11/Dancing with fidelity, Barking for faith《1》

 銃火が瞬き、怒号が飛び交う。悲鳴が聞こえ、血塗れになった人の死体が転がる。放たれる炎によってホログラムが歪み、引き裂かれていった。

 瞬く間に火の海へと変えられた《リンドウ》の庭を、白雪とターンが悠然と歩いていく。アルビスはその後ろで無警戒な背中に言葉を投げかける。


「いいのか? そんな不用心に背中を晒して。私がいつ裏切るかも分からないぞ」


 白雪はまるで舞踏会でステップを踏むように優雅に振り返り、気心の知れた級友と話すような気安い笑みをアルビスへと向ける。


「問題ありません。ターンがいる限り、貴方が何をしようとも私に届くことはありませんもの。それに、貴方は裏切らない。少なくとも今は。そうでしょう?」


 見透かすような笑みだった。アルビスは睨み返すだけで何も言わず、黙って二人の後を歩く。

 やがてホログラムと炎を引き裂いて全身針だらけの男――スラスト=トラストが現れる。アルビスを見止めた瞬間、スラストは文字通り全身の毛穴から戦意を滲ませたがすぐにターンに制される。


「彼はもう敵ではない」


 スラストは「ガチガチ」と顎を打ち鳴らしていたが、どうやら〝六華〟におけるターンの言葉は絶対的らしく、大人しく歩く列に加わった。

 ターンたちは急ぐことも、立ち止まることもしない。ただ淡々と、視線の先にあるノアツリーへ向けて歩き続ける。その後ろ姿はまるで破壊と殺戮が繰り広げられている周囲とは隔絶された世界を生きているかのようだった。

 政岡白雪が計画した〝祝祭〟は順調に進んでいる。

 まず大量の過剰摂取者アディクトを街に放つことで、普段ならば警備の厚さから絶対に立ち入ることの叶わない《リンドウ・アークス》本社に常駐する第四部門フォースパワーの戦力を削ぐ。頃合いを見計らって総力を上げて本社へと押し入り、白雪を中心とする本体はノアツリーへと向かう。

 そこでの目的は《リンドウ・アークス》総裁である竜藤統郎の身柄。

 奴を捕らえ、《リンドウ》側の身動きを取れなくした上でターンが竜藤統郎へと成り代わり、世界へ向けて宅間ファイルの存在を公にする。併せて今回の騒動の件についても罪を着せれば、《リンドウ・アークス》が築いてきた信頼は地に堕ち、その企業城下町として栄えた《東都》は崩壊する。

 一〇年の繁栄は泡沫の夢と化し、混沌の時代が再来する。

 やがて一行はノアツリーのふもとに辿り着く。ターンの右腕が巨大な砲へと変化。放たれた一撃は堅固なセキュリティもろともシャッターの下ろされた入り口を粉砕。瓦礫を踏み越えて中へと侵入する。


「止まれ!」


 声が響き、無数の銃口が一行を捉える。

 本社に残されていた第四部門フォースパワーの部隊だ。だが超常的な改造を施された〝六華〟のバケモノたちに、鉛玉など玩具以上の意味を持たない。

 向けられる銃口を歯牙にもかけず進む一行に、一斉に銃弾が見舞われる。一瞬にしてターンの両腕が盾状に広がり、全身はタングステンカーバイドへと変化。一行を覆い隠した銀の膜は銃弾を弾き火花を散らす。全弾撃ち尽くされて尚、ターンには傷一つつくことはない。

 一斉掃射の間隙。ターンの前にスラストが進み出る。顎を打ち鳴らしながら全身の針を放出。亜音速で撃ち出された針は第四部門フォースパワーが誇る最新鋭の装備をことごとく粉砕。悲鳴が聞こえなくなるころには、包囲網のなかで動くものは何一つとしてなくなっている。

 圧倒的だった。矛を交えたアルビスには分かっていたことではあるが、その凄まじさを改めて突きつけられた気分だ。


「目標は七五階だ。先を急ごうか」


   †


 アルビスたちは堂々とエレベーターへと乗り込み、何本かを乗り継いで上層を目指す。七五階にある竜藤統郎専用の居住エリアには直通のエレベーターを使う必要があった。

 まだビル内のセキュリティは生きているはずだが、エレベーターが停止することはなく、また第四部門フォースパワーの増援が立ちはだかることもなかった。まるで《リンドウ》側が既に諦めているようにも思えたし、何かの罠であるかのようにも感じられた。しかしアルビスが白雪一行の進行に口を挟むことはなく、沈黙を守ったまま最後尾に従い続ける。

 七五階へと辿り着く。広い空間のなか正面に聳える豪奢な扉の前には、真っ白な燕尾服を着込んだ執事然とした男が立っていた。

 ウォン・ファーガソン。他でもない竜藤統郎の付き人である。

 竜藤統郎には数多くの逸話が存在している。そのなかでも特によく知られるのは、《東都》最大の要人であるにも関わらず、一度として自らの周囲に護衛やSPを配置したことがないという話だ。理由は単純明快。竜藤統郎は唯一の付き人であるウォン・ファーガソンの強さに絶対的な信頼を置いていたためだ。事実、一〇年弱の間でこれまでに竜藤統郎に対し実行された暗殺一三件は全て、ウォンの手によって封殺されている。

