06/Madness has sadness《2》

 血の刀を振るい、ゾンビの首を刎ねる。血が噴き出し、糸が切れたようにゾンビの体躯は地面に崩れ落ちる。立ち上がってこないよう念には念を入れて刃を振り下ろす。床に膨大な血溜まりが広がり、ゾンビは地団駄を踏んで間もなく動かなくなる。


「これで全部片付いたか?」


 公龍は屍山血河となったあたりを見回す。通路もオフィスも血の赤で染め上げられ、夥しい数の死体で埋め尽くされている。既に腐敗が進んだゾンビに加え、白旺ガーディアンズの社員や集められた解薬士のまだ色のある死体も転がっていた。

 フェンディはどうやってか自分を包囲する連帯ソリダリティ結成の話を嗅ぎつけたらしく、奇襲を仕掛けてきた。その方法はいたってシンプルで、大量のゾンビによる虐殺。公龍たちは気まぐれに踵を返したフェンディを追うこともままならず、ゾンビの対処に追われていた。


「ああ、これで全てだろう。ステラビッチは逃げたか……」


 振り返れば二メートル近い偉丈夫が、巨大な棍棒を肩に担ぎながら公龍の背後に立っていた。先のフェンディによる奇襲の際、公龍たちと同じくいち早く反応してみせたもう二人のうちの一人である。


「あ、てめえは?」

「フォルターワークス所属、イ・ハヌルだ」


 名乗った偉丈夫は吊り上がった糸目を一層細めて公龍に笑みを向ける。

 フォルターワークスと言えば、白旺ガーディアンズ同様に《リンドウ・アークス》直下の大手解薬士事務所である。公龍は知る由もなかったが、中でもハヌルは公龍たちとほぼ同キャリアでありながら既に頭角を現している気鋭の解薬士だ。


「ハヌル、どこぞの馬の骨とも分からぬ者と馴れ合うな」


 公龍はハヌルの向こう側を覗く。デスクの島に積み上げられたゾンビの死体の山の上、脚を組んで腰かける痩身の男がいた。

 紺のストライプスーツに身を包み、伸ばした前髪で右眼を隠している。手には黒革の手袋グローブを嵌めている。おそらくはハヌルのバディなのだろう。スーツを着ている点や、どこかスカした雰囲気を醸すあたりが、どことなくアルビスを連想させる。


「誰が馬の骨だ? てめえもそこの死体の仲間入りさせてやろうか?」

「たまたま赤色が使えるからと言って呼ばれたらしいが、図に乗るな」

「死にてえなら素直にそう言えよ」


 公龍は血の刀を肩に担ぎ、スカした紺スーツに向けてガンを飛ばす。しかし公龍の前に、二メートルの巨躯が立ちはだかる。


あざみさんに無礼を働くなら、僕がここで君を潰さなくてはならなくなる」

「上等だ。やってみろよデカブツ」


 公龍は足元に転がるゾンビの頭を蹴飛ばし、ハヌルに詰め寄る。およそ二〇センチの体格差はまるで大人と子供が向かい合うような滑稽さだが、公龍にはそんなものは関係ない。この二人は自分を侮っているという事実だけで、敵と見定めるには十分だった。


「公龍、余計な揉め事を起こすな」


 柄を握る手に力を込めた公龍を、アルビスの声が呼び止める。どうやら下の階のゾンビを掃討していたらしく、銀灰色のスーツの大部分を血で染めたアルビスがオフィスの手前にある階段を上ってくるのが目に入った。


「いつまで喧嘩屋のつもりでいる。見苦しいぞ」

「なら舐められたままでいいってのか? 情けねえ」


 吐き捨てた公龍を無視したアルビスは、荒れ果てたオフィスに踏み入って紺スーツへと近寄る。


「そうではない。こんなところで力比べをすることに意味がないと言っている。どちらが解薬士として優れているかは、この仕事をこなしていれば自ずと明らかになることだ」

「ほう。それはつまり、俺たちと張り合おうということか」


 紺スーツが立ち上がり、近寄ってくるアルビスの前に降り立つ。紺スーツの体躯はバディのハヌルとは打って変わって随分と華奢だったが、針金のような体躯には何とも言えない不気味さが感じられた。


