06/Madness has sadness《1》

 公龍とアルビスが向かったのは《リンドウ・アークス》傘下の解薬士事務所である白旺はくおうガーディアンズ――陸上自衛隊出身者の解薬士などを多く抱えるいわゆる武闘派の大手解薬士事務所だ。

 IDを見せて受付を済ませるや社内に通される。受付の女性が怪訝な表情を向けていたのはおそらく、公龍たちが解薬士としてあまりに無名だからだろう。そのことからも、アルビスの言う通り「デカい仕事」であることが伺えた。

 つまり《東都》を代表するような、名立たる解薬士がここに集められている。それほどの何かが今この《東都》では起きているということだった。

 ちなみに今回のように複数の解薬士事務所が協力関係を結んで職務にあたることは〝連帯ソリダリティ〟と呼ばれ、事務所単体では対処しきれない大きな特殊薬事案件コードアルファを対象としてしばしば起こる。多くの場合、《リンドウ・アークス》が依頼人クライアントとなるかたちで傘下の事務所が規模の大きい仕事を請け負う。そのさらに下請けにあたるのが公龍たちというわけだ。報酬に関して言えば元請けの事務所にマージンが発生するものの、そもそもが莫大な額を動かす依頼であるために下請けとして協力するだけでもかなりの額になる。

 だがアルビスが言った〝デカさ〟というのは単なる報酬の話ではないだろう。名立たる解薬士が一堂に会するこの場で成果を上げることは、自分たちの実力を示すことに直結する。そういう意味でこれはというわけだ。

 通された会議室は扇型で、要にあたる部分には壇がある。肝心の座席は後ろにいくにつれて段差がついて高くなっていて、厳めしい風貌の解薬士たちが例外なく二人一組になって座っていた。その数ざっと三〇名。一五組もの解薬士がそれぞれ殺気を迸らせているのだから、会議室の空気は最悪だった。


「随分とピリピリしてんな」

「当然だ」


 アルビスは言って、壇上から向かって右端、中段あたりの座席に腰を下ろす。公龍もその隣りの椅子に浅く腰かけた。

 間もなくスーツを着込んだ細面の男が入室してくると、会議室は閉め切られる。どうやらあの男がこの連帯ソリダリティの責任者らしい。


「諸君、今日はよく集まってくれた。この連帯ソリダリティの発起人である白旺ガーディアンズ参謀部の唐木からきだ」


 壇上に立つ唐木が口を開く。マイク越しの低い声が響き、会議室のあちこちを錯綜していた殺気が壇上へと注がれる。それが凄まじい圧をもっていることは容易に想像できるが、唐木は微動だにせず言葉を続ける。見かけによらず肝が据わっているらしい。


「事態は急を要するので早速本題に入らせてもらう。まず先日一五区にて起きたコードαの写真を見てくれ」


 唐木が言うや、背後のモニターに画像が表示される。公龍は強烈に、アルビスですら僅かに、眉間に嫌悪の皺を寄せる。おそらくその場に集まった全員が同様の反応をしただろう。画像に映っているのはB級映画のなかから引き摺り出されたようなゾンビの姿だった。

 もちろん公龍たちにはそれが特殊メイクの類でないことは人目で分かる。職業柄、人の死体をよく目にするからこそ、立って歩くそれが本物の死体であると感覚で理解していた。


「これらの死体はかなり腐敗が進んでいるが、先月より各区において報告されている行方不明者と一致する。当社の解薬士がこの処置にあたり、回収した死体を調べたところ、死因は例外なく窒息死。そして死後速やかに血抜きを施され、を投与されていることが分かった。また死体に残っていた血液からは微量ながら唐紅色カメリヤのアンプルの成分が検出されている」


 室内がにわかに騒めき立った。それはコードαの処置対象であるゾンビから特殊調合薬カクテルの成分が検出されたことによる驚きと不審だったが、より勘のいいものは唐紅色カメリヤという色が示す意味に警戒心を露わにしていた。

 唐木が公龍たちへと視線を向ける。


「ここで一つ確認しておきたい。ウロボロス解薬士事務所、九重公龍。赤色系統の特殊調合薬カクテルを使用し、死体をさも生きているかのように操ることは可能か?」


 会議室にいた猛者たちの注目が、唐木から公龍へと移された。おそらくは大多数の解薬士が、公龍が稀有な赤色系統の適性者であることを知らないのだろう。そして公龍が赤色適性者であるという事実が、今日この場に無名の二人が呼ばれた最たる理由だった。

