13/Breach of bonds《2》

 弾かれるように駆け出した公龍が使用したアンプルは珊瑚色コーラルレッド。手の中に血の螺旋が迸り、一振りの刃の形を結ぶ。一瞬のうちに刃の間合いにアルビスを捉え、水平に振り抜く。

 引くことなく踏み込んだアルビスは回転式拳銃型注射器ピュリフィケイター銃把グリップで斬撃を受け流すと、公龍の顔面に鋭い縦拳を見舞う。

 逸らされた斬撃はアルビスの頬を浅く切り裂くに留まり、アルビスの縦拳も僅かに踏み込みが浅かったせいで公龍の鼻梁を軽く穿つに留まった。

 一度距離が開く。

 公龍は流れる鼻血を乱暴に拭う。アルビスもまた頬を伝った血を払う。

 反応速度から見てアルビスが使ったのは若竹色ペールグリーンのアンプルだろう。ここに辿り着くまでに使っているはずの山吹色ブラッドオレンジのアンプルの効果もまだ残っているだろうから不意打ちや死角からの攻撃は望めない。

 あるのは真っ向からの正攻法。加えて二人ともそれなりに消耗しての対峙。後は意地と意地のぶつかり合いだ。

 公龍が低く飛び出し斬りかかる。アルビスはバックステップで一戟目を躱し、返す刃の二戟目をまたも回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターの銃把でいなしてみせる。だが三戟目――空だった逆の手にもう一振りの刃が生成される。

 振り抜かれる刃はアルビスの右肩へと深く食い込む。鮮血が散るが同時にアルビスが繰り出す掌底も公龍の顎を打ち抜いている。

 肉の断たれる音と骨が軋む音が響き合う。しかしそれさえも置き去りにして、次の一手が交錯する。

 公龍は弾かれていた刃を引き戻し、無駄のない軌道でアルビスの脇腹目がけて斬撃を放つ。一方のアルビスもこれに素早く反応し、引き抜いたベルトで公龍の斬撃を巻きとっていく。

 腕を取られた公龍はバランスを崩しながらも刃から手を離して一回転。着地するやアルビスの顔面に捻転の勢いを乗せた裏拳を見舞う。衝撃に仰け反るアルビスに畳みかける。もう片方の刃を振るうが、アルビスは体勢を崩しながらもこれを防御。そのまま宙返りの要領で脚を跳ね上げ、踏み込んできている公龍の顎に蹴りを叩き込む。

 公龍の身体が宙を舞ってテーブルの上に落下。天板が砕け、身体は床に叩きつけられる。すぐに身体を起こすも、二度も顎に食らった打撃による脳震盪に見舞われる。ほんの一瞬ぐらついた隙を的確に突き、アルビスの掌底が公龍の鳩尾を痛打した。

 胸から骨を断ち、背中へと抜けていく衝撃に吐血。飛びかけた意識は舌を噛んで強引に引き戻す。

 公龍は臓腑から喉に迸る血を呑み下し、アルビスに向けて頭突き。アルビスの鼻梁が折れ曲がり、衝撃に数歩たたらを踏む。


「やるじゃねえか……」

「この程度、小手調べだ」


 二人は揃って血を吐き捨て、再び回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを握る。今度は互いに連射――公龍は檸檬色ビビッドイエロー鈍色ガンメタル、アルビスは深緑色エバーグリーン茉莉色ジャスミンイエロー

 ステロイド系特殊調合薬カクテルにより公龍の筋肉が増強。さらに痛覚の遮断により肉体の至る所を苛んでいた痛みが遠退いていく。

 一方のアルビスもアドレナリンの過剰分泌と運動神経の鋭敏化によって自らの肉体に凄まじい強化バフをかけていく。

 両者弾かれるように踏み込み、組み合う。二回り肥大している公龍の馬鹿力がアルビスを押し込む。アルビスの足元の床は罅割れ、リノリウムに踵が沈む。

 このまま力押しで叩き伏せられるかと思いきや、アルビスが素早い踏み込みで公龍の懐へと背面から潜り込む。掴み合っていた腕を僅かに引かれて重心の位置がずれた公龍はまんまと身体を背負われ、そのまま一回転。回る世界を認識した次の瞬間には背中から壮絶な衝撃が全身を貫いている。

