3rd Act/Paradise Fall

01/Explosion《1》

 濛々もうもうと広がり立ち昇る黒煙。囂々ごうごうと盛る灼炎。アルビスは飛ぶように階段を駆け上り、行く手を阻むそれらを切り裂いていく。

 ハッピービルディングの二階へと上がり、拉げて外れかかった扉を引き剥がす。炎熱に当てられた扉はアルビスの掌を容赦なく焦がすが、構うことはなかった。事務所から噴き出す煙と熱風を押しのけ、アルビスは室内へ踏み込む。赤と黒が覆い尽くす景色に向けて、まだ中にいるはずの相棒と少女の名前を叫ぶ。


公龍くりゅう! クロエ!」


 天井から降り注ぐ火の粉を払いのければ、二人はすぐに見つかった。


「……アル、ビス」

「公龍! 何があった?」


 アルビスは公龍へと駆け寄る。倒れた棚に右足を挟まれた公龍は意識を失っているクロエを守るように覆いかぶさっていた。


「……知らねえよ。いきなり爆発しやがった。……頭痛ぇ……」

「とにかく脱出だ」


 アルビスは脱いだジャケットで火を払い、公龍に圧し掛かる棚を退かす。クロエを抱きかかえ、公龍を引き起こす。立ち上がった公龍は焼け爛れた上に腫れ上がった右足の激痛に、苦鳴を漏らす。

 しかし出入り口へ引き返そうとした矢先、小規模の爆発。壁と天井が崩れ、アルビスたちの進路を見事に塞いだ。


「もう一発きやがるぞ……」


 動物的な直感に基づいた公龍の言葉。考えている余裕はなかった。

 アルビスは燃え盛る執務机を足場にして跳躍。意図を理解した公龍もすぐさま後に続く。砕け散った窓からのダイブ。その刹那、背後で四度目の爆発が起きる。

 半ば熱風に圧し飛ばされるように、アルビスたちは宙を舞う。アルビスはクロエを抱えながらも体勢を整えて地面に着地。手負いの公龍は背中から落下するも路駐していた車のボンネットに受け止められた。

 アルビスはすぐさま状況へ対処。回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを抜き、五感拡張の山吹色ブラッドオレンジのアンプルを装填。首筋の医薬機孔メディホールへと打ち込む。

 神経網が広がっていく感覚と同時、頭上からの視線を察知する。


「公龍! 避けろ!」


 叫びながら飛び退く。すれ違うようにして、頭上から指の太さほどの針が無数に降り注いだ。

 アルビスはクロエを地面の端に横たえ、針の出所――ハッピービルディングの向かいのビルの屋上を見上げる。

 差し込む日光を背に、襲撃者それは立っていた。

 影は三つ。

 中央に佇むのは外套を着込み、フードを被った背の高いシルエット。

 向かって右には背中から四本の腕を生やし、露出した肌をぬらぬらと光らせる筋骨隆々の修羅じみた異形の男。本来、腕があるべき肩口の皮膚は爛れ、苦痛に喘ぐ人の顔を連想させる。剃り上げた頭には$マークの刺青がでかでかと彫ってある。

 向かって左には針を放ったのは自分だと言わんばかり、元のシルエットが分からなくなるほど全身が棘に覆われた、生きたたわしのようなシルエットの男。唯一針の生えていない顔面も下顎は鋼に置き換えられ、ガチガチと不気味に打ち鳴らされていた。

 条理の埒外にある人間離れした姿がアルビスたちに告げる。

 彼らもまた〝六華〟――一時期アジアの戦線を席捲した異形の傭兵集団であると。

 アルビスの横に公龍が並び立つ。折れた右脚は既に、細胞分裂を促進させ再生能力を飛躍的に高める特殊調合薬カクテル鉄灰色アイアングレーのアンプルで動けるまでに回復させている。


「公龍、クロエを連れて退け。ここは私が引き受ける」

「カッコつけんな。どう考えたって、てめえじゃ手に余るだろうが」

「だがクロエを病院に――」

「あいつらが簡単に逃がしてくれるタマかよ。二人で秒殺すんぞ。そんでもってクロエを病院に連れていく」

「足を引っ張るなよ」

「言ってろ」


 アルビスと公龍は三つのシルエットを睨みつけたまま言葉を交わし、それぞれに回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを抜いて特殊調合薬カクテルを打ち込む。

