03/Interplaying《2》
「僕から話せるのはこんなところかな。俄然やる気出てきたでしょ」
泉水は食事を再開しながらアルビスに言う。大皿に盛られた酢豚があっという間に泉水の胃のなかへと収められていく様を眺めながら、アルビスは目の前の男の真意を見定めようと薄青の眼差しを向けていた。そして当然、そんな不躾な視線の意味を察することすらできない泉水ではない。
「まだ納得いかないみたいだね。まあそれも当然か」
「貴方の目的は何だ? どうして私に協力する?」
「前にも言ったはずだよ。贖罪だとね。気に入らないかい?」
「貴方がそんな動機で動く人間でないことくらい、分かっている」
アルビスが僅かに語調を強めると、泉水は楽しそうに口元の笑みを深くする。その微笑みの意味をアルビスは測りかねていた。
泉水は
もちろん贖罪などというのは方便だろう。アルビスが知る限り、泉水は合理的で鋭い思考の持ち主だ。何も考えていないように見えるのも彼にとっては計算のうちであり、そこには明確な意図と目的が存在しているに違いない。
だが泉水は誤魔化すように笑うだけ。
「やだな。深読みしすぎだよ。昔はもっと素直でかわいかったのに」
「変えたのは貴方たち一族だろう」
話すつもりはないということだろう。アルビスは硬質な態度を崩さぬまま、小さく息を吐く。
泉水はアルビスが自分を信用しないところまで織り込み済みで情報を渡してきている。さらにはこちらの利益とリスクを完璧に考慮した上で、アルビスの利益が最小のリスクで最大化されるよう計算されている。
つまり、仮にアルビスが泉水の話を真に受けたとして、アルビスが抱え込むリスクはほぼないと言えた。
「まあいい。言っておくが、貴方の掌で躍らされるつもりはない」
「もちろん。僕らの間にあるのは対等な関係性だ」
アルビスは席を立つ。まるでタイミングを見計らったように給仕が個室へと入ってくる。抱えられた
「ところで、本当に食べないのかい? ここの料理、特に麻婆豆腐は絶品なのに」
「生憎、ひどく忙しい身でな。貴方の放蕩に付き合ってやるだけの暇がない」
交錯する視線に割って入るように給仕が料理を並べる。
アルビスは電撃的に反応。円卓を蹴り上げて引っくり返し、泉水を押し倒すようにして床に伏せる。
ほぼ同時に爆発。煙と熱風が個室を満たしていく。
アルビスは泉水を引き起こしながら崩れた壁から隣室へと退避。粉塵のなかで佇む
「よく反応したね」
アルビスに引きずられたまま、泉水が微笑みを向ける。掴みどころのないこの男も突然の爆破にはさすがに驚いたらしく、表情の端々は引き攣っている。
「中華で
「さすがの観察眼だ。潜った修羅場の数がものを言うね」
泉水は多少の火傷などを負っているものの無事。身を挺して泉水を庇ったアルビスも、直前に蹴り上げた円卓が盾代わりになったらしく大きなダメージは回避していた。
派手な爆発にも関わらず、悲鳴を含む他の物音が聞こえないあたり、既に店内にいた他の人間は始末されていると考えるのが妥当だろう。
「……爆発に何かと縁があるな」
「何のこと?」
「こっちの話だ」
アルビスが睨みつける先では粉塵が晴れ、ぼやけていた影が浮かび上がる。
現れたのは〝六華〟のリーダー格と思わしき赤毛の男。どういうカラクリなのか、給仕としてまとっていた黒服には塵一つついていない。
「泉水、逃げろ。おそらく目的は私だ」
「足手まといってことね。まあ仕方ない。死ぬなよ、とだけ言っておくよ」
泉水は立ち上がり、僅かに左脚を擦りながらアルビスから離れていく。赤毛の男は戦場が整うのを待つように佇み、傾けた首を鳴らす。
