04/Sparkle breaking the dark《1》

 薄い暗闇のなかに裸電球や切れかけの蛍光灯が明滅している。天井からは潮気のある水滴が滴り、瓦礫の目立つ地面を絶えず穿っている。ぼうぼうと風の通る音が響くトンネルの両脇では、アルコールかドラッグに溺れた廃人が豚のような鼾をかいて眠っている。


「花ちゃんまで来る必要はなかったんだぜ?」

「……兄ぃ、過保護、キモい、ウザい」


 すぐ前では鼻の下を伸ばした銀が、気怠そうな花に話しかけてはあしらわれている。公龍はそんな二人の後を歩きながら、充満している饐えた臭いに鼻をつまむ。

 公龍たちは地下迷路街へと赴いていた。《東都》の追跡可能性トレーサビリティを掻い潜って身を潜めることができるとれば、それはこの地下迷路街を経由してでしかあり得ない。震災とともに放棄され、全くの管理が為されないまま不法住民によって野放図に増改築された迷路街はその名のごとく、《東都》の闇を呑んだ迷宮として繁栄のホログラムの下に広がっているのだ。

 トンネルを抜ければ広大な地下空間が開ける。元は貯水槽か核シェルターとして作られていたのだろう。

 あちこちに薄汚れたテントが張られ、薄汚れた風貌の人々が集まっては取引が行われている。扱われているのは非認可薬物デザイナーズドラッグや乾燥大麻、合成麻薬など、迷路街らしい品がほとんどだが、ちらほらと肉や果物など腐りかけの食品が並んでいるテントもあった。


「ぶっ殺すぞコラァッ!」

「誰に向かって口利いてんだてめぇっ!」


 どこからともなく怒号が聞こえてくる。迷路街に住む人間というのは、地上では暮らすことのできない何らかの事情を抱えた人々であり、些細な殺し合いこぜりあいは日常茶飯事だ。

 公龍たちは巻き込まれる前に市場を抜けようと歩調を速める。市場の奥には壁面に穴を空けてござを敷いただけの粗末な居住スペースがあった。背後で折り重なる怒号を振り返れば、それらはやがて暴力という巨大な生き物へと変貌し、市場を呑み込んでいった。


「な? 花ちゃんみてえな可憐な女の子が来るような場所じゃねえんだよ」

「……兄ぃ、過保護、ウザい、キモい。……弱いくせに生意気」


 花がトドメのように付け足した辛辣な言葉に銀が肩を落とす。花はぷいとそっぽを向き、マフラーに顔を埋めた。


「なあ、お前ら夫婦漫才はいい加減にしとけよ。説明したよな? 〝六華〟のお仲間が出張ってきてんだ。気ぃ引き締めとかねえと……」

「夫婦漫才? そうかそうか、俺たち夫婦に見えるか」

「……兄ぃ死んで。九重、お前は大っ嫌い」

「まあいいや。早く情報集めすんぞ」


 公龍は緊張感のない二人に向けて溜息を吐く。銀は飴色のサングラスの向こう側で得意気な様子で目を細める。


「そう焦るなって。まあ見てろ」


 銀は言って周囲を見回し、穴ぐらの壁を叩く。奥で何かが身じろぎするように動き、ぼんやりと明かりが灯る。寝ていたらしいホームレスが目を擦りながら銀に近づき、何か密やかに言葉を交わしている。

 やり取りまでは聞こえないが、聞き込みをしているのだろう。銀は廃区や迷路街に住むホームレスを情報源として使うとアルビスが言っていたのを思い出す。

 やがて銀は鞄から取り出した小包をホームレスへと渡して戻ってくる。小包の中身はコードαで押収した薬品の類だろう。立派な横流しだが見なかったことにする。

 その後も銀はホームレスへの聞き込みを続けていく。場所を変えながら、穴ぐらの続くトンネルからあばら家の並ぶ居住区へ。そして路傍で酒瓶を抱えていた五人目のホームレスと話し終えた銀は、公龍たちの元へ戻ってくるや親指を突き立てた。


「もう手応えか、早いな」

「俺が本気になりゃぁこんなもんよ」

「アル中ヤク中のホームレスの目なんか、誰も気にしない。だからこそ警戒が緩む。そんだけだろ」


 不愉快なほどに得意気な銀に、公龍は花と並んで白い目を向ける。だがやり方こそ極めてゲスなものの、銀が持っている情報収集能力は決して侮れるものではないのも確かだった。


「……それで、手掛かりは掴めたのかよ」

「ああ。〝六華〟に関しちゃさっぱりだが、政岡白雪っぽい奴はこの先にある別の闇市場で金髪の男と歩いているのを見たことがあるらしい。迷路街の場末らしくねえ別嬪だから間違いねえって松さんが言ってた」


 銀は得意気だが、酒浸りで薬漬けになった脳から正確な記憶が引き出されているのかについては一考の余地はあるだろう。とは言え他に手掛かりがあるわけでもない。

 そんな公龍の懸念を察してか、花が決して銀には聞こえない声でぼそぼそと呟く。


「……だいじょぶ。兄ぃ、雑魚だけど、情報の精査だけは一流。間違えない」

「とりあえず向かうか。その闇市場ってのに」


   †


 三人は迷路街の奥深くへと踏み入り、松さんというホームレスが白雪を見かけたという闇市場へと辿り着く。元は地下鉄メトロの駅に直結した商業施設だったのだろう。海水によって腐食した上に埃を被った棚や朽ちかけの壁には、まだその面影が残っている。