 公龍は血液操作を可能とし、己の血で亜音速の弾丸を生み出す唐紅色カメリヤ

 アルビスは認知情報の神経伝達速度を飛躍的に引き上げる若竹色ペールグリーン

 二人が臨戦態勢へと移行し、白昼の廃区には緊張感が広がっていく。爆発の様子を確認しようと集まりかけていた住民たちは皆、危険を察知して既に避難している。

 真ん中に佇む外套のシルエットがビルの淵まで踏み出し、それからフードを外した。

 露わになるのは几帳面に撫で付けた赤毛と少年じみた白皙の顔貌。それ以外はこれと言って特徴のない顔立ちだが、アルビスとそう変わらないだろう年齢にも関わらず、こちらを睥睨する眼差しには厭世的にも思える妙に老成した雰囲気が漂っている。

 赤毛の男は小さく息を吸い、口を開いた。


「アルビス・アーベント。そして九重公龍と見受ける」


 凛と通る太い声。その声音もやはり見かけの印象よりも随分と落ち着いていて、威圧的で冷たい雰囲気を帯びている。

 しかし赤毛の男の口上を切り裂くように、血の弾丸が宙を走る。殺到した五条の赤い軌跡は赤毛の男の胴体を引き裂くように貫通する。


「ごたごたうるせえんだよ。昼寝を邪魔したオトシマエはきっちりつけさせんぞ。……っ?」


 公龍は不遜に吐き捨て、だがしかし攻撃に手応えがないことに眉を顰める。その証拠に、赤毛の男は表情一つ変えることなく、穴の開いた外套をはためかせて立っている。


「威勢がいいのは悪いことではない。だが彼我の実力差くらいは正確に測れる目を養うといい」

「舐めやがってっ! 潰す!」


 公龍は吼え、今度は両腕の指先に弾丸を生成。複雑な軌道を描いて一〇の弾丸が放たれる。しかし今度は横から吹き荒れた灰青色の爆炎と爆風によって血の弾丸が掻き消される。

 見れば、四本腕の男が全身から汗を滴らせながら長い舌をだらりと垂らしてアルビスたちを威圧していた。


「ドル!」

「いいだろう。少し遊んでやるといい」


 赤毛の男が指を鳴らす。同時、四本腕の男が屋上から跳躍。背後で起こした爆発の勢いで加速し、砲撃のような速度で地面に迫る。

 着地と同時に衝撃。

 爆風が吹き荒れ、地面が抉れる。煽られながらも体勢を整えたアルビスたちは、爆破の衝撃で吹き飛んだ男の四本腕が瞬く間に再生する様を炎の隙間から垣間見る。

 おそらくは鉄灰色アイアングレーのアンプルの効果だろう。ジェリーと同様、四本腕の男もまた解薬士固有の技術と道具を駆使するらしい。

 頭上から赤毛の男の声が響く。


「ラプチャー=リッチ。見ての通りの爆発人間。メチルナイトレートを全身の汗腺から分泌し、爆発を引き起こす。頭は薬漬けで残念だが、精密かつ大胆な爆発はあらゆるものを粉微塵に引き裂きラプチャー、更地となった戦場に富の山リッチを築き上げる、クールな男だ」

「ユーロ!」


 腕の再生を終えるや四本腕の男――ラプチャーが地面を蹴る。やはり爆発で加速。アルビスより先に珊瑚色コーラルレッドのアンプルで血の刃を生成した公龍が反応して応戦する。

 しかしラプチャーの拳と打ち結ぶや、激しい爆発。公龍は吹き飛ばされ、生成した血の刃は吹き飛んで霧散している。


「クソったれがっ!」


 公龍は再び刃を生成。しかし斬りかかるも刃はラプチャーを捉える前に爆発によって吹き飛ばされる。爆風に抗うように血の銃弾がラプチャーへと殺到。ラプチャーは回避もせず、銃弾に身体を晒しながら踏み込む。