 公龍は背筋力で起き上がり、回転蹴りでアルビスを牽制。距離を取り、投げられた衝撃で抜けた肩関節を強引に嵌め直す。

 無論、その隙を見逃すアルビスではない。

 紛れもない殺意を滾らせて踏み込んでくるアルビスに、カウンターの拳を見舞う。しかし公龍の打撃は空振り。代わりに円を描くような歩法で側面へと回り込んだアルビスから肋骨を砕く掌底が放たれる。公龍が意地で踏み止まれば、今度はあっという間に腕を取られ嵌めたばかりの関節を引き抜かれる。

 しかし今の公龍は檸檬色ビビッドイエローのアンプルの効果で痛みを認識すれど感じることはない。

 腕が捥げるのも厭わず強引に踏み込み、痛烈な中段蹴りミドルキックを放つ。アルビスは折りたたんだ腕でボディへの直撃を防ぐも衝撃は殺しきれずに吹き飛び、植木に激突する。

 公龍はすかさず追撃。大きく跳び上がり、アルビス目がけて拳を叩きつける。紙一重で反応したアルビスも回避は間に合わず、交差した両腕でこれを防御。強化した肉体に加え重力さえ味方につけた一撃はアルビスの全身を軋ませ、なお余りある衝撃がアルビスの身体を貫き床を粉砕する。


「まだだっ」


 アルビスが食いしばった歯の奥で鋭く唸り、振り上げた脚で公龍の腕を取る。振り解こうとした公龍が腕を引く反動で身体を仰け反らせ、回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを公龍の脇腹へと無造作に突きつける。

 公龍に打たれたのは対象の意識を鎮静化させる群青色コバルトブルーのアンプル。

 急速に靄がかかったように鈍る思考に、公龍は力なくたたらを踏む。

 青色系統の特殊調合薬カクテルを打ち込まれたときの対処は一つ――あらゆる特殊調合薬カクテルの効果を打ち消す無色のノンカラードアンプルを打つことだけ。

 しかしそうすればこれまで打った特殊調合薬カクテルの効果も同時に消える。それはコンマ数秒を争って戦う今、致命的な隙以外の何ものでもない。

 回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを収め、体勢を整えたアルビスが満身創痍の肉体を押して迫ってくる。公龍に十分な思考に使える余裕はない。

 判断は一瞬。

 公龍は生成した血の刃を逆手に握り、群青色コバルトブルーのアンプルを打ち込まれた自らの脇腹を裂く。駆け巡る痛みが眠りかけた神経を揺さぶる。噴き出した血は特殊調合薬カクテルごと体外へと流れ出て、その効果の強度を軽減。さらに煙幕となって迫るアルビスを牽制した。

 アルビスは広がる返り血を潜り込むようにして回避。地を這うような低い姿勢から繰り出される鋭い掌底を、公龍はあえて躱さずに腹で受け止める。

 衝撃が内臓を掻き回し、食いしばった歯の間から血が溢れる。倒れそうになる自分を、奥歯が砕けるほどの力を込めて奮い立たせる。次撃を畳みかけようとするアルビスの胸に、痛烈な膝蹴りを放つ。くぐもった呻き声を漏らし、アルビスの動きが一瞬停止。公龍はアルビスの肩を破壊するように血の刃を突き立てる。

 そしてほぼ同時――アルビスの突き上げた拳と公龍の振り下ろした拳が交錯。重なり合う鈍い音に気圧されるように二人はよろめいて膝をつく。

 アルビスの肩を貫いていた血の刃は崩壊。あれがもう最後の一本だった。溶岩でも流し込まれたように激痛を訴える血管が公龍に限界を突きつけている。

 だが負けるわけにはいかない。ここで倒れることは、公龍が《東都》で培ってきた時間の全てを、積み上げた想いの全てを失うことに等しい。だから負けるわけにはいかないのだ。


「――――アルビスッ!」


 公龍は叫ぶ。生涯唯一無二の相棒の名を、喉を裂いて呼ぶ。


   †


 改めて認めざるを得ないだろう。公龍は強い。

 既に過剰摂取者アディクトとの戦いで消耗しているはずだ。だがそれでも、まだ神経ガスの影響が抜け切っていないとは言え、ここまでなるべく戦闘を避けてきたアルビスと互角に渡り合っている。