「聞こえなかったか? 私は自ずとと言った。明らかになっていないだけで、どちらが優れているかは既に決まっている」

「……おまけで呼ばれただけの馬の骨のくせに随分と出しゃばるな、君たちは」


 紺スーツが口元を歪め、嘲笑を浮かべる。滲む威圧感はすさまじいものがあったが、こんなものに今更尻込むようなアルビスではない。


「まあいい。若いうちはせいぜい虚勢を張って揉まれろ。手始めに俺たちがプロの仕事を教えてやる。……ハヌル、行くぞ。ステラビッチを追う」

「了解です。莇さん」


 紺スーツとハヌルは公龍たちに敵意の籠った視線を向け、階段を下っていく。公龍たちは二人の背中が見えなくのを待ってから白旺ガーディアンズを後にする。

 連帯ソリダリティはしばしば起こる。しかしその呼び名に反し、集められた解薬士たちが協力することはまずあり得ない。解薬士は統率の取れる制御可能な兵士などではなく、ただ獲物を駆り立てるために寄せ集められた獰猛な猟犬に過ぎないのだ。


   †


莇幾多郎あざみきたろう。解薬士が民間に移行する以前の《リンドウ・アークス》の私兵部隊〝メディガンズ〟時代から《東都》の治安維持に関わってきたベテランだ。おそらくはあのバディの頭脳を担うのだろう。私たちとそうキャリアに差のないイ・ハヌルが飛ぶ鳥を落とす勢いで実績を積んでいるのも、莇と組んでいるからに他ならないだろうな」

「へぇ、そうかよ。そんな大層な奴には見えなかったけどな」

「貴様はものを知らなすぎる。脳の容量が残念なのは知っているが少しは興味を持て」

「生憎てめえみてえな雑魚と違って、あれこれ考えとく意味なんかねえんだよ。莇だろうとステラナントカだろうと、全部潰せばいい話だ」


 公龍が言うと、アルビスは深く溜息を吐く。アルビスは座席のリクライニングを僅かに倒し、もう貴様と話すことはないという意思を表明。薄青の目を閉じて黙考を開始する。手持ち無沙汰になった公龍は凝りを解すように首を回して音を鳴らし、窓の外に視線を投げた。自動運転オートドライビングで走る車は《東都》の摩天楼の間を塗っていく。エンジンの音だけが響くだけの車内で、公龍は沸々と湧いてくる悔しさの震えを抑えつける。

 まるで歯が立たなかった。文字通り、何もすることができなかったのだ。

 これまでも強いと感じる相手に出会ったことはある。立てないくらいにまで殴られたことだって一度や二度ではない。だがこっちが立てなくなる代わりに相手の腕を圧し折り、鼻梁を潰し、歯を砕いてやった。転んでもただでは起きず、いつだって二矢も三矢も報いてきた。それは喧嘩に明け暮れていた日々でも、解薬士になってからも変わることはなかった。

 だがフェンディ・ステラビッチを前に、公龍は何もすることができなかった。一撃をくれてやるどころか触れることすら、近づくことすら叶わず、むしろたったの一撃で沈められたのだ。

 このままで終わるわけにはいかない。何としても莇ら他の解薬士よりも先にフェンディを見つけ出し、倒さなければ気が収まらない。

 公龍は煮え滾る怒りを押し込めるよう、膝の上に置いた拳を固く握った。


   †


 二人が足を運んだのは行方不明者の血痕が発見されたというフェンディのセーフハウス。既に写真で確認していたが、逃がしたフェンディを追い駆けなければならないなかで、一度自分たちの目で見ておくべきだろうというのが、珍しく一致した二人の意見だった。

 荒事に巻き込まれることの多い解薬士が事務所と自宅以外にこうしたセーフハウスを所有することは珍しくない。実際、アルビスも公龍もそれぞれにセーフハウスをいくつか所有している。だがフェンディのそれはセーフハウスと呼ぶにはいささか異質な様相を呈していた。


「こりゃセーフハウスってより、実験室だな」


 公龍は壁や床にこびりついた死臭に顔を顰めながら、銀色のテーブルの上に乱雑に並ぶメスを手に取ってぼやく。

 一二区の小規模廃区にあるフェンディのセーフハウスは死体安置所モルグだった。既に白旺ガーディアンズの捜索が入ったあとなので目ぼしい手掛かりは残っていなかったが、地下の安置室にはこびりついて落ちることのない血の滲みと、メスや注射器など無数の医療器具が放置されたままになっていた。


「やっぱ、ここであのゾンビ軍団を作ってたってことだろうな。……ったく気味悪いぜ」


 公龍は本来死体安置所にあるはずのない輸液ポンプの上に手を乗せる。

 死体は唐紅色カメリヤのアンプルを注入したフェンディの血によってゾンビとして息を吹き返す。おそらくフェンディは輸液ポンプを使って死体の血抜きと輸血を行っていたのだろう。既に《リンドウ・アークス》に回収されているだろうが、実験を効率よく進めるために予め採血しておいたフェンディの血液パックなどが冷蔵庫に保管されていたはずだ。