「ポンドッ!」


 二本の右腕が同時に振り抜かれる。ただの殴打。しかし背から生える二本の腕による打撃は戦うことに慣れれば慣れるほど、その軌道が目に新しく厄介に映る。

 ラプチャーの拳は公龍の顎と腹を的確に打ち抜き、同時に爆発。衝撃をゼロ距離で受けた公龍は煙を吐き出しながら天を仰ぐ。

 アルビスは爆炎を切り裂いてラプチャーへと接近。しかし頭上から降り注ぐ針がその行く手を阻む。


「っ!」


 奥歯を噛み締め見上げる先には全身を針で覆うたわし男。鋼鉄の顎がガチガチと打ち鳴らされる。その横では赤毛の男がアルビスを見下ろしている。


「あらゆる毛穴から生成される鋼鉄の針は全てを貫通スラストする超威力。攻撃においてはあらゆる射程をカバーし、防御においても鉄壁を誇る。能力頼みではない戦士としての信頼トラストも篤く、そのタフネスは間違いなく〝六華〟における最強の戦士。その名もスラスト=トラストだ」

「ガチガチッ!」


 たわし男――スラストが身体を震わせて跳躍。アルビスへ向けて針を撃ち出しながら、スパイクと化した足の裏でビルの壁に穴を空けながら駆け下りてくる。

 アルビスは後退しながら針の雨を回避。拡張された五感ならば銃弾に速度の劣る針を躱すことなど造作もない。しかし息つく間もなく、地面に降り立ったスラストが間合いを詰めてくる。

 スラストの蹴りを躱す。しかし躱した刹那、踵から針が射出。アルビスの肩を貫通する。激痛を押し殺して踏み止まり、カウンターを試みる。しかし全身を鋭利な針で覆うスラストはまさしく鉄壁。攻防一体の盾がアルビスを攻めあぐねさせた。

 アルビスは後退を余儀なくされる。だが距離を取った瞬間、スラストは腕を振るって針を放ってくる。機敏な反応で回避。トラストはその隙を突くように再び間合いを詰めて打撃を放つ。

 アルビスは回避を放棄。トラストの拳を掻い潜るように踏み込み、針だらけの鳩尾に縦拳を見舞う。拳を針でズタズタにされながらも、アルビスの腕に伝う確かな感触。

 しかし次の瞬間にはスラストのカウンター。蹴り上げられた膝からさらに針が撃ち出されてアルビスの脇腹を深く抉る。

 アルビスは吹き飛ばされて地面を転がる。傷口を抑えつつ、回転式拳銃型注射器ピュリフィケイター鉄灰色アイアングレーのアンプルを投与。加速した細胞分裂により傷口を強引に塞いでいく。

 視界の外で爆発。肉や髪の焼け焦げる不快な臭いとともに公龍が吹き飛んでくる。


「だいぶ派手にやられてるみたいだが、生きているか?」

「ったりめえだ。てめえだっていいとこなしじゃねえか」


 アルビスが手を差し伸べるも、公龍はそれを拒否して自力で立ち上がる。背中を合わせる二人を挟むように、ラプチャーとスラストが立ちはだかる。


「クソっ。ムカつくぜ、こいつら」

「冷静さを欠くな。落ち着け」


 公龍が吐き捨てる苛立ちの正体はアルビスも分かっている。

 赤毛の男は〝遊んでやるといい〟とラプチャーに言った。そしてこの奇怪な改造人間二人組はその言葉に従うように、アルビスたちと。その攻撃の全てに殺意が感じられないことが何よりの証拠だった。

 だがみすみすやられっぱなしでいるわけにはいかない。アルビスたちには意識を失っているクロエを一刻も早く病院に連れていくという最優先事項がある。

 奴らが手を抜いているというのなら、力を出す前に徹底的に叩き伏せて進むだけだ。

 アルビスは回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターの弾倉に新たな特殊調合薬カクテルを装填し、深緑色エバーグリーンのアンプルを投与。アドレナリンの過剰分泌が生じ、人間の脳に掛かるリミッターが解除――火事場の馬鹿力がアルビスの手中へと握られる。

 公龍も珊瑚色コーラルレッドのアンプルを二重使用。指先から迸り、螺旋を描いた鮮血が深紅の長槍へとかたちを結ぶ。


「秒殺はできなかったな」

「うるせえよ。てめえは何してたんだ」


 互いの戦意を確かめ合うように、いつも通りの罵声を躱す。

 アルビスと公龍は同時に反転。低空姿勢で地面を蹴り出した。

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