「アーベント。また会ってしまったな。どうやら警告は届かなかったらしい」
「あの程度のぬるい囁きが聞こえると思っているほうがどうかしてるな」
アルビスは泉水が十分に離れたことを足音で確認し、抜いた
一方、赤毛の男は腕をだらりと垂らしたままアルビスを真っ直ぐに見据えている。佇まいとは裏腹に隙はなく、アルビスと言えど迂闊に踏み込むことはできない。
「どうした? 来ないならばこちらからいくぞ」
言うや目算五メートルはあった間合いが一瞬にして詰まり、赤毛の男が肉薄。回避する間もなく無軌道の拳がアルビスの鼻梁へと叩き込まれる。
アルビスは仰け反りながら後退。折れて曲がった鼻梁を強引に押し戻す。
「システマか」
「今のは単なる挨拶だ」
今度は同時に接近。繰り出される手刀を左腕でいなしつつ側面へと回り込み、掌底を放つ。しかしアルビスの掌底は赤毛の男に弾かれ、アルビスの空いた懐には肘が鋭く撃ち込まれる。
たたらを踏んだアルビスに向けてすかさず蹴りが叩き込まれる。アルビスは吹き飛び、円卓の上に落下。息つく間もない赤毛の男の追撃を、地面を転がって躱す。ギロチンよろしく振り下ろされた靴底が天板を粉々に破壊した。
アルビスは臓腑から込み上げた血を吐き捨てる。
〝六華〟の他のメンバー同様、この赤毛の男も何らかの改造が施されているとみて間違いない。そしてそれは超至近距離での爆発を無傷で切り抜けてみせるほどの能力だ。だが赤毛の男は他のメンバーと違い、外見は普通の人間と何ら変わらない。能力が想定できない以上、深追いして突っ込むことは愚策だと言えた。
アルビスのそんな思考を察してか、赤毛の男は余裕を醸したまま手の指を鳴らす。
「ウォーミングアップは十分か? あまり時間もない。手早く終わらせる」
「余裕でいられるのも今のうちだ」
アルビスは
能力が分からずとも赤毛の男が強敵であることに変わりはない。ならば出し惜しみはなしだ。
「強気なところは変わらんな」
「なに?」
男の言葉にアルビスが気を取られた一瞬の隙。赤毛の男は再び間合いを詰め、
「甘いな」
赤毛の男が喉の奥で呟き、蹴りを放ったアルビスの左脚目がけて真っ直ぐに五指を振り下ろす。本来ならば指のほうが折れるだろう奇妙な攻撃はしかし、アルビスの脚へと深々と突き刺さった。
明らかな異常事態にアルビスは脚を強引に引き戻して距離を取る。床についた左脚が脳を引き千切るような激痛を訴えた。
「……身体の硬質化。それが貴様の能力か」
アルビスの視線の先。血が滴る男の右手の指は人間のものとは思えない、鋼じみた鈍色に変色していた。
鋼の肉体を持つ相手には覚えがある。だが任意のタイミングで任意の部分のみを硬質化できるとすれば、赤毛の男はその上位互換と言えるだろう。
赤毛の男はアルビスを挑発するように甲を向けた右手で手招き。硬質化していた指先は付着した血を吸い込みながら元の肌色へと戻っていく。
最後の一滴が人差し指の爪の隙間に消えると同時、再び両者が弾かれたように飛び出す。同時に繰り出す打撃が交錯。硬質化した手刀がアルビスの肩口を裂き、赤い飛沫を散らす。一方、体重を乗せて叩き込まれる掌底が赤毛の男の胸を穿つが、硬質化により威力は殺され、アルビスに手応えはない。
束の間の静寂。交錯する視線にアルビスはなぜか既視感を抱く。
しかしその正体を紐解く間もなく攻防が再開。
薙ぎ払われた手刀がアルビスの目元を擦過し浅く血の糸を引く。アルビスは回避しつつも腰を落とし回し蹴りを放つが、やはりダメージは与えられない。
一度距離を取ろうと後退するも赤毛の男は容赦なく追撃。鉈のように鋭利な蹴りが迫り、アルビスは強引に身体を捻って躱して体勢を崩されてしまう。
