13/Fake ending《3》
汐から受け取った棗シロウの解剖所見――。
その数枚の紙束に記される事実はアルビスに稲妻のような衝撃を与えるとともに、楽園と称される《東都》の奥底に横たわる、深い闇の存在を感じさせるものだった。
まずアルビスと公龍が直接戦って抱いた印象通り、棗シロウの遺体には
判明しているだけでも四種類――再生促進の
汐の見立てでは、〝解薬士狩り〟のものとされる他の殺人現場の様子から判明している〝
無論、棗シロウは解薬士ではないし、それに関わるようないかなる経歴も持ち合わせてはいない。
それどころか戦闘の最中、棗シロウが自らにアンプルを打ち込むような素振りは一切見られなかった。
それもそのはずだ。
何故なら〝解薬士狩り〟の体内から検出された各種
異様に肥大化した心臓の、右心房の影にひっそりと潜むように繋がれ、脈動する鉛色の臓器。驚愕なのは、棗シロウが死んでから三日経過した状態にあっても、その臓器は生命反応を失わずにまるで心臓を真似るように、生死を弄ぶような意味のない鼓動を続けていたことだ。
およそ生体器官とは思えない異質な見た目と奇怪な機能を有したそれを、汐は〝
思い起こされるのは泉水に見せられた、過剰に増殖した臓器を埋め込まれたあの悍ましい映像。
泉水は〝解薬士狩り〟との関係を仄めかしていたが、あの映像とMKOがどう繋がるのか、アルビスにはまだ分からなかった。
あるいはあの映像の流出元であるアメリカが何か関係しているのだろうか。
だが現状でいくら思考を巡らそうと、それは臆見に過ぎず、建設的な推論は成り立ちようがなかった。
アルビスに出来るのは、まず目の前の闇を暴くこと。
確実に《東都》の闇の一端である医薬特区に隠された陰謀を、その手で白日の元に晒すこと。
「四三二番、入れ」
いかにも規律を重んじているような刑務官の硬質な声が響いて、アルビスの意識は思考の海から引き戻される。
真っ白な部屋。その中央に置かれた椅子に座るアルビスの目の前には、天井とも床とも継ぎ目の見えない純白の壁。
やがてその壁の白が水で薄められるように透け始め、やがて完全な透明になる。
特殊な偏光処理の施された壁の向こうには鏡のように対になった、やはり真っ白な部屋がある。違うのはその中心にいるのがアルビスではなく、巨大な水槽に入れられたジェリー=ハニー――スーザン・アビゲイルであるということ。
それが抵抗を封じるための処理であることは明白だった。ジェリーは紙一重のバランスのなかでほとんどが水分である肉体の形状を維持、操作している。故に外部から水分と混ざり合うことによって、その肉体は容易にかたちを保てなくなる。
だが厳重に封をされた水槽から女の生首だけが外に出ているというのは、事情を知っていても思わず眉を顰めたくなる光景だ。
「元気そうで何よりだ」
アルビスが投げかける言葉には皮肉が半分。もう半分は素直な感想だった。
警視庁は《リンドウ・アークス》にジェリーの身柄を引き渡すまでの短い期間で、ニイバネ襲撃の動機から一連の犯行の背景――つまりは黒幕について聞き出すべく、強硬な聴取を繰り返している。相手が相手なのでかなり強引な手段が取られているはずだったが、ジェリーは疲労を滲ませているどころか、どこか清々しささえ感じさせる表情で水槽の水に浸されていた。
「おかげさまでね。でもすごく退屈よ。それに、ここは少し窮屈ね」
アルビスは薄い笑みだけ浮かべ、それを応答とした。与太話に付き合っている時間はない。面会できる時間はそう長くないのだ。
「私がここに来た目的くらい察しているだろう。前置きはなしでいく」
アルビスは腿の上に肘を置き、顔の前で手を組んだ。
「〝六華〟の構成員は何名だ?」
「あら、もうそこまで突き止めているのね」
「答えろ」
「名は体を表すって言うでしょ。本当はもっと大勢いたのだけど、死んだわ。今は六――いや、私とメルティを除けば四名ね」
嘘を吐いている兆候は――なし。
予想の範囲内の数字。だがジェリーやメルティに匹敵する敵があと四人。しかも能力は不明。戦慄するには十分すぎる数字だ。
アルビスはどんな微細な反応も隠し切っていたはずだが、ジェリーはその戦慄に追い討ちをかけるように言葉を続ける。
