03/Interplaying《1》

 二区の静謐な高層ビル街に構えられる、温かみを感じる煉瓦造りの大きな校舎。敷地は広く、外敵からこの地で穏やかな時を過ごす乙女たちを守るかのように、針のような葉を茂らせた人工樹が並んでいる。

 笛木女子学園。現代では珍しくなった女子高等学校である。

 男女別学が廃れた背景には、性による住み分けが前時代的な悪習だとする《リンドウ・アークス》総帥である竜藤統郎りんどうとうろうの強い影響があるなどとされている。しかし実際は男女別学では、震災と感染症によって激減した人口の下で健全な学校運営を果たすだけの生徒数を集めることが困難だったという財政的な理由が大きい。

 にも関わらず、この笛木女子学園が女子高等学校という伝統を保っているのは、ここに通う子女たちの親や卒業生が持つ強力な金脈によるところが大きいのだろう。

 事実、笛木女子学園の卒業生はあらゆる分野で広く活動している。記憶に新しいところであれば、確か現職の総理大臣であり、日本初の女性総理大臣でもある御厨有理みくりやゆうりもここ笛木女子学園の卒業生だったはずだ。

 そんな由緒正しき学園の校門からやや離れた路肩に停まっている一台のバン。公龍は欠伸を噛み殺しながら近づき、助手席の窓を叩いた。


「おい、開けろ」


 ノックに気づいたらしい運転席の男が座席のリクライニングを元へ戻し、顔を上げる。

 発色のいい赤で染められた髪に飴色のサングラス。男――女部田銀おなぶたぎんは薄っすらと無精ひげの生えた口元を挨拶代わりに歪めて扉を開けた。


「くっせえな」

「うるせえ。目立つから早く乗れよ」


 公龍は暴力的な濃さの煙草の臭いに眉を顰めながら、バンの助手席に乗り込む。備え付けの灰皿にはこんもりと吸殻が山を作っている。


「首尾は?」

はなを潜入させて三日。政岡白雪は相変わらず病欠。花に色々聞いて回らせちゃいるが、学業優秀、眉目秀麗……とにかく政岡白雪については生徒はもちろん教師からもいい噂しか聞かねえな。何でも学内の公認クラブにスノークラブってのがあって、どうやらそれが政岡白雪のファンクラブらしい」

「そいつはすげえな。学園のマドンナってか」


 銀からの簡単な報告に公龍は鼻を鳴らし、手渡された写真に目を落とす。映っているのは級友と談笑する政岡白雪の姿。学園の防犯カメラのなかに残されていた映像を印刷したものらしい。烏の翼を思わせる長い黒髪に名は体を成すと言わんばかりの白い肌。たしかに浮世離れした美しさが感じられる。


「どうかしたか?」

「いや、何でもねえ。他に何か気になったことは?」

「そうだな。二年前、学内で行われた演説会のことだが、生命権を根拠に《東都》批判をしてみせたらしい。内容には難ありだったが、学園内でのスピーチだったってこともあって、生徒の自主性と思想の多様性を尊重したらしいがな。まあ、これが今回の件に繋がるとは思えねえが、ヒントくらいにはなるんじゃねえかと思ってな」


 銀は言いながら後部座席へと手を伸ばし、公龍にファイルを渡す。どうやらこれがその演説会での原稿らしい。


「目的は《東都》の転覆だってことか」

「その可能性もあるってだけだろ」


 銀はあくまで可能性という言葉にこだわるが、第四部門フォース・パワーが精力的に動員されていることを鑑みれば、〝私はあなたの全てを知っているI KNOW ALL OF YOU.〟というメッセージが《リンドウ》に向けられたものであることは固い。

 とすればもう一つのメッセージ――〝誰もこの祝祭は止められないNOBUDY CAN STOP THIS CEREMONY.〟のもまた《リンドウ》へ向けた何らかのアクションであることは間違いない。

《東都》転覆――。

 これだけ大規模に発展した都市を再起不能にまで破壊する手段が一体何なのかは見当がつかない。だが脳の隅を引っ掻くような嫌な予感だけは強まっていく。

 おそらくは政岡白雪もまた、〝X〟によって弄ばれる駒の一つに違いない。これ以上、桜華のような犠牲者を出すわけにはいかない。公龍の胸のうちには〝X〟に対する憎悪じみた激情が燃え盛った。

