06/Madness has sadness《3》

 湯川秋吉ゆかわあきよしは風変りな今回の客に、内心で怪訝な眼差しを向けていた。


「冷凍コンテナ二五台。これで全部ですね。ここに署名をお願いします」


 湯川は最後の確認を終え、今回の客にタブレット端末を差し出してサインを要求する。客は差し出された画面にタッチペンでミミズが這ったようなサインを記した。

 《東都》東部の湾岸地域にある倉庫群、通称ポンプ。自動運転オートドライビングシステムで有名な《イーストアクセル》によって管理運営されるここは、ドローンやらシステムやらによってほぼ自動化が果たされているので、物流の起点でありながらも人の姿はほとんどない。

 そんなポンプにあって、湯川の所属する貿易会社は特殊だろう。人間とドローンの数はおよそ半々。もちろん《イーストアクセル》には内緒だが、システムから独立したドローンや検査機の類もいくつか導入されている。

 何せを運ぶのが専門だ。銃器や麻薬、非合法な手段で売買された臓器や人間。もちろん積み荷の中を覗いたり、客の事情に深入りするような愚行はしない。こういうのは距離感が大切だ。社長や上司からも絶対のルールとして耳にタコができるほど言い含められているし、湯川自身も肝に銘じて仕事をしている。

 とは言え、今回はいささか好奇心を刺激されるのも事実だ。

 まず客の見た目。とはいえ、常にサングラスにフード付きの外套をすっぽりと被っているのでどんな顔なのかは知らない。体つきから察するに女だろうが、確証は持つのは難しい。おまけに声を出せないのか出さないのかは知らないが口も利かない。取引のやり取りは全てダークウェブのメールソフトを介して行われるという徹底ぶりだ。

 もちろん後ろ暗いものを運ぼうという人間なので、身分の詳細は明かされないことが多い。だがここまで徹底して秘密主義を貫くというのも稀だ。

 そして客が怪しければ、運び出す積み荷も怪しいことこの上ない。

 依頼された荷物は冷凍コンテナ二五台と本人の密出国。コンテナ二五台を運び出すことも、密出国を請け負うことも珍しくはないが、二つ合わせての依頼はこの手の仕事を長年やっている湯川も初めてのことだ。

 それに加え、もちろん中身は知らないが、コンテナ二五台という荷物の量は異常だ。少なくとも個人が運び出そうと思う荷物の量ではない。加えて運送費も馬鹿にならないが、この客は事前に一括で運賃の全額を支払う気前の良さとくる。

 もしかすると有名な資産家か何かなのかもしれない。もちろんそんな人間が貨物船で密出国を目論む理由など見当もつかない。とにかく徹頭徹尾、不可思議な客だった。


「一応、サービスで簡易的なベッドは用意しときました。とは言え、貨物船なんで一般的な客室を期待しないでくださいよ」

「…………」


 客は無言で頷くと、傍らに置いてあった身の丈よりも巨大な筐体ケースを背負う。見るからに重そうなそれを、細腕で軽々と背負ってみせる姿もやはり異様だ。


「その荷物も、積みましょうか?」


 湯川は愛想笑いを浮かべながら訊ねてみたが、客は無視をして停泊する貨物船へと向かっていく。何となく不気味な後ろ姿に、湯川の表情は愛想笑いをしたまま引き攣った。

 だが何はともあれ船が無事に出航すれば仕事は完了だ。既に代金も貰っている。好奇心は刺激されるが、それ以上にこの客には関わるべきではないと、長年の経験で培った勘が告げていた。

 湯川はタラップを渡っていく客の見送りもそこそこに、車へと戻る。既に雇った操縦士たちは船に乗り込んでいるし、積み荷の確認も終わった。もう後は放っておいても船は出航する。湯川の役目は終わりだった。

 運転席に座り、背もたれに身体を埋める。ダッシュボードの上に放っておいた煙草を一本取り出して咥える。一緒に置いてあったはずのライターが見当たらなかった。


「あれ……どこいった……」


 不意にカチリと音がして煙草の先に火が添えられる。湯川は息を吸い込んで火を点け、流れ込んでくる紫煙で肺を満たす。人差し指と中指で煙草を挟んで口元から外し、煙を吐く。一仕事終えたあとの一服は格別だった。


「火ぃ助かったよ。ありが――」


 言いかけて、湯川はギョッとした。人がいるはずがない。飛び退くように振り返れば、後部座席に長い前髪で顔の右半分を隠した男がライターを弄びながら座っていた。


「今すぐにあの船の出航を止めろ。口答えはさせない」


 刃物のように研ぎ澄まされた左眼の視線が湯川に突き刺さる。

 湯川の脳裏に過ぎったのは男が警察である可能性。後ろ暗い商売だ。バレれば刑務所でクサい飯を食わされることになるのは間違いない。

 湯川の判断は早かった。扉を開けて車の外へ出ようとする。しかし開きかけた扉は外にいた偉丈夫に押し込まれて勢いよく閉められた。湯川は運転席の上で引っくり返る。その隙を逃さず、後部座席にいた紺スーツの男が湯川の右手を取って、小指を躊躇いなく圧し折った。


「うぎゃあああああああああっ!」


 絶叫。湯川は手の甲に触れそうな位置で揺れている小指を涙目で眺める。その向こうには、紺スーツの男の冷たい視線があった。


「火の礼くらいしたらどうなんだ? 船を止めろ。煙草が吸えるうちに言うことを聞いておけ」


   †


 公龍たちはフェンディのセーフハウスだった死体安置所モルグを飛び出し、車を走らせていた。

 先を急ぐので自動運転オートドライビングは使わない。運転席に座るアルビスがハンドルを握り、アクセルを踏み込む。規律に従うように並ぶ車のライトと人々の欲望を映し出すホログラムが映える夜のなかを、的確なハンドルさばきによって操られる車は流れるように進んでいく。