 竜藤統郎は第四部門フォースパワーの部隊を向かわせて敵の僅かな消耗と引き換えにいたずらな犠牲を増やすよりも、絶大な信頼を置く付き人一人に全てを託したのだろう。

 緊迫感がひしひしと増していくなか、ウォンが恭しく頭を下げた。


「遥々、ご足労痛み入ります。――が、僭越ながらこれより先は我が主のプライベートルーム故、いかなる客人もお通しはできませぬ。お引き取りを」

「あら、冗談がお下手なのね。つまらないわ」


 白雪が微笑みを湛えながら、温度のない言葉を吐く。

 一触即発の空気のなか、またもスラストが前へと進み出る。立ちはだかる強敵を前に、興奮気味に顎を激しく打ち鳴らす。


「そうですね。ここはトラストに任せましょう」

「老体への気遣い痛み入りますが、全員でかからずともよろしいのでしょうか?」

「気遣いではないわ。貴方程度、彼一人で十分というだけですの」


 白雪の言葉が合図だった。

 スラストが顎を打ち鳴らし、右腕から針を射出。ウォンは機敏な動きで難なくこれを回避。腰後ろから引き抜いた手に回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを握る。


「左様でございますか。まとめてかかってきて頂ければ手間が省けたのですが、仕方ありません。少々作業的ではありますが、順繰りにお引き取り頂くこととします」


 左手首の医薬機孔メディホールに切っ先を差し込むや素早い連射で特殊調合薬カクテルを打ち込んでいく。一発目は神経伝達の速度を速める若竹色ペールグリーンのアンプル。そして二発目は――。


「赤系統を使えるのですね」


 白雪が感心したように息を吐く。

 ウォンの掌から血の螺旋が迸る。形を結び現れたのは、長大な柄の先に稲妻じみた刃を冠する斬馬刀。赤黒い刀身が鋭くも怪しい光を放った。


「ガチガチッ!」


 スラストが左腕から針を放つ。ウォンは斬馬刀を薙ぎ払い、剣圧だけで針を払いのけてみせる。スラストとの間合いが詰まり逆袈裟の一閃。盾のように折り重なった針を砕き、赤い剣閃がスラストを切り裂く。斬馬刀が巻き起こす凄まじい烈風にスラストは吹き飛び、精緻な彫刻が施された柱に激突する。

 力強さパワー瞬発力スピード敏捷性アジリティ。そして状況判断ジャッジメント。どれをとっても圧倒的だった。

 しかしスラストもすぐに立ち上がる。下顎の医薬機孔メディホールから鉄灰色アイアングレーのアンプルを投与し、深く裂かれた腹の傷を再生していく。


「少し浅かったようですね」

「ガチガチガチッ!」


 斬馬刀を構えるウォンに向けてスラストが針を放つ。もちろんスラストも一薙ぎで払われることは想定済み。一瞬の間隙を縫って側面へと回り込み、針を掃射。ウォンは斬馬刀を回転させて針を弾く。スラストはスパイクと化した足で天井を駆け、ウォンの頭上を取る。

 天井を蹴ったスラストが自らを巨大な針玉と化して落下。ウォンも斬馬刀で応戦するが全体重と膂力を乗せた一撃に、今度はウォンのほうが吹き飛ばされる。

 ウォンは空中で体勢を整え、斬馬刀を床に突き立てて停止。しかし既に次の針がスラストによって放たれている。ウォンは斬馬刀を振るうが殺到する全てを防ぐことはできず、何本かの針はウォンの体躯を切り裂き、白い燕尾服を血の赤で染める。

 だがダメージは軽微。ウォンは亜音速で迫る針の軌道を瞬時に見極め、致命傷となる針だけを選別して弾いていた。


「ガチガチガチッ!」


 スラストが針を放ちながらウォンに詰め寄る。ウォンは飛来する針を的確に捌きながら前進。針で覆われたスラストの腕とウォンの禍々しい斬馬刀が打ち結ぶ。凄絶な火花が散り、両者の攻撃の応酬が始まる。

 ウォンが斬撃を見舞えば、スラストは射出した針で軌道を逸らしながら回避し、針に覆われた四肢で打撃を繰り出す。スラストが至近距離で針を射出すれば、ウォンは斬馬刀の柄でそれらを弾き、返す刃でスラストの急所を的確に狙う。

 息つく間のない攻撃の応酬。ウォンの斬撃がスラストの針を圧し折り、スラストの刺撃がウォンの肉体を削っていく。

 そして、均衡は唐突に破れた。

 スラストの振り下ろした腕とウォンの斬馬刀が再び真正面から打ち結ぶ。迸る衝撃に両者の体勢が僅かに傾ぐ。

 上手だったのはウォン・ファーガソン。

 後ろに傾ぎながらもバックステップで距離を取り、身体の捻転から斬馬刀をスラストへ見舞う。閃いた赤い稲妻は針を放とうと構えられたスラストの右腕の肘から先を斬り飛ばす。

 スラストは潰れた喉から苦鳴が漏らし、だが踏み止まって全身の針を無作為に放つ。後退しながら既に体勢を持ち直していたウォンは即座に退避。柱の影に逃げ込むが左足首を針に貫かれる。

 戦況は五分。

 だが片腕を失ったスラストが、足を負傷して機動力を削がれたウォンに半歩リードするかたちだろうか。


「いいのか? 傍観していて」


 アルビスは動く気配のないターンに問う。ターンは終始、流れ弾に注意を払っているだけでスラストを救援する素振りを見せていない。腕を失った今もその姿勢は全く変わっていない。


「彼は誰より信頼トラストを重んじる。ここで黙って見守ることが彼の誇りを守ることになり、そして最大の救援となるんだ」


 アルビスがターンの言葉の意味を測りかねていると、スラストの力強いが耳を劈いた。

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