13/Breach of bonds《3》
公龍が立ち上がり、アルビスもまた立ち上がる。
お互いにもう残る力は多くはない。気力だけで肉体を支えていた。
「ふらふらじゃねえか、アルビス」
「貴様こそ今にも倒れそうな顔だぞ、公龍」
「倒れねえよ……てめえを止める」
「無駄だ。貴様の馴れ合いと私の宿願、重みが違う」
同時に
「アルビス!」
「公龍!」
二人は吸い寄せられるように歩み寄った。公龍は固く握りしめた拳を渾身の力で振り抜く。頬を打たれたアルビスがよろめく。しかし踏み止まり、体重を乗せて返ってくるアルビスの掌底が公龍の鼻梁を粉砕する。もちろん公龍も倒れずに堪え切り、再び拳を打ち返していく。
歯が砕け、血が飛び散る。腫れ上がった瞼は視界を制限し、ボロボロの全身は古びた機械のように悲鳴を鳴らす。だがそれでも、二人は決して倒れず、決して攻撃を止めはしない。
「公龍っ!」
雄叫びとともにアルビスの拳が公龍の腹を突き上げる。込み上げる大量の血が公龍の意識を赤く塗り潰す。公龍は錆びついた鉄の味を噛み締め、既に崩れかけている拳を握る。
「アルビスッ!」
返す拳がアルビスの腹へと減り込む。アルビスも口の端から血を溢す。解けた銀髪が乱雑に宙へと広がる。アルビスは後ろに数歩よろめくが倒れることはなく、公龍も追撃に踏み出すだけの力が残っていなかった。
「……戻ってこい、アルビス」
公龍は尚も呼びかける。しかしこちらを真っ直ぐと睨み据える薄青の瞳は、滾る憎悪を揺らがすことはない。アルビスはさらに言葉を重ねて公龍を拒絶する。
「しつこい奴だな。失せろ」
「失せねえ。俺はお前の相棒だからだ」
「今はただの敵だ」
アルビスが荒い息を整え腰を落とす。この満身創痍の身体であってもその構えに隙はない。日々肉体に刻み続けた鍛錬の賜なのだろう。公龍も拳を構えるが、上がり切らない左腕のせいでひどくアンバランスな格好になった。
泣いても笑っても、この一撃が最後になるだろう。もう互いに力は残されていない。
「はぁぁああああああああああっ!」
「ほぅぅううううらららあああっ!」
自らを鼓舞するように叫んだ。届かない想いを、それでも突きつけるように吼えた。
ほとんど同時に地面を蹴り、間合いを詰める。振り絞った拳が交錯し互いの頬を同時に穿つ。重なり合う打突音に弾かれて、仰け反った二人の身体は同時に地面へと沈む。仰いだ天井には、満天の星空のように無数の照明が散りばめられていた。
†
不恰好な殴り合いの果て、豪奢だが荒れ果てた
「……俺の、勝ちだな」
公龍は口角を吊り上げる。喋ったせいで込み上げた血が喉に詰まり、情けなく咽返る。
折れた肋骨が痛んだ。どうやら肺を傷つけているらしく、息を吸うたびに激痛が胸の内側を駆け巡る。当然それ以外の内臓も損傷しており、いくら吐き出しても喉を通って血が込み上げた。
もう起き上がれそうにはない。
「……寝ぼけたことを、言うな」
アルビスの掠れた声がした。続いて身体を起こす音。
驚愕だ。まだ身体を動かすだけの力が残っているらしい。公龍は悔しいと思う反面、嬉しくも感じた。それでこそ、自分の相棒だと。
アルビスは身体を起こしただけでソファに身体をもたれかけると、それ以上動こうとはしなかった。というよりも動けないのだろう。限界であることに変わりはないらしい。
「……ようやく、話せるな」
「お前と話すことなどない」
「まあ、そう言うなよ」
公龍はなるべく軽い調子でそう言ったものの、言葉は続かなかった。もちろん単に喋るのが苦しいというのもある。だがそれ以上に何を喋るべきなのか、どんな言葉を掛けるべきなのか、公龍には分からなかった。