 公龍は座席に浅く腰かけたまま、唐木に向けて口を開く。


「さあな。少なくとも俺はできねえ」


 あまりに不遜な物言いに唐木の眉がぴくりと動く。どうやら解薬士たちが向ける殺気には動じないが、どこぞの馬の骨とも知れない相手の無礼には反応するらしい。


「赤色系統は他の色系統の特殊調合薬カクテルよりも使用者の想像力に依存する分だけ自由度が高え。たとえば一番基本となる珊瑚色コーラルレッド一つをとっても、作り出せんのは刀から鞭から色々だ。俺にはできねえが、どっかの誰かには唐紅色カメリヤがそういう人形遣いみてえな芸当をする能力だとしても、別に不思議なことはねえよ」


 概ね正しい説明だった。そしてどうやら白旺ガーディアンズは、死体が唐紅色カメリヤのアンプルの効果によってその血液の持ち主の手で操られたものだと考えているらしい。


「そうか。説明ご苦労」


 唐木は言って、発言権を公龍から自分へと戻す。背後のモニターの画像が切り替わり、一人の女のバストアップ写真が表示される。室内の殺気はいつの間にか鳴りを潜め、動くことを躊躇わすような緊張感へと置き換わっている。

 画像の女は異様なほどに白かった。肌はもちろん、髪も瞳さえも白。まるで色を塗り忘れた塗り絵のような奇怪な容貌を、解薬士であれば知らないものはいなかった。

〝氷血の魔女〟フェンディ・ステラビッチ。公龍と同じ赤色適性者であり、残忍さと冷酷さからしばしば素行が問題視される《東都》指折りの解薬士である。その戦闘力の高さは言わずもがな、本人は求道者を気取っており、特殊調合薬カクテルを自ら勝手に配合するなどしてその効果の検証をする狂科学者マッドサイエンティスト的な一面も併せ持っているという。

 広がる緊張感を慮ってか、唐木はゆっくり一呼吸分の間を取って、それから全体へと告げる。


「知っての通り、彼女はフェンディ・ステラビッチ。今回の処置対象になる」


 フェンディの写真が映し出された時点で全員が覚悟していた宣告だったが、改めて言葉にされるとその緊張感は一層増した。解薬士であれば少なからず聞き及んだことのあるフェンディの所業の数々は、これから望む仕事の危険度をそのまま表していると言っていい。


「当社解薬士が内偵を進めたところ、彼女が秘密裡に保有するセーフハウスの一つにゾンビとなった行方不明者の血痕などが見つかった。重要参考人としての出頭を要請したが、ステラビッチはこれを黙殺。現在、行方が分からなくなっている。これに対し《リンドウ・アークス》は彼女のIDを剥奪する決定を下した。つまりフェンディ・ステラビッチの身柄確保、あるいは処分。それが今回の連帯ソリダリティの達成目標だ」


 モニターの画像が再び切り替わり、報酬額が提示される。危険度に比例し、当然ながら報酬は破格だ。もちろん総額なので活躍に応じて各事務所へ割り振られるのだろうが、仮に等分したとしてもウロボロス解薬士事務所の半年間の純利益を優に上回る金額になることは間違いなかった。

 公龍は想定以上の金額に面を食らいつつ、アルビスに小声で訊ねる。


「そんなにすげえ奴なのか、あの女」

「……知らないのか?」


 アルビスがうんざりした顔で溜息を吐く。普段は表情に乏しいアルビスの顔だが、腹立たしいことに公龍に対して嘲りや嫌悪を向けるときだけは妙に雄弁になる。


「フェンディ・ステラビッチ。互助組織サークル鴉連合クロウズ・ユニオン〟下のフェンディ&ブロウ解薬士事務所所属の解薬士で、貴様と同じ赤色系統の適性者。実力、実績ともに《東都》でも五本の指に入るが素行に問題の多いことで知られている。事実、最初のパートナーであるジョニー・ブロウの死以降、約一年で一九人もの新しいパートナーが選出され、全員がコードα外で死んでいる。その圧倒的で容赦のない戦いぶりからついた二つ名が〝氷血の魔女〟。それ以外にも〝相棒喰いバディ・イーター〟や〝着せ替え人形バービー〟などと呼ばれ、異名と逸話に尽きない女だ」