「忠告、というのも変な話だけれど、もう手を引いておいたほうがいいわよ。残りの四人は私なんか比較にならないほど強いわ。貴方たちではまず勝てない」
「やってみなければ分からない」
ジェリーの言葉が仲間の強さを色眼鏡で見たものでも、自分を倒したアルビスたちへの恨み言でもなく、純粋に客観的な評価以外に他意のないものであることは察せられた。だがアルビスはそう吐き捨てた。ジェリーは下唇を突き出して、前髪に向けて息を吐きかけた。
「そう言って、無惨に死んだ兵士をたくさん見たわ」
あからさまな挑発にも、アルビスは取り合わなかった。残りの〝六華〟については考えても仕方がない。ここから先に進もうとする以上、衝突は必須だ。だが現段階ではいつ襲撃されてもいいように、常に態勢を整えておくくらいのことしかできないのだ。むしろ脅威の存在を知れただけ、十分な収穫だとさえ言える。
アルビスは聴取を、次の段階に進めていく。
「
ジェリーは笑みを深くした。ここまでの自然に浮かぶ笑みではなく、相手を威圧し侮るように作られる傲慢な笑み。
「知ったところで、貴方たちに出来ることなんてないわ」
「それを決めるのは貴様ではない」
このまま問い続けてもジェリーは情報を喋らず、はぐらかし続けるだけだろう。アルビスは攻め方を変える。
「敵は政府か?」
「…………」
無言での含んだ笑み。
「そうか。《リンドウ・アークス》か」
アルビスのかまにも、ジェリーは微動だにせず黙秘。自らの表情筋の一つに至るまで、完璧に制御するための訓練がよく積まれていることが伺えた。
「勝てない相手に喧嘩を売るのは私たちと貴様のボス、お互い様のようだな」
嘲るような笑み。ジェリーの眉尻がぴくりと強張る。
「あの方……と呼ぶのも面倒だ。
「かまをかけても無駄よ」
「そんなつもりはない。貴様らのボスが政岡の小娘だという件に関して、既に情報を掴んでいる」
ジェリーは再び沈黙。既に会話の主導権を握られたことを警戒し、頑なに黙秘を貫こうとする姿勢。
「だが貴様のボスは冷酷だな。ジェリー、貴様に父親を殺させ、ニイバネで大勢の人を殺させ、用が済めば切り捨てる。どうして仲間は助けに来ない? 貴様が心酔するボスは、捕らえられた部下の身を案じたりはしないのか?」
アルビスの挑発は無意味ではない。その証拠にジェリーの表情は僅かに歪む。
ニイバネでの虐殺を見ても明らかな通り、神出鬼没の半透明の肢体を持つジェリーが暗殺向きであることは、戦場に身を置き様々な作戦に従事した経験のあるアルビスには明白。〝六華〟の他の構成員の能力は分からずとも、政岡白雪が父である先代・賢十郎を殺すならばこれ以上の適材は考えづらい。
「…………哀れだな」
「誰が哀れだって?」
アルビスが吐き捨てるトドメに、とうとうジェリーが怒りを露わにする。
戦闘中の会話の節々からも、ジェリーが雇い主に心酔していることは分かっている。それもおそらく、思想的な側面ではなく、肉体的に。
だから捨てられたということを強く認識させることは効果的なはずだと踏んだのだ。
「貴様だよ。尽くすだけ尽くし、使うだけ使われ、最後はこうして捨てられた貴様だ。おおかたこれから起こることについて、重要な情報など与えられていないのだろう。だから救出も、処分もされずに放置されている。政岡の小娘は、もう貴様のことなどどうでもいいという証拠だ」
アルビスは薄青の瞳に蔑みを浮かべてジェリーを眺める。身動きの一つさえ取ることのできないジェリーは奥歯を噛み締め、アルビスを睨む。精一杯の抵抗。――アルビスの言葉が図星であることを図らずも証明する。
「馬鹿な女だ。敵ながらさすがに同情するよ」
アルビスは立ち上がる。これ以上の聴取が無意味だと――スーザン・アビゲイルという女は無価値だと、告げるように一瞥して踵を返す。
「哀れなのはお前たちだよ、アルビス・アーベント!」
ジェリーが我慢ならずに吼える。アルビスは歩みを止め、なお蔑みの視線を向ける。
プライドを傷つけられた高慢な女傭兵が、どう反応するかなど火を見るよりも明らかだった。