しばらく考えて決めた。元々あれこれと深く考えて言葉を飾るのは性に合わないのだ。ならば思いの丈をぶつける以外に口にすべき言葉はないだろう。
「お前はさ、馬鹿だよな」
たぶんアルビスは心外だという表情で眉間に皺を寄せているのだろう。公龍の視界では天井の光が依然として降り注いでいる。
「何で一言も相談しねえんだよ。ムカつくぜ」
「話してどうにかなる問題ではない」
「てめえが話したら、どうにかしたんだよ。それが相棒ってもんだし、これまでだって色んなことどうにかしてやってきてんだろうが」
「お前にバディが何たるかを説教されるとはな」
「るっせえよ」
説教などではない。もはや公龍とアルビスを繋いでいた関係性は消失した。公龍は復讐へ堕ちていくアルビスを繋ぎ止めることができなかった。だから今口にしたのはただの後悔だ。
「お前は馬鹿だけどよ、俺は大馬鹿だ。お前はムカつくけど、それ以上にムカつくのは俺自身だ。ずっと近くで戦ってきたってのに、俺はお前が抱えてる苦しさに全然気づいちゃやれなかった」
「それは違うな、公龍。話さなかったのだから、気付けるはずもない」
「それでも、気付いてたら何かが変わってたかもしんねえ」
公龍の言葉に、アルビスからの返事はなかった。
束の間、重い沈黙が圧し掛かり、アルビスがそれを拒むように口を開く。声はいつになく硬質に響く。それはたぶん、震える胸のうちを意識的に押し殺している硬さだ。
「何も変わらない。復讐は、私が生きる意味で生きてきた証だ。私はお前とは違う。
「んなのは、誰だってそうだろ。意味とか証とか、そんな大層なもん背負って生きちゃいねえよ。そういうのは散々生きたあと、振り返った過去に勝手につけるもんだろ。てめえの
「そうかも、しれないな」
意味なんていらなかった。ただ過去へと走り出そうとするアルビスを、未来に繋がる
そう思うのは、傲慢なのだろうか。
アルビスが抱く憎悪も、背負ってきた哀しみも、きっと公龍は本質的に理解し切ってやることなどできはしない。どれほど近くに歩み寄ることができたとしても。その感情は結局のところアルビスのものであり、その絶望も痛切さも、公龍の手に届くところにはない。
だけどたとえ傲慢だとしても、アルビスは相棒だった。仲間だった。友人でありたかった。
かつて自分が救われたように、黒い感情の奔流のなかで立ち尽くすアルビスに手を差し伸べてやりたかった。
「何にせよ、私にはまだ力が足りなかった。にも関わらず目的達成を焦り、逸って道を間違えた。それだけのことだ」
「全くだ。クロエが目覚めたら、俺はどんな顔すりゃいいんだよ」
「何も変わることはない。お前たち二人なら、うまくやれるさ」
アルビスがゆっくりと立ち上がる。足音が無数に響き、あっという間に周囲を張り詰めた気配が取り囲んでいく。公龍が辛うじて見回せば、盾と拳銃で武装した黒装束の一団が目に入った。胸に煌めく桜の意匠が彼らの所属を示している。
「面倒をかけたな、公龍」
アルビスが掠れた声で言い、身体を引き摺って歩き出す。公龍は激痛の迸る全身を無理矢理に起こし、遠ざかっていく背中に声をかけた。
「アルビス! 俺は――――っ!」
公龍は続く言葉を呑み込む。歩き出したアルビスに武装した警官たちが殺到し、力なく差し出された両手首に錠を嵌めた。
乾いた音が微かに響く。アルビスの姿は黒い一団に瞬く間に呑みこまれ、間もなく見えなくなっていった。
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