 黒く狭まっていく視野と意識を、古風なチャイムの音が引き戻す。公龍が顔を上げると、運転席では銀が煙草を咥えていた。


「大丈夫か? 様子がおかしいぞ」

「うるせえよ。何も問題ねえ」


 銀に言われるまでもなく、自分自身で分かっている。感情だけが先走っている。クロエの体内に巣食っていた〝X〟の悪意と謎によって、苛立ちと焦りばかりが募っている。

 だがこの焦げ付く感情を飼い慣らさなければならない。それが出来なければ、桜華を喪ったあのときの二の舞だ。


「俺は花が下校次第、迷路街に向かうけど、お前はどうするよ? アーベントと合流しなくていいのか?」

「あいつはよく知らねえが今別件だ。一緒に迷路街に向かう」


 きっとこの焦燥と苛立ちは相棒であるアルビスにも向けられている。今の張り詰めた状況下で別件に費やす時間の猶予などないはずだ。たとえ不仲で相容れない相手だとしても、背中を預けるに足る存在だったはずの相棒の考えていることが、分からなくなりつつある。

 公龍は自分自身を宥めるように、あるいは胸のうちに湧いた不安を呑み下すように、深呼吸をした。


   †


 毒々しささえ覚えるような深紅の塗装に黄金の装飾。壁には立派なひげの生えた龍がうねり、天井からは提灯のような照明が吊るされている。

 アルビスはチャイナドレスを着た店員に案内されて店の奥へ。分厚い扉の先には円卓が据えられ、所狭しと並べられた料理にありつく竜藤泉水りんどういずみの姿があった。

 乱雑に包んだ北京ダックを頬張り、麻婆豆腐を流し込む。がちゃがちゃと打ち鳴らされる音にはテーブルマナーの片鱗さえ見られない。《東都》に君臨する一族の家名を冠する者とは到底思えない振る舞いだ。あるいは高級な中華料理をろくに味わうこともなく貪っていくその様こそ、無尽蔵の富を手にしていることの証左なのだろうか。ともかく、忙しなく回り続ける円卓には空になった皿が重ねられていく。


「相変わらずよく食べるな」

「食は身体を動かす燃料だからね」


 泉水の正面に腰を下ろしたアルビスに、口のなかの炒飯を水で強引に流し込んだ泉水が答える。円卓がぐるりと周り、料理がアルビスへと向けられた。


「アルたんも食べなよ。御馳走するよ」

「〝解薬士狩り〟……あれは一体何だ?」

「はぁ、食事を楽しもうって気は一切ないんだね」


 泉水は口に詰め込んでいたエビチリを呑み込み、それからナプキンで口元のソースを拭う。


「まあいい。アルたんたちの置かれている状況は、おおまかにだけど理解しているからね」

「前置きはいい。質問に答えてくれ」

「分かってる。話すよ。僕とアルたんは協力関係だからね」


 泉水は言って、空になった皿の上にエビの尻尾を吐き出す。グラスを傾けて水を口に含み、目配せだけして給仕たちを退出させる。


「この前の医療軍の実験の動画、覚えてるよね?」

「ああ、もちろんだ。あんな気味の悪いもの、忘れられるはずもないだろう」


 アルビスは言いつつ、心臓や肝臓など無尽蔵に臓器を増やされた異形と呼ぶには生温い人体実験の末路を脳裏に思い浮かべた。


「前にも言った通り、あれは異所性移植なんかじゃない。あれは――」

「〝鼓動し嘲笑する臓器モック・ノック・オーガン〟」


 アルビスが先手を打つと、泉水は口角を僅かに歪めた。


「君たちはそう呼んでいるだったね。その穿った名付けネーミングセンスは天常博士かな。僕らはあれを、万能臓器Universal Gutなんて呼んでいる。まあ、呼び名は何でもいいんだ。つまるところ、あの実験体は外から臓器を移植されたんじゃなく、自ら新たに細胞を生成し、臓器を作り出したんだということがポイント。そう例えば、アルたんたちが使う特殊調合薬カクテル鉄灰色アイアングレーのアンプルの直接使用時みたいな、でね」


 驚きはなかった。既に〝解薬士狩り〟のMKOからは特殊調合薬カクテルに似た成分が検出されている。だが不可解なのはあの醜悪な実験が医療軍で為されたものであるということだった。