「お前たちはあの方の掌で踊っているに過ぎないのよ お前たちが無様にニイバネで死にかけているとき、既に準備は整えられていたわ。もう何をしたって無意味なのよ。思い知るがいいわ! そして無様に死ねばいい!」
ジェリーは完全に激昂していた。
だがアルビスの目論見通り、ジェリーは彼女が知り得る限り最大のヒントを吐き出した。
さすがにやり過ぎたのか、二人の面会を終わらせようと、隔てる壁が再び白く染まり始める。
「お前たちに勝ち目はないのよ、アルビス・アーベント! せいぜい無様に踊り狂うといいわ! ウフフフフ、ウフフフフ……」
間もなく壁が完全に元の純白を取り戻す。同時、聞こえていたジェリーの笑い声もはたと途切れる。後には不吉さを予感させる不気味な笑い声だけが耳にこびりついていた。
アルビスは部屋の外で待機していた刑務官と小田嶋に礼を言い、特殊監房を後にした。
†
警視庁が用意した送迎車に目隠しをした状態で乗り込み、揺られること数十分。アルビスは警視庁庁舎前で下ろされた。
特殊監房の場所はたとえ傘下の解薬士であっても明らかにできるものではないらしく、訪れる際には徹底した隠蔽措置が為される。
ジェリーのような通常のコードαの枠に収まらない犯罪者や、その他非常に凶悪かつ危険であると判断された凶悪犯を留置する独房である都合上、場所の隠蔽は当然の措置と言えるので不満はなかった。
庁舎前でタクシーを掴まえ、事務所へと戻る。
車がないのは不便極まりないが、短期間で二台も廃車にしているのでもう買い替える余裕がないのも事実だった。
都市を救った英雄ともてはやされようと、未曽有の事件を解決しようと、ウロボロス解薬士事務所の財政難はいつだって頭の痛い問題だった。
アルビスがこうして働いている間も、相棒の公龍は事務所でいびきを掻いている。クロエのおかげか、キャバクラなどでの浪費こそ減ったものの今度はクロエに洋服や教材に領収書を切ってくるので全体的な出費はそれほど変わっていない。
いつだったか拳闘家の
廃区の入り口でタクシーを降り、いつもの入り組んだ隘路を抜けて事務所へ。煙草屋のマダムに挨拶をし、
「もう夏だねぇ」
煙草を差し出したマダムが呟く。まだ蝉の声は聞こえないが、それでも立っているだけでじんわりと汗を掻くような気候になってきている。
「年寄りにゃこの暑さは堪えるよ、全く」
「うちのグズよりは壮健そうだがな」
「にししし。あ、そう言えばさっき金の兄ちゃんが降りてきてね」
「公龍が? 何をしに」
「あいつ本当に置いていきやがったとかなんとか騒いで戻っていったよ」
「そうか」
アルビスは溜息を吐く。クロエとともに何度起こしても起きなかったのは一体どこのどいつだというのだろうか。
煙草屋の軒下から事務所を見上げる。
戻ったらまず情報の整理から始めねばならない。普段はアルビス一人で行う作業だが、たまには公龍も混ぜてやるかと思――。
――ボンッ、と。
全ての思考を引き裂くように、あるいは築いた全てを打ち砕くように、突然の爆発がアルビスの瞼を焼き、耳を聾した。反射的に、降り注ぐガラス片からマダムを庇うように背を向けるが、本当にただの反射で、何が起きたのかにわかには理解できなかった。
事務所の吹き飛んだ窓から黒煙が立ち昇る。三階ではいち早く爆発に反応した牙央興業のヤクザ者たちが様子を見に外階段までやって来て、何かを叫びながら決死の覚悟で階段を降り始める。
もう一度、爆発。
二階の踊り場から牙央興業の社員が落ちる。怒号が飛び交った。黒煙を引き裂くように真っ赤な炎がごうと上がる。窓からは爆風で吹き飛んだらしい何かがアルビスの手前へと落ちる。
それは、見覚えのあるかたちの、砕けて拉げた眼鏡の残骸。
そう認識した瞬間、何が起きたのかようやく理解が追いついた。
目と鼻の先で、二階の事務所は瞬く間に燃えていく。
中にはまだ――。
「――公龍っ! ――クロエッ!」
アルビスは地面を蹴り、燃え盛るハッピービルディングへと駆け出した。
―――― To be continued in 3rd Act......
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