数秒遅れる。公龍の刺突はフェンディの頬を擦過――切り裂かれた頬に一文字の浅い傷が刻まれる。
フェンディは笑みを浮かべながら距離を取る。しかし息を吐く間を与えまいと、立ち上がったアルビスが間合いを詰めていく。
打撃の応酬。しかし両者とも一歩たりとも譲ることはなく、紙一重の攻防が続く。フェンディが拳を振るう。アルビスは上半身を反らしながらそれを躱し、フェンディの顎に掌打を見舞う。フェンディは血のガントレットをまとう腕で防御。アルビスはそのままフェンディの腕を掴み、強引にガードを下げる。無防備になったフェンディの顔面に、アルビスが頭突きを見舞った。
鈍い衝撃音がしてフェンディはたたらを踏む。すっと通った鼻梁から血が流れ出した。
「面白い、わね。傷つけられたの、とても久しぶり、よ」
フェンディが流れる血を長い舌で舐めとる。唇に紅を差すように真っ赤な血を塗った。そして着ていたシャツの胸をはだけさせ、露出した
公龍とアルビスは流れる血を拭って並び立ち、フェンディに対峙する。ともに
「そろそろ、パーティー、を、盛り上げて、いかない、とね。とって、おきの、おもてなし、用意したの、よ」
フェンディは言って、指を鳴らす。大きな音ととともに公龍たちが背にしていた冷凍コンテナの扉が開く。漏れ出す冷気とともに、甲板上を濃密な死臭が覆った。
振り返らずとも何が起きたのかは理解できた。こうして追跡の手が伸びることを予め考慮していたフェンディは積み荷と称して大量の死体を貨物船に運び込んでいたのだ。
死して尚眠りに就くことを許されなかった者たちの、掠れた怨嗟の声が重なり合い、質量を持ったように重く圧し掛かる。公龍とアルビスは半身になって背後を確認し、思わず顔を顰める。
その数は優に二〇〇を超えていた。
加えて異質なのは全身の筋肉が異様に隆起している点だろう。老若男女を問わず、その肉体はレスリングの選手のような強靭な体つきへと変貌していた。一歩踏みしめるたびに筋力に圧迫された血管が皮膚を突き破って血を噴き出し、骨が軋むような音が全身から聞こえてくる。
「
「その、通り。もちろん、三〇〇〇倍に、希釈、した、ものだけど、ね」
アルビスが言うと、フェンディは小さく頷いて生徒に教え諭すような口調で答える。口元はさも得意気に微笑み、白い瞳には狂気が宿る。
「さあ、ダンスの、時間よ。仲良く、楽しく、躍って、ちょうだい、ね」
フェンディが言うや、二〇〇を超えるゾンビが一斉に絶叫。重なる声は一個の怪物と成り果てて空気を震わせる。当のフェンディは傍らに置いてあった巨大なケースを肩に担ぐと踵を返し、自らの血液で螺旋階段を生成。貨物船に備え付けられた門型クレーンへと伸ぼり、荷物を下ろして点検歩道の上に脚を投げ出して座り込んだ。
「また逃げんのか!」
「逃げる? 私は、科学者。これは、性能試験。坊やたちの、価値は、マウスと、同じ。そして、私は、自ら行った、実験を、観察する、義務がある」
フェンディは余裕を醸すようにウインクを飛ばしてくる。追い駆けようにも、状況がそれを許しはしなかった。
「これはちょっと洒落になんねえぞ」
「随分手荒い歓迎だな。腹を括るしかない」
「クソったれ! あの女、絶対に潰す!」
公龍たちは構えを取り、荒れ狂うゾンビの大群を睨み据える。しかし雄叫びを上げながら津波のように押し寄せるゾンビたちは、二人をあっという間に呑み込んでいく。
†
迫るゾンビの首を刎ね、あるいは顎に掌打を見舞って頸椎を粉砕する。だが、積み上げられる二度死んだ肉体を踏み越えて、ゾンビたちは公龍たちに休む暇なく襲い掛かる。