 露店に並んでいるのはさっきの市場同様、ドラッグの類がほとんどを占めている。違うのは大量の粉や薬液に混ざり、立体印刷機3Dプリンターで出力と思われる強化プラスチック製の粗悪な銃火器が並んでいる点だ。


「銃が目立つな。ヤクザのボスが出入りしてると言われりゃ、そんな気がしてくる」

「そうだな」


 公龍は銀に生返事をして、足元に広げられている小銃を手に取る。精巧に作られた模造品を眺めていると、店主らしき前歯のない老人が声を掛けてくる。


「お目が高いね、お兄さん。そいつはスミス&ウェッソン社の最新モデルだ。特徴は何と言ってもスプリングの柔軟性。反動を最小限に抑えることで命中精度を高めている優れもんよ」


 公龍は手に持った小銃に視線を落とす。強化プラスチック製なので非常に軽い。これで反動が最小限だというのなら、大して狙撃経験がない人間でも容易に使いこなせるだろう。こんなものが格安で出回るなんて世も末だと、内心で溜息を吐いた。


「最新モデルと言ったな? どうしてそんなもんの模造品コピーが出回ってる?」

「おいおい、変な疑いをかけるなよ。正規品オリジナルを渡されて大量の模造品コピーを作ってくれと頼まれたんだ。こいつはその余り。大口のいい取引だった。金は糸目をつけねえし、おまけに最新モデルのデータまで手に入ったんだからな。なあ、お兄さん。一丁どうだい? 今なら弾倉マガジンも一つサービスしてやるよ?」


 最新モデルをいち早く入手し、足がつきにくい迷路街の違法武器屋を利用して大量の模造品を作らせる。それ自体が反社会的勢力ハンシャによくある武器の量産ルートだ。金に糸目をつけなかったのも、金などの対価を支払うことで信用そのものを買うという迷路街の流儀に則った方法だと言える。


「おい、オヤジ。その正規品オリジナルを持ち込んだ奴ってのは、女か? 長い黒髪で、年はそうだな、二〇歳前後に見える」

「いやいや、違えよ。頼みに来たのは金髪の男だ。外套を着こんだ気味の悪い大男を連れてな。納品に来たのはもっと下っ端のチンピラどもだったけどよ。ありゃ相当にやべえな。商売柄、色んな顔なじみがいるが、ありゃ頭のネジが吹っ飛んでるよ」


 胸のうちで抱いていた嫌な予感が急に手触りを帯び、腹のなかを撫でるような悪寒へと変わっていく。


〝言ったでしょう? 最近えらいでけえ取引が入ったって。まるで戦争でも起こすんじゃねえかって量でしたがね〟


 不意に脳裏を過ぎるのは、公龍たちの上の階に事務所を構える牙央きばおう興業、木岡の言葉。


「……か」

「で、どうすんだい? 在庫はもうこれ一丁かぎりだぜ?」


 いやらしい商人の笑みを浮かべる老人をよそに、公龍は持っていた小銃を元に戻す。「なんだ買わねえのか」と嗄れ声で言って舌打つ老人の肩を叩き、突っ込んだポケットから出てきた紙幣をてきとうに握らせる。


「恩に着るよ。あんたのおかげでこの街は救われるかもしれねえぜ」

「あ? そうかぁ? って、こんなクソみてえな街がどうなろうが知ったこっちゃねえけどな!」


 話しただけで手に入った金に気をよくした老人が咽るような笑い声をあげる。公龍は遠目に様子を見ていた銀と花のところへ戻ろうと立ち上がる。

 その刹那、空気が急激に張り詰め、引き裂くような鋭い音が耳を劈いた。


「あ、あへ、……あふぇへ、が……」


 振り返れば寸前まで下卑た笑い声をあげて上機嫌だった老人が倒れる。見開かれたままの両目は真っ白に濁り、前歯のない口からは煙が立ち上る。

 公龍は電撃的な反応で距離を取り、回転式拳銃型注射器ピュリフィケイター銃把グリップに手を掛ける。

 騒然とする闇市場の人垣の奥から舌っ足らずな少女の声が響く。


「にはははははっ! やっぱり脳ミソ蕩けてるじじいは駄目ねえ。すぅぐ余計なことをおべりしちゃうんもんねえ」


 危険を察知した市場の人々が道を開け、あるいは広げていた商品を電光石火で片付けていく。左右に割れた人垣の真ん中には長外套で全身をすっぽりと覆った巨躯が佇んでいた。


「てめえ、〝六華〟か」


 唸るように凄む公龍。対する巨躯は侮るように肩を震わせて笑い声をあげる。


「にははははっ。ボクたちってそう呼ばれてるんよねえ。オマエの言う通り。おいらの名前はスパーク=ピーク。お邪魔虫を駆除しに来たんよおっ! にははははっ!」


 夜の静寂に突如として稲妻が走るように、戦端の幕が切って落とされた。

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