「がはっ!」
腹部に落雷じみた衝撃。臓腑に火を投げこまれたような激痛が走り、アルビスはほんの一瞬呼吸を奪われる。打撃を受けたのだと理解したときには既にアルビスは吹き飛び、扉を突き破って廊下へと放り出されている。
アルビスは息を整える間もなく立ち上がり追撃に応戦。繰り出される無軌道の打撃を辛うじていなしながら反撃の掌底を打ち込んでいく。
狭い通路では回り込むなどの動きができないため攻撃の方向が制限される。それは弧を描く歩法を基礎とした八卦掌をベースに自らの格闘術を組み立てるアルビスにとっては手痛い制限だ。だが同時に赤毛の男の変幻自在の打撃をも大きく限定することができている。
誤魔化しの効かない打撃の応酬ならば、
だが攻撃が通ることとダメージを与えることはイコールではない。文字通り鋼と化す赤毛の男の肉体はアルビスの打撃をことごとく撥ね退けた。
より速く。より強く。より鋭く。アルビスは赤毛の男の手刀を掻い潜っては掌底を放ち、蹴りをいなしながら縦拳を繰り出す。
狙いは肩や肘などの関節だった。関節が硬質化すればほんのコンマ数秒足らずの僅かな時間、次の行動へ移るまでにズレが生まれる。その微かなズレを積み重ね、アルビスは赤毛の男の硬質化の速度を上回る決定的な瞬間を待った。
そしてその瞬間は、アルビスの想定よりも早く訪れた。
赤毛の男が突き出した手刀を掌で受け止める。貫かれた左手から迸る鮮血を歯牙にもかけず、アルビスは男の手を掴んで引き倒しながら顎に向けて渾身の掌底を見舞う。
散弾銃が炸裂したような破裂音。吹き飛んだ顎は丸めたアルミホイルのように半端な硬質化を遂げて拉げている。
その不可解な姿の意味を、――赤毛の男の能力の本質をアルビスはようやく理解した。
同時に下腹部が刺すような熱を訴えていた。見れば銃身へと変化した男の手が、真っ赤に染まるアルビスの腹に突き付けられていた。
赤毛の男の破壊された顔が逆再生されるように元のかたちを取り戻していく。それはまるで、水からの能力とその無敵さをアルビスに誇示してみせるよう。
「俺の名はターン=カーム。万物へと
赤毛の男の能力は硬質化などではなかった。その能力は硬質化の完全なる上位互換――肉体の分子配列を任意で組み換え、時に堅固な鋼に、あるいは流麗な液体に、それどころか遍く武器さえも肉体一つのうちから生み出してしまう
思えば片鱗はあった。事務所を襲撃されたとき、公龍の血の銃弾が貫通したにも関わらず平然と立っていた。あれはおそらく自らの身体をジェリーのように液化させ、あるいは空洞を作ることで銃弾を無力化していたのだろう。
完全に虚を突かれたアルビスは赤毛の男に頭を鷲掴みにされ、そのまま壁に叩きつけられる。頭で廊下の壁を抉りながら激しく引き摺り回され、ようやく男の手から自由になったと思った瞬間には、アルビスを壁に縫い止めるような強烈な蹴りが胸を踏み抜いた。
「――!」
苦鳴さえ漏らせず、アルビスは悶絶。崩れ落ちる壁の破片とともに床に膝をつき、込み上げる血を惜しげもなく吐く。
赤毛の男は喘ぐアルビスにとどめを刺すわけでもなく、ただ見下ろしている。その眼差しには傭兵らしくない哀愁にも似た色が垣間見えた。
暗く霞んでいくアルビスの視界の真ん中で、赤毛の男――ターンの姿が黒く歪んでいく。
「弱くなったな。アーベント」
聞き覚えのある声が耳朶を打つのと、アルビスの意識が暗転するのは同時だった。
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