02/A small collapse《2》

 アルビスたちは天常研究室を後にし、帝邦医科大の前でタクシーに乗り込んだ。


「にしてもよ、てめえがセンセの意見突っぱねるとはな」


 自動運転オートドライビングの車内で公龍が口を開く。


「心外な言い方だな。私はドクターを無碍にしたこともないし、彼女の意見全てに従っていたつもりもない。あくまで一専門家の意見として考慮しているだけだ。もちろんドクターに恩義はあるが、あくまでビジネスパートナーだ。私たちの方針にまで口を出される道理はない」

「てめえのことだから、てっきりクロエを手放すとか言い出すんじゃねえかと思っただけだ」

「貴様、私を何だと思っている……」


 アルビスは不平を口にするが、もちろん単に職務に対する責任感からクロエの保護を主張したわけではない。


鼓動し嘲笑する臓器モック・ノック・オーガン〟は、突然アルビスの元を訊ねてきた竜藤泉水りんどういずみが与えてきた重要な示唆である。既にアルビスの目的を看破しているであろうあの男の思惑は不明だが、MKOがアルビスの目的にとって何か重要な鍵を握っていることは間違いない。

 つまりクロエをウロボロス解薬士事務所で保護し続けること自体がアルビスの目的――復讐への近道となり得る。

 今回の賢政会と〝六華〟に企みや、粟国桜華に殺し屋〝赤帽子カーディナル〟を提供してテロを嗾けた人物である〝X〟など、まだ断片的な情報ばかりが散見している状態では推論を組み立てることさえ困難だ。しかしひどく遅々とした歩みながらも着実に核心へと繋がる道を進んでいる手応えはある。

 だからクロエの件は、アルビスにとって僥倖でさえあった。

 もちろんそういった真意は相棒である公龍にも明かされることはない。


「とにかくまずは〝六華〟だ。奴らもまた〝X〟に繋がる何らかの鍵であることに違いはない」

「そうだな。奴らには借りもあるしよ」


 二人が向かったのは一七区にある大規模廃区。タクシーを降りて支払いを済ませ、外れかけているフェンスの隙間から夜の闇が落ちる廃区の中へと踏み入る。

 この廃区も例に漏れず、罅割れたアスファルトの上には路上生活者が寝転がり、路地の奥ではほぼ裸同然のネグリジェをまとう娼婦が客を探して視線を彷徨わせている。街のそこかしこから漂ってくる甘い匂いは大麻だろう。高度な非認可薬物デザイナーズドラッグが蔓延する世の中であっても、こうした古典的な薬物も根強く流通している。

 比較的広い路地から入り組んだ隘路へ。地面の崩壊はさらにひどくなり、亀裂からは蔦の長い雑草が繁茂している。

 やがて完全に廃墟と化した映画館に辿り着く。アルビスと公龍は黄ばんで読めなくなったポスターを尻目に中へ進む。埃と砂礫が充満する屋内は息苦しさを感じるほどだ。口元を袖で押さえながら一番奥の上映室の扉を押し開ける。

 とっくに廃墟であるはずの上映室では古い映画が上映されていた。しかも古風なことに、上映には一六ミリの映写機が用いられている。


「今度は映像技師か」


 アルビスは映写機の隣りに座る男へと言葉を投げかける。外套のフードを目深に被っている男は微動だにせず、流れ続ける無音サイレントの映画をじっと見つめている。アルビスと公龍は男の退路を断つように右隣りと後ろの座席に座った。


「……〝はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない〟」

「〝だから目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから〟」


 いつも通り投げ掛けられる符牒に応じる。男――情報屋パパスは小さく息を吐いてフードを取り、にっと吊り上げた口角から覗く金色の歯をアルビスへと向けた。


「これはこれはどうも。アーベントの旦那。それに九重の旦那も。お久しぶりでございます」

「室内なのにサングラスする意味あんのか?」

「くかか。九重の旦那、最近は情報屋も物騒なもんでねぇ。うかうか素顔晒すわけにもいかねぇんですよ」


 関係のない話を始めた二人を制するように、アルビスは肘置きを指で叩く。


「頼んでいた件はどうなった?」

「ああ、ええ、そうでしたそうでした」


 パパスは懐から封筒を取り出してアルビスへと渡す。受け取った封筒のなかには数枚の写真と調査書が収められている。ちなみに公龍はこの手の頭脳労働には関わってこないスタンスなので、頭の後ろで手を組みながら映画を眺めている。


「旦那が睨んでた通りでしたぜ。くかか」


 内容は成り行きで協力者となっている女部田銀おなぶたぎん犬飼花いぬかいはなに関するもの。当初、彼らに依頼をし、アルビスたちを襲撃させた人物についての調書だった。


「やはり第四部門フォース・パワーが動いていたか」

「というよりも、第四部門フォース・パワーを統括する竜藤将厳りんどうしょうげんが単独で動いていたとってほうが正しいようですぜ」


 竜藤将厳。元は防衛省の官僚だったが辞職し、《リンドウ》グループ総裁、竜藤統郎の次女と結婚。震災後は第四部門フォース・パワーの前身組織である《メディガンズ》設立に大きく貢献し、混乱した秩序の収拾に尽力したとされる。また《リンドウ・アークス》幹部陣のなかでもきっての武闘派として知られ、力の誇示による都市運営を唱えるほど強硬的な一面を見せる男だ。