 もちろん公龍が強力な解薬士であることなど分かっている。一番近くでずっと見てきたのだ。公龍だから、背中合わせに戦う公龍がいたから、アルビスは度重なる死地であっても躊躇なく進むことができたのだ。

 公龍は強い。それでも、負けるわけにはいかない。

 アルビスは一二歳のとき、母とともに《東都》――当時はまだ東京都だった――を追放された。理由は分からなかった。母は青く腫れあがった顔で、まだ幼いアルビスに謝罪の言葉を繰り返していた。

 父親はいなかったが、それなりに裕福な暮らしだった。

《リンドウ・アークス》の医療スタッフであった母と、兄弟のように仲のいい友人。勉強やスポーツともに非の打ち所がなかったアルビスに、九つも年の離れていた友人である竜藤静火は「将来は俺の右腕だ」と笑ってくれた。

 だが順調だったはずのアルビスの人生は、いつしか歪み、解れ、そして崩れ去っていく。

 綺麗だった母は瞬く間にやつれていった。身体には殴られたような痣が目立つようになり、酒に溺れてはアルビスを口汚く詰った。

 時を同じくしてアルビスも学校でいじめを受けるようになった。生徒からだけではない。教師からもだ。何か異変が起きていた。でもなぜそんな事態が招かれているのか、アルビスには分からなかった。

 豊かな日々の終わりを決定づけたのは、酔った母が無造作に放った言葉だ。


「お前なんて産まなければよかった」


 ありきたりかもしれないが、人並みに思春期の不安定な心を宿したアルビスの心を深く傷つけるには十分すぎた。

 家でも学校でも居場所のなかったアルビスはとうとう追い詰められて自殺を図った。自宅の浴室で腕を切ったのだ。だが死ななかった。失血死する寸前、輸血によってアルビスの命はこの世界に繋ぎ止められた。

 目を覚ましたアルビスは周囲の視線から、これまで自分と母に起きていたことの大枠を悟ることになる。

 アルビスはRh null型――医学分野では黄金の血と称される希少な血液型の持ち主だった。現在のように自分の細胞から血液を即時複製する技術がない当時、腕を切ったアルビスの失血は致命的だったのだ。

 そんなアルビスの一命を取り留めたのは奇跡的に同じRh null型を持つの血。

 アルビスが目を覚ましたとき、隣りのベッドには自分と管で繋がれた竜藤統郎の姿があった。


 アルビス・ヴァルムシュテルン・リンドウ。――それが本当の名前だった。


 つまるところ、自分は竜藤の家系に生まれた愛人の子供。兄や姉のように慕い、無二の友人だと思っていた静火や神楽は腹違いの兄姉であり、優秀な才覚から自分がずっと牽制され、疎まれていたのだと理解した。

 だがそれから間もなく、母が竜藤統郎の正妻やその周囲からの苛烈ないじめに耐えかねて精神を壊す。今度はその母が自殺未遂を図り、怒りに支配されたアルビスは単身で竜藤の本邸へと乗り込み、母を虐めていた者たちに制裁を食らわせようとした。もちろん非力だったアルビスは手荒く取り押さえられた。

 そしてこの出来事をきっかけとして、アルビスとその母の国外追放が決まる。

 戸籍から何から、ありとあらゆる存在していた痕跡の全てを抹消され、アルビスたちは南アジアのスラムへと捨てられた。

 そんなところでまともな生活ができるわけもなく、母は感染症を患って程なくして死んだ。アルビスは言葉も通じない土地で天涯孤独になったのだ。

 アルビス・アーベントと名前を変えた。そして何としても生き延びること、そして竜藤の一族に復讐することを誓った。

 本名を残したのは、母・レシアの生きた証を残すためだ。奴らの死に際に、自らを殺した者の名を、母が与えてくれた名を刻み付けるため。

 まだ復讐は終わっていない。母の無念は晴らせていない。

 だからこんなところで膝をついているわけにはいかないのだ。


「――――公龍っ!」


 アルビスは吼える。この世界でただ一人だけ友と呼べるだろう男の名を、今なんとしても倒さなければならない敵の名を、腹の底から呼ぶ。

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