 アルビスの内心を見透かしてか、泉水は教師が生徒に教え諭すような口調で続けていく。


「あの動画で分かる通り、医療軍の実験は失敗。そもそも医療軍のあの実験は流出したデータの断片から取り組まれた二番煎じに過ぎない」

「そして僕が知る限り、アメリカは現在においても万能臓器の生成実験に成功していない。というより、たった一人の医学研究者を除いて、世界中で誰も成功していない」

「それは誰だ?」


 アルビスが詰め寄るように問うが、泉水は急くアルビスを宥めるように両手を挙げてお道化てみせる。だが仕草とは裏腹に、泉水の表情は研いだばかりの刃物のように剣呑な光を帯びていた。


「名前はレナート・ウルノフ」

「ロシア人か?」

「出身はウクライナだよ。ロシアの連邦医学・生物学局に所属していた時期もあるみたいだけどね。だけどウルノフは一八年前に亡命。世界中を転々とした後、極秘裏に日本政府を経由して最終的にはある製薬会社に入社している」

「まさか……」

「そう。そのまさか。ウルノフの亡命先が今や日本を代表する華麗なる一族の聖域サンクチュアリ、《リンドウ・アークス》ってわけだ」


 アルビスは静かに息を呑んだ。

 これが事実ならば《リンドウ・アークス》にとって前代未聞のスキャンダルとなる。震災と感染症による混乱からの復興を一手に担ってきた英雄的企業がその裏で非道な人体実験を繰り返していたとなれば、信仰にも似た傾倒によって支えられる《東都》の秩序は瓦解していくだろう。

 もちろんまだ泉水の話を鵜呑みにするだけでは確証できる話ではない。あくまでこの男が竜藤の血族――《リンドウ・アークス》の内側にいる人間であることを忘れてはいけなかった。

 アルビスは思考を全力で回転させ、急速に飛躍していく話に追い縋る。一介の解薬士の手に負えるものではないという、汐の言葉が頭のなかで響いている。


「そのウルノフという男が行っていた研究こそ、MKOなんだな」

「彼の研究はかなり幅広くてね、生義体の応用工学にまで及んでいたらしい。心当たりはあるだろう? 万能臓器……MKOもその一つということだね」

「今そいつはどこにいる?」


 アルビスは声に逸りが垣間見えないよう慎重に声を低めて言う。ウルノフの所在が分かればMKOについて解明されることはもちろん、桜華にテロを起こさせた〝X〟やクロエの身体の謎までが明らかになる。それどころか、MKOという技術が技術だけに、アルビスと公龍が追っている〝X〟がウルノフ本人である可能性さえ濃厚だ。

 だが泉水はアルビスの期待とは裏腹にゆっくりと首を横に振った。


「残念だけど、うちリンドウ・アークスにある資料じゃ、レナート・ウルノフは既に死んだことになっている」

「……信憑性はあるのか?」

「さあ、どうだろう。僕が内側からこれだけ情報を精査しても何も出ないんだからあるとも言える。でも元々亡命してきたせいで偽造した身分だったし、可能性は五分ってところかな」


 泉水の言う通り、ウルノフを死んだと断じるのは早計だろう。事実として〝六華〟のジェリー=ハニーの正体は殉職した解薬士だった。敵は《東都》の堅固な追跡可能性トレーサビリティを掻い潜る方法を弁えている。


「また亡霊か」

「亡霊ね。ならば万能臓器はこの栄えある医薬至上社会における呪いと言い換えることができそうだね」


 アルビスの溜息のような呟きを泉水が茶化す。

 だが呪いという表現はあながち的を外しているわけではないのだろう。築き上げられた繁栄を一瞬にして虚飾へと変える呪い。《東都》はそういう不確かな柱に支えられて、唯一無二の秩序を築いている。

 ようやく見つけた綻びだった。

 アルビスはこれまでにない手応えを感じていた。自分は着実に復讐の道を進んでいる。真実へと近づいている感触が訪れるたび、心のうちで黒い炎が盛っていくのが手に取るように理解できる。焦りはない。飼い慣らし続けてきた激情が血肉となり、沸々とアルビスの全身を巡っていく。

《リンドウ・アークス》への復讐。

 都市そのものを相手にするのに等しい巨大な怨敵の急所が、初めて垣間見えた気がしていた。

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