「グルルルアアアアッ!」
雄叫びとともに迫るゾンビが振り下ろす左腕を、公龍は力技で強引に斬り落とす。左右のバランスが崩れて僅かに生まれた隙を突き、眼球目がけて刺突。そのまま頭の上半分が斬り飛ばされ、噴水のように血が噴き出す。
ゾンビたちは普通ならば致命傷になる一撃を与えても動かなくなることはない。フェンディの血で操られる彼らはその血を一定量失うまで、たとえ四肢を捥がれようと頭蓋骨を粉微塵に潰されようと動くことができるのだ。
ゆえに公龍たちの取れる選択肢は死体の徹底的な破壊。おかげで甲板は夥しい量の血と原型を留めなくなるほどに損壊した肉片や内臓で埋め尽くされていた。
「おい、スカシ! キリがねえ」
「ピーピーと泣き言を囀るな。耳障りだ」
公龍とアルビスは背中を合わせ、肩越しに言葉を交わす。言うまでもなくお互いの全身は返り血で真っ赤に染まっている。目立ったダメージこそ負ってはいないが、気を抜けば物量で圧し潰そうと迫ってくるゾンビに隠せない疲労が滲みつつあった。
「なあ、一つ提案がある」
「却下だ。言ってみろ」
「せめて聞いてから却下しろ。ドアホ」
「私の気が変わらないうちに早く言え」
ゾンビが一斉に迫った。公龍は腹に前蹴りを見舞い、ゾンビがたたらを踏んだところに血の刀を振り下ろす。肩ごと右腕を引き裂き、断面からは血が噴き出す。回転しながら別のゾンビの顔面を斬りつけ、五指に生み出した弾丸を放って腹を引き裂く。返す刃でまた別のゾンビの心臓を抉る。
しかしほんの一瞬無防備になった背中にゾンビが組みつく。力任せにアルビスの体躯を持ち上げ、そのまま地面に叩き伏せようと吼えた。
「余所見してんな!」
公龍が振るった血の刃がアルビスに組みつくゾンビの腕を斬り落とす。拘束から逃れたアルビスはゾンビの脳天に肘を落とす。落雷めいた威力にゾンビの頭蓋はV字にへこみ、そのまま地面に沈んで動かなくなる。
公龍はすぐさま振り返り、背後から飛びかかってきていたゾンビを居合の要領で切断する。上半身と下半身が別れを告げたゾンビは絶叫。しかし下半身から噴き出す血を目晦ましにして、別のゾンビが飛びかかってくる。
押し倒されるようにして公龍は転倒。噛みつこうと牙を剥いたゾンビの頭が横から割り込んだアルビスに蹴り上げられて吹き飛ぶ。噴き出した血をもろに浴びながら、公龍は首のないゾンビを押しのけてすぐに立ち上がる。
「もう疲れたか? 足を引っ張るなら死んでくれ」
「うるせえ。てめえこそ肩で息してんじゃねえか」
相変わらず減らず口はよく回る。頭も回る。だが身体の疲労だけは確実に蓄積し、公龍たちを蝕んでいる。
「てめえが囮になって、俺がクソアマを追う」
公龍は荒い呼吸のまま、状況を打破するための提案を口にする。アルビスは即座に鼻で笑い、それを却下した。
「せめて逆だな。貴様一人では奴を倒せる見込みがない」
「てめえが一人でクソアマに勝てると思ってるのが驚きだ」
「貴様よりは可能性が高いという話だ」
もう既に二人合わせて三〇は倒した。だが立ちはだかるゾンビたちの数が目に見えて減ることはない。もちろん怯むことはなく、その攻勢は微塵も衰えていない。
ジリ貧だった。圧倒的な物量差を前に、公龍たちが磨り潰されてしまうのも時間の問題と言えるだろう。もちろん打開できる見込みもない。
そのときだった。アルビスの
『だいぶ苦しそうだな、馬の骨ども』
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