「どうやらシルバー解薬士事務所に依頼に来た男は防衛省時代の部下のようでして、現在は竜藤将厳が外部顧問を務める民間軍事会社の専務をやっていたことが分かりやした」

「そうか。……当初、竜藤将厳は秘密裡に宅間ファイルを回収しようと銀たちを使ったが、ベリーマートでの大規模な戦闘によってその存在を《リンドウ》側に隠し通すことができなくなった。よってその後の盛永スサーナの遺体発見時に自らの部隊である第四部門フォース・パワーを動かして事態の収拾を試みた、というところか」

「ええ、そう考えるのが妥当だと、あっしも思いやすねぇ」

「だけどよ、どうして最初、内密に処理したようとした?」


 後ろから公龍が話に割り込んでくる。アルビスは、聞いていたのか、という言葉を呑み込む。


「宅間ファイルがそれだけ大きな爆弾ということだろう。問題はこの竜藤将厳が《リンドウ》の指示で動いていたか、それとも個人的に動いていたかだな」


 アルビスは言いながら、頭のなかで状況を整理していく。

 事の発端は元厚生省官僚である宅間喜市たくまきいち過剰摂取者アディクトと化したことに遡る。

 その遺体の内部には〝私はあなたの全てを知っているI KNOW ALL OF YOU.〟という挑発ともとれるメッセージが残されており、アルビスたちは宅間が持っていたとされるファイルの争奪戦に巻き込まれることになった。

 ファイルを求めた勢力は大きく三つ。

 一つは当然、アルビスたち。一応の後ろ盾として背後には警視庁が存在する。

 二つ目は目下最強の障害となる政岡白雪まさおかしらゆき擁する賢政会。一介の反社会的勢力に過ぎなかったが、改造人間によって構成される傭兵集団〝六華〟を引き込むかたちで急速に力をつけた。そのメンバーであるジェリー=ハニーとメルティ=フレンドリィと繰り広げた死闘は記憶に新しい。アルビスたちが追う〝X〟も賢政会に与していることが想定される。また宅間を過剰摂取者アディクトへと変貌させ、メッセージを刻んだのも彼らの仕業だ。

 そしてたった今確定した三つ目の勢力が《リンドウ・アークス》、あるいは竜藤将厳個人。たった今パパスから得た情報によればかなり早い段階から宅間ファイルの回収に動いていたことが分かる。

 しかし宅間ファイルは既に賢政会の手に落ちたと考えるのが濃厚であり、状況は賢政会が頭一つ抜けている。

 この抗争の行く先を占う上で重要なのは宅間ファイルの内容と賢政会と《リンドウ》、それぞれの目的だろう。だがまずは、賢政会から宅間ファイルを奪取する必要がある。


「賢政会の動向に関する情報が欲しい」


 アルビスが言うと、パパスは金歯を見せて笑ってから懐からもう一つ封筒を取り出す。


「くかか。そう仰ると思って、既に用意してありやすぜ」

「用意がいいな」


 パパスから封筒を受け取り、中身を検める。


「五日前に二一区で起きた爆発事故。廃区の三分の一が吹き飛ぶ大規模な爆発だったんですが、どうやら現場から《リンドウ・アークス》傘下の解薬士事務所、フォルター・ワークス所属の解薬士のものと思わしき遺体が複数挙がっているらしいんですわ」


 遺体が確認されている、あるいはを境に行方不明扱いになっている解薬士のなかには、宇垣海燕うがきかいえんやエル・バタイユといった比較的名前の知れた解薬士も混ざっている。


「その爆発の中心地が賢政会に潰された鴻田組によって経営されていた娼館パブか」

「ええ。ただの爆発事故と処理されるにはちーっときな臭いってぇもんです」


 爆発の原因は不明だが、調査書の情報によれば現場からは液化したメチルナイトレートが微量ながら検出されている。つい数時間前に対峙した四本腕の男、ラプチャー=リッチの仕業とみて間違いないだろう。おそらく交渉か制圧かを試み、フォルター・ワークスは返り討ちに遭った。


「ゾッとしねえな」

「ああ」


 赤毛の男はあの奇襲を警告と称し、ラプチャーたちには遊んでやれと指示を出していた。この爆発の規模を見れば、あの戦いがまさしく遊びだったのだと嫌でも理解できる。奴らがその気だったならば既にアルビスと公龍は、そしてクロエも粉微塵に吹き飛ぶか全身を穴だらけにして死んでいた。アルビスと公龍は奴らの実力の半分も引き出すことはできていなかったのだ。

 もっと強くならねばならなかった。

 目的を遂げるため。混沌と狂気を断ち切るため。クロエを守るために。


「それで、政岡白雪の足取りは?」


 アルビスは問うが、パパスは首を横に振る。


「それが全くですぜ。第四部門フォース・パワーも動いているようですが、居場所を掴めてはいねえようです」

「そうか」


 元より期待は抱いていなかったのでアルビスは潔く引き下がる。

 盛永スサーナが誘拐されたときも〝六華〟の足取りは全く掴むことができなかった。おそらく賢政会は反社会的勢力らしく、《東都》の地下に広がる迷路街に独自の移動網を持っているのだろう。


「そっちは地道に痕跡を辿っていくしかねえみたいだな」

「ああ。銀たちも使って情報を集める。パパス。貴様も引き続き頼む。それと追加で調べてほしい件がある」

「あと、車を手配してくれ。盗難車でもいい」

「へいへい。今後ともご贔屓に」


 パパスにありったけの紙幣を握らせ、アルビスと公龍は映画館を後にする。手元の腕時計型端末コミュレットに視線を落とせば、ちょうど日付が変わろうとしていた。

 あまりに長く濃密な一日が終わる。圧し掛かる疲労は大きいが、まだ全ては始まってすらいない。

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