「やっぱあのクソアマは狂ってやがる」


 実際にあの場で刃を交え、少なからず言葉を交わした公龍には分かることがある。

 フェンディ・ステラビッチは倫理のタガが外れた狂科学者マッドサイエンティストだ。ああいう手合いは自らの研究それ自体に快楽を求める。そうでなければあんな悍ましいことができるはずもない。大量の死体を用いた奇襲に、躊躇のない虐殺。どこもこれも奴からすれば特殊調合薬カクテルの効果を試す実験に過ぎないのだろう。人の命を弄ぶことなど、彼女にとって些細な意味すらもたないことだ。

 かつて自らも科学者だった公龍だからこそ、僅かながらに理解ができる。

 科学の探求はそれ自体が愉楽の対象になり得る。もちろん科学の発展には人の生活をよくしたいという原動力があることも否定しない。だが自らの知的好奇心を満たし、世界の謎を解き明かしていく営みはそれ自体が非常に楽しいものなのだ。

 その愉楽を突き詰めたバケモノが、あの女だ。


「どうだろうな」


 ぽつりと公龍の耳朶を打ったアルビスの声は、公龍の考えに対する否定的な声を帯びていた。睨みつける公龍をよそに、死体を安置しておく冷蔵庫の引き出しを押して元に戻したアルビスは、デスクの上に置いてあった写真立てを手に取る。収められた写真に写るのは一組の男女だ。

 男のほうは金髪碧眼。逞しい体つきに巌のような面貌だが、表情は柔らかく、頬から鼻梁にかけて浮いたそばかすはどことなく愛らしい印象を与える。

 女のほうは、白い髪に白い肌、白い瞳をしている。あまりに優しく、朗らかな表情をしているせいで分からなかったが、そんな奇異な見た目の人間は二人といないだろう。


「あの女の写真か」

「ああ。そしてこの男のほうは最初のパートナーであるジョニー・ブロウだ」


 アルビスが公龍へ向けた写真のなかで、寄り添う二人は笑っている。どうやら事務所の前で撮影されたものらしく、二人の頭上には真新しい〝フェンディ&ブロウ解薬士事務所〟の文字が見える。

 公龍はアルビスが口にしようとする考えを、あるいは写真に写る幸福そのものを鼻で笑った。


「ったく勘弁してくれ。勝手な妄想垂れ流すんじゃねえよ」

「妄想ではない。事実というピースを並べて組み上げた推論だ」


 アルビスは写真立てを元の場所に戻して顔を上げる。鉄仮面はいつもの様子で、その内側にあるだろう感情は読み取れなかった。


「ジョニー・ブロウはコードαの最中に殉職している。遺体はフェンディによって引き取られているが、葬儀を執り行った記録はなし。もちろん密葬や《東都》の外で葬儀をあげた可能性もあるだろう。だが葬儀をしていない可能性も十分に考えられる」

「てめえは何が言いてえんだよ」


 公龍は語気を強める。

 おそらくアルビスの頭に思い浮かんでいるだろう内容は、既に公龍も考えた。何故なら飛びかかり、言葉を交わしたあの一瞬、歪み切ったフェンディの微笑みの奥に、公龍自身もよく知る感情を垣間見たような気がしていたからだ。

 だがそのことを認めるわけにはいかなかった。それを認めることは逃げ出した自分を認めることに他ならない。不条理な現実に、愛する人の喪失に、たとえ間違った方法だとしても抗おうとするフェンディと、全てに背を向けて酒と喧嘩に溺れた公龍――その二人の差を認めることは、自分の弱さを真正面から突きつけられることに他ならない。


「貴様の言う通り、フェンディに狂科学者マッドサイエンティストの側面があることは否定しない。だが奴の動機は単純な知的好奇心だけではないと、私は思う」

「一枚の写真だけでそこまで妄想を膨らめるとはな。今すぐ解薬士なんて辞めちまって作家にでもなったらどうだ?」


 公龍はめいいっぱいの嘲りを込めてわざとらしく笑う。アルビスは真っ直ぐに、揺らぐことのない薄青の瞳を公龍へと向けていた。

 こいつの目はいつもそうだ。公龍が現実から目を背けることを許さない。そしてそれがどうしよもなく気に食わない。アルビスの目も、現実に及び腰になる自分も、何もかも。


「あーっ! クソったれ! どうしろってんだよ」


 公龍は根元が黒くなった金髪を掻きむしって声を荒げる。そしてありったけの殺意を込めて、アルビスを睨む。


「奴の目的は既に達成されていると見ていい。おそらくこのまま逃げるつもりだろう。いくつか候補はあるが、死体を運び出せる手段は限られる」

「分かったよ。今回はてめえに乗ってやる。あのクソアマにゃ借りもあるからな」

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