「《東都》を出るには陸海空、大きく三つの経路がある。まず陸路は高架道路などを利用した車移動。だが自動運転オートドライビングシステムは高度な追跡システムとしても作動する。警察組織のNシステムとも連動すれば、《東都》から陸路で出て行くヒトやモノが完全に行方を晦ますことは難しい」


 アルビスは車を走らせながら、公龍に自らの推測を


「次に空路。これは論外。空港は高いセキュリティとパーソナルチェックを誇っている上、持ち込める荷物も限られる。少なくとも死体は論外だ。もちろん自家用機を飛ばすことも難しいだろうな。《東都》の都市開発で増えた超高層ビル群とドローンの航行の影響で、急速に法整備が行われ、違法機体への対応策が整えられた」

「なら海路ってことか」

「ああ。《東都》の湾岸地区は震災による水没や液状化現象が激しい地域も多く、治安のレベルが低い。地下迷路街との繋がりも深く、マフィアやヤクザなどが跋扈するせいで武器や麻薬、人身売買などが平然と行われる。唯一のネックはアングラな移動手段を使う際の法外な逃亡資金だろうが、フェンディ・ステラビッチほどの解薬士ならばそれも問題ないだろう。――――見えてきたぞ」


 アルビスがアクセルをさらに踏み込む。嘶くようなエンジン音とともに加速した車は湾岸倉庫群ポンプを囲んでいるフェンスを突き破る。アラートが響き、警備用ドローンが集まってくる。アルビスは尚も加速させながら扉のロックを解除した。


「らしくねえ無茶すんじゃねえか」

「嫌いではないだろう。こういうのも」


 二人はほんの一瞬だけ視線を交錯させ、首筋の医薬機孔メディホール回転式拳銃型注射器ピュリフィケイター特殊調合薬カクテルを注入。ほぼ同時に扉を蹴破り、時速一〇〇キロ近い速度で走る車から外へと飛び出した。

 公龍は高く跳び上がり、迫りくるボーリングピンのような警備用ドローンを踏みつける。公龍が打ち込んだのはアドレナリンを過剰分泌させて火事場の馬鹿力を人為的に引き出す深緑色エバーグリーンのアンプル。その蹴りを真正面から受けたドローンは転倒して大破。公龍は上手く衝撃を殺しながら地面を転がり、すぐに立ち上がる。

 視界の隅では制御を失った車が大量のドローンを巻き込みながら倉庫の壁に追突――爆発して火柱があがった。

 公龍は続いて唐紅色カメリヤのアンプルを打ち込む。右手を地面にこすりつけて出血――その血を礫へと変形させて放つ。

 無論、血の弾丸ではドローンの装甲に小さな傷をつけることしかできない。だがセンサーの攪乱と牽制には十分。公龍は低く飛び出し、包囲網を築いてくるドローンを蹴散らす。ドローンを足場にして跳躍。さらにコンテナの壁を蹴り上げて、その上に着地する。

 アルビスもまた同様に包囲網を抜け、三角跳びの要領でコンテナの壁を蹴り上げながら公龍に追いついてくる。ジャケットの内側から取り出したのは手榴弾。アルビスは歯でピンを引き抜き、足元に群がってくるドローンたちへそれを投げ落とす。

 爆発――。瞬く間に広がった炎熱と爆風がドローンを呑み込む。遅れて黒煙が立ち昇った。


「物騒なもん持ってやがんな」

「余り物だ」


 そう言えば、アルビスは《東都》に来る前は傭兵だったか。爆風が髪や服をはためかせるなかで、公龍はそんなことを思い出した。


「一六番ポートに貨物船の影が見える。おそらくはそこに奴がいる」


 いつの間にか山吹色ブラッドオレンジのアンプルで五感を研ぎ澄ませていたアルビスが北東の方角を睨む。公龍は目を細めるが、夜の闇がぼんやりと浮かんでいるだけで船の影とやらは見えない。


「行くぞ」

「仕切んな。指図すんな」


 公龍とアルビスは、立ち昇る黒煙を背景にしてコンテナの上を駆け出す。


    †


 公龍の目にもようやく船影が捉えられるほどに一六番ポートへと近づいたときだった。

 しんと張り詰める初冬の夜を裂いて、鋭い衝撃音が響く。幾重にも折り重なる衝撃に空気が歪み、緊張感は一気に膨れ上がる。公龍たちが最後のコンテナを越えて一六番ポートへと辿り着けば、墓標のようにアスファルトに突き刺さって乱立する赤黒い槌が視界に飛び込んでくる。その只中には地面に吹き飛んだ左腕を抑えながら膝をつく莇幾多郎の姿。そしてその莇が睨みつける先――貨物船の甲板の上で積み上がったコンテナを背にしながら立つフェンディ・ステラビッチの姿が見えた。


「随分と、遅かったな……」

「死に損ないが偉そうに説教垂れんな。主役は遅れてくるって相場が決まってんだよ」


 公龍たちの到着に気づいた莇が言い、公龍は軽口を返す。

 減らず口が叩けるのであれば大丈夫だろう。見たところ出血は多いが、解薬士は丈夫だ。それに《リンドウ・アークス》が誇る最新医学が背後に控えている。普通なら即死するような負傷であっても生き残ってしまうのが解薬士だ。


「やっぱり、来て、くれたのね」


 公龍は降りかかる声の方向に目を向ける。フェンディが公龍たちを見下ろしていた。夜の紫に浮かび上がる白は殊更に異質で、対峙する者の不安を掻き立てるような悍ましい美しさを帯びている。

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