02/Grope in the dark《1》

 話せば分かるはずだ。

 曲がりなりにも公龍は警視庁と契約を結び、コードαの対応にあたっていた解薬士だったのだ。事情を説明すれば濡れ衣は晴れる。

 公龍はそう思っていた数時間前の自分の甘さを早くも後悔する羽目になっていた。


「いい加減認めたらどうだ、九重公龍。黙っていたっていいことはないぞ?」


 安角あずみと名乗る中年の刑事が目の前で浅く腰かけ、溜息混じりに言い放つ。もう何度目のやり取りだろう。さすがに飽きてきた公龍は狭苦しい部屋を見回す。薄暗く、どこか埃っぽい所轄の聴取室。充満するのは汗の臭い。壁に向かってラップトップを開いている若い刑事はさっきから文字を打つ様子が一切ない。公龍を犯人と決めてかかっている安角は、相変わらず猛禽類のように鋭い目をこちらに向けている。

 もちろん濡れ衣だと主張はした。事情の説明も何度もした。しかし彼らは一切の聞く耳を持たない。それどころかまるで九重公龍が犯人であるという結果は既に決まっているかのように聴取を続けている。


「やってねえって何度言ったら分かるんだ?」

「証拠は挙がってるんだ。素直に認めたほうが身のためなんだよ。こっちの親切心を無碍にすんな」

「親切心? 笑わせんな。やってもいねえ罪を認めさせることがいつから親切になったんだ? もういっぺん小学校から道徳教育受け直してこい」

「ははっ」


 安角が声だけで笑い、ゆっくり立ち上がって公龍の脇へと回り込む。凝りをほぐすように首を鳴らしたかと思えば、次の瞬間には目の前の机が蹴り上げられている。

 引っくり返った机が大音声を立てる。しかしそれさえ可愛く思えるほどに暴力的な怒声がすぐ続けて聴取室に響き渡る。


「人一人殺しておいて何が道徳だ笑わせんじゃねえっ!」

「だから殺してねえって言ってんだろうが!」


 公龍も負けじと声を荒げる。

 しかしここは聴取室。被疑者と刑事のどちらに分があるかは考えるまでもない。

 机の次は椅子が蹴飛ばされ、座っていた公龍はろくに受け身も取れずに床に叩きつけられる。リノリウムの床は冷たいはずなのに、怒りに震える身体はひどく熱かった。今すぐにでも手錠を引き千切り、この安角とかいう野郎をぶん殴ってやろうかと思ったがもちろんそれは叶わない。公龍は身体を起こし、せめてもの抵抗にこちらを見下す安角を睨み返す。


「脅せば罪を認めるとでも思ってんのか? だいたいこんな取り調べ、時代錯誤すぎんだろ」

「人殺しが時代を語るんじゃねえよ」

「だから殺してねえっつてんだろ!」


 公龍は吼え、それから足元で倒れていた椅子を蹴飛ばした。いくら話そうとも埒が明かない。そもそもどんな証拠があって公龍は拘束されているというのだ。取り調べも「お前がやったんだろ」「大人しく吐け」の一点張りで、クレバーに口説き落とすような素振りすらない。もういい加減うんざりだ。

 溜息を吐き、視線を逸らすと、ちょうど扉がノックされた。ワイシャツ姿の刑事が中へと入って来て安角に耳打ちをする。安角があからさまに表情を顰めた。


「なんで本庁の刑事が?」

「さぁ、何でも旧知の仲だとかで。とにかく通しますね」


 ワイシャツの刑事が部屋から出ると、入れ違いに女刑事が入ってくる。

 前下がりのボブカットに切り揃えられた艶やかな黒髪に、整った美貌をさらに鋭く研ぎ澄ませる印象的な吊り目。左目尻の泣きぼくろがチャーミングなその人に、公龍は当然見覚えがある。


「澪ちゃん!」


 公龍は思わず声を上げると、女刑事――飛鳥澪あすかみおは公龍を一瞥。それから安角たちに向き直り、退室を促した。

 安角たちもこれには従う他にないらしい。というのも、まだ若いがキャリアである澪の階級は警部。安角の階級は知らないが現場指揮をしているあたりよくて警部補といったところなのだろう。おまけに澪が警視総監である屋船有胤やふねありたねから篤い信頼を得ているとなれば、長い物には巻かれる精神の染みついた公務員に抗う術はない。

 渋々と安角たちが退室し、扉が閉められる。澪は転がっている椅子と机を元の位置へと戻し、公龍に手を差し伸べて着席させる。


「随分と荒っぽい取り調べを受けたみたいですね。ひょっとして無暗に反抗的な態度でも取って、安角警部補に噛みつきました?」

「無暗にじゃねえよ。人聞き悪いな。あのクソ刑事、こっちの話なんかろくに聞いちゃいねえんだよ。でも助かった。澪ちゃんが来てくれたなら、これで俺の無実も証明されるってもんだ」

「そうならいいんですが、事態はもっと複雑です」

「どういう意味だよ? もしかして澪ちゃんまで俺を疑うってんじゃないだろうな」


 公龍が語気を強めると、澪は躊躇うことなく頷く。縋った蜘蛛の糸がいきなり千切れたような感覚に、公龍は二の句を継げずに眩暈を覚えた。


「九重公龍さん。現在、貴方にはマリク・キリノエ氏殺害の容疑が掛けられています」


 澪は冷酷ささえ感じる平坦な声音で事実確認をする。その一方で、最低限の動作で手首の腕時計型端末コミュレットを操作。投影されたホログラムの指向性画像を澪と公龍だけが見られる限定公開プライベイトにして表示した。