 アルビスは抑えた声に呆れを滲ませながら説明し、「それくらいのことは知っておけ」と放って言葉を結んだ。全くもって一言余計だ。公龍は舌打ちし、アルビスを睨みつける。

 だがこれで会議室の空気にも納得がいく。フェンディ・ステラビッチは歴戦の解薬士たちですら相手にするのを躊躇うだけの相手というわけだ。


「ここまで聞いて、怖気づいたものは帰ってもらって構わない。奴はこちらの恐怖や迷いにつけ込んでくる。既に当社の解薬士も二組が惨殺されている」


 唐木の言葉に何人かが息を呑む。おそらく破格の報酬と自らの命とを天秤にかけているのだろう。だが後者に傾くような天秤の持ち主ならば、元より解薬士という危険な職業を生業になどしていない。ここに集まっているのはそういうネジの外れた人間がほとんどだった。


「いいだろう。諸君らの勇気に敬意を称する。本件は被害を抑えるためにも連携が重要となってくる。ステラビッチの居場所について情報共有を――」

「その必要は、なくって、よ?」


 耳にした者に応なく寒気を催させるような冷たい声がして、どこからともなく唐木の頭上に現れた鮮赤の槌が墜落した。唐木の身体は縦に潰れ、内臓や骨や筋肉が皮膚を突き破って飛び出し、血や体液とともに壇上にぶちまけられる。

 その一瞬の出来事に反応できたのは公龍とアルビスを含めてたったの四人だった。跳び上がるように座席を立ち、回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを抜く。注視した先――入り口にはその一点だけ切り取られてしまったように、白い虚無が人のかたちをして立っていた。


「フェンディ・ステラビッチ!」


 誰かが吼える。フェンディ・ステラビッチは頬に小さな笑みを湛えてそれに応えた。


「せっかく、楽しいこと、しようと、してるのに、私、だけ、仲間外れ、なんて、ずるいわ」


 フェンディは言って手を掲げた。まるで指揮棒タクトに合わせるように壇上で唐木を跡形もなく潰していた槌が浮き上がる。次の瞬間、人一人分くらいの幅があった六角形の槌は爆ぜ、無数の矢へと転じる。そして息つく間もなく座席の公龍たちへと放たれた。

 爆発じみた破砕音が聴覚を蹂躙。それに混じって悲鳴が聞こえた。反応が遅れていた何人かの解薬士は既にやられたのだろう。公龍とアルビスは紙一重で飛び退き、机を盾にして掃射を凌ぐ。

 公龍は猛攻の間隙を縫って、串刺しになっている机の影から飛び出す。低い姿勢で駆けながら珊瑚色コーラルレッドのアンプルを注入。噛み切った親指から流れる血で一振りの刀を形づくる。


「あら……、赤色」

「探す手間が省けたぜ、クソ女ァッ!」


 公龍は破壊されて傾いた机を足場に跳躍し、フェンディに刃を振り下ろす。しかし刃が届くよりも先に、さっきまで放たれていた矢が一瞬にして元の六角柱へと収束。豪速で引き戻されて、公龍の無防備な右脇腹へと突き刺さった。


「――がはっ」


 公龍は吹き飛んで壁に激突。壁と槌に圧し潰されて吐血。手から刀がこぼれ落ち、硬さを失った血は床を濡らす。巻き起こる粉塵の切れ間から公龍を見て愉悦に嗤う魔女の表情が見えた。


「少し、は、楽しめ、そう、ね。ふふふ」


 フェンディは満足気に言って踵を返す。公龍は追い縋ろうとするも、圧し掛かる血の槌がそれを阻んだ。


「待ちやがれっ!」

「ふふふ。ここで皆殺し、でも、いいのだけど、少し楽しむことに、するわ。ここは、邪魔が多い、ものね。坊や……悔し、かったら、私を追いかけて、きなさい」


 フェンディは歪んだ微笑みを残し、扉を開けて会議室を出て行く。外から濃密な血の臭いと咽返るような死臭が入り込んでくる。去っていくフェンディと入れ違うように、ついさっき画像で見せられたばかりのゾンビたちが会議室へと雪崩れ込んできた。

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