〈ここでの会話は部屋の横のマジックミラー越しに監視されていますので、自然な聴取をされているをしてください〉


 澪は視線だけで右手側を一瞥。公龍は彼女だけに分かるよう小さく頷く。


「さっきから言ってるけどな、俺はやってねえよ」

「既に聞かされているとは思いますが、昨日の朝、貴方とキリノエ氏が掴み合いの口論になっている様子が目撃されています」


 メッセージを表示していた画像がスクロールされる。どうやら事前に用意していたものらしい。


〈天常汐博士も既に捕まっています〉


 その件は既に予想がついていた。あの連絡は逮捕の寸前に、汐がくれた最後の警告だったのだ。


「たしかに口論はした。だがもし殺すならその場で殺すだろ。わざわざ日を跨いで、そいつの大学にまで押し掛けるほど俺は暇じゃねえ」

「ですが明央学院大敷地内のゴミ箱から、貴方の指紋が付着した拳銃が見つかっています」

〈容疑は〝赤帽子カーディナル〟や〝六華〟といった特殊改造人間の施術。既にコードαとして扱われ、《リンドウ・アークス》に身柄を拘束されています〉

「んな、馬鹿な話があるかよ!」


 公龍はメッセージの内容に思わず声を荒げる。しくじったかと思い口を噤むが、目の前の澪はいたって冷静に公龍を見据えている。


「……俺は拳銃なんて知らねえよ。だいたい、ンなもんどこで入手するってんだ」

「キリノエ氏殺害に使用された拳銃は、先日、ノアツリーを襲撃した賢政会の所有していたものと分かっています。現場にいた貴方なら一丁くすねることくらいできたはずです」

〈天常博士の件について、九重さんにも情報隠匿などの関与の疑いが掛けられています。既に九重さんの自宅アパートは警察、《リンドウ・アークス》によって取り押さえられ、クロエさんは《リンドウ・アークス》によって身柄をされました。近く九重さんも、《リンドウ・アークス》に身柄が移されることが先ほど決定しました〉


 公龍は眉を顰める。思考が焼き切れるような熱を帯びる。

 キリノエはウイルス陰謀論を裏付ける何らかの証拠を持っていた。俺を嵌めた連中はその証拠を隠滅するためにキリノエを殺した。そしてその罪をたまたま居合わせた俺に被せた。

 たまたま――?

 違う。偶然で片付けるには事態の進展があまりに性急だ。それに汐は既に何らかの罠に掛けられていることを想定していた。その汐もまたありもしない罪によって《リンドウ・アークス》に身柄を拘束され、公龍自身も《リンドウ・アークス》に身柄が移されることになる。

 つまり、敵は《リンドウ・アークス》――。


「警察は次の通り事件の内容を推測しています。貴方はキリノエ氏と口論になった。仕事の都合もありその場はなんとか収めるも、怒りや苛立ちは収まらず、翌日、盗んだ拳銃を持ち出し、わざわざ仕事を早退までしてキリノエ氏の大学に向かい殺害した」

「言いがかりもいい加減にしてくれ」

「ならどうしてあの時間にあの場所に? キリノエ氏に呼ばれたと言っていますが、どういった用件だったんですか?」

「知らねえよ。依頼したいって言ってきたんだ。俺はもう解薬士じゃねえって断ったけど聞かねえから、話だけ聞きに行ってやったらこのザマだ。最悪だよ」

「依頼の内容は?」

「研究室に来いとだけ。詳細はそこで聞く手筈だったんだ」

「ですが貴方はもう既に解薬士ではない。依頼を受けることは事実上不可能です」

「でも元解薬士だ。依頼の内容次第では、伝手でどっかの解薬士事務所を紹介することだってできるだろうが」

「口論をした相手にそんな厚意を?」

「こう見えて優しいのが俺の魅力なわけ。澪ちゃんだって知ってるでしょ」


 空疎な会話を続けながら、公龍は内心で頭を抱えた。

 普段から無茶苦茶な困難を強いられることは慣れている。そしてそのたびに紙一重で切り抜け、今日まで生き残ってきた。だが今回はあまりに分が悪すぎる。もし推測通りなら敵は《東都》そのもの、強いては国そのものだ。公龍は既に解薬士ではなく、後ろ盾であった警視庁も大手を振って動くことはできず澪や汐からの協力は得られない。何よりあの腹の立つ相棒はもういない。


〈この件は、九重さんたちが犯人であるという結論ありきで、かなり性急かつ強引に事態が進められています。もちろん警察の意志ではありません。おそらくもっと別の、より強力な力が働いていることが考えられます〉


 澪の推測が公龍の脳裏に浮かぶ最悪の想定を補強していく。

 どうすればいい。状況を打破するための光明は、完全に閉ざされている。


「なあ、クロエはどうなったんだ? 無事なのか?」

「その質問はお答えできません。ですが《リンドウ・アークス》の保護下にある以上、安全は保障されているかと」


 澪は言うが表情は言葉を否定する。

 正直なところ、公龍にとって自分が濡れ衣を着せられていることなど些事に過ぎない。だが自分がこうして拘束されていることによって、クロエの身に危険が及ぶとなれば話は別だ。もう誰にもクロエを傷つけさせるわけにはいかない。そう誓ったのだから。

 やがてスクロールされていた画像が最下部まで辿り着いてはたと止まる。


「あくまで容疑を否認するというわけですね」

〈このままではクロエさんや天常博士の身も危険です。しかし警察には圧力がかかっており、身動きが取れません。苦肉の策ですが《リンドウ・アークス》への身柄引き渡しのタイミングを狙って、わたしが九重さんを逃がします。協力していただけますか?〉

「当たり前だ」


 公龍は覚悟を決めて